第一章 第七話 魂の共鳴と侵蝕
まず、ミチヅレが標的にするのは――魂の中に、強く、深く根付いている者だ。恋人、家族、友人。忘れたくても忘れられない存在。記憶の奥底に、刻み込まれている存在だ。」
陽次郎は小さく息を呑んだ。その一言だけで、今目の前にいた“智子”の姿が一層現実味を帯び、そしてますます虚構のように揺らぎ出す。
「仮人もミチヅレも、“人化”の過程を経てこの世に現れる。だが、仮人の肉体は不完全だ。此処に居る誰が見ても、すぐに仮人と分かる。」
ステルベンの声は低く、だが静かな怒りが滲んでいた。
「だが、ミチヅレは違う。魂の記憶――それも深い情念とともに刻まれた記憶を元に、かつての姿を“完璧に”再現する。外見だけじゃない。仕草、話し方、視線の交わし方、果ては生前交わした些細な会話まで、魂の記憶から再構成される。」
陽次郎の胸が痛んだ。智子が、あの“智子”が、自分の前で見せた笑顔も、歩き方も、声の震えも――全部、嘘だったのか?だが、あまりにも自然で、あまりにも“彼女”だった。
「そして最も厄介なのは、その姿が“標的にだけ”人間に見えることだ。私たちのような第三者が見れば、奴らは異形だ。歪んだ関節、黒い瞳、この世の者とは思えない形相――それが本来の姿だ。だが標的には、それが“かつて愛した者の姿”に見える。抗えると思うか?」
陽次郎は答えられなかった。思い出していた。あの夜、智子が現れた時のことを。涙を流しながら彼の名を呼び、両手を広げた彼女を、自分が迷わず抱きしめようとしたことを。
「奴らは、標的の元に現れ、必ず“抱擁”を求める。それは接触という名の捕食だ。そして、拒める人間はいない。生き別れた恋人が、友が、家族が、涙ながらに現れたなら、誰が手を振り払える?」
ステルベンの目が細められた。憐れむような色が、わずかに宿る。
「ミチヅレは、人間の中にある昇華エネルギーだけでなく、停留エネルギーすらも吸収する。それが仮人との決定的な違いだ。仮人は天に昇るため、昇華エネルギーを喰らう。だがミチヅレは、全てを吸い尽くす。」
「……全部?」陽次郎がかすれた声で呟く。
「ああ、。そして、吸収したエネルギーで自らの中にもう一つの魂を構築する。二つの魂を合わせ、昇華エネルギーの比率が一定以上に達した時、奴らはようやく天に昇る。おかしいだろう? かつて愛した者を“喰らい”、ようやく救われる。それが“ミチヅレ”の意味だ。」
陽次郎は言葉を失った。喉の奥が焼けるように痛んだ。吐き出したいほどの怒りと悲しみが渦巻いていた。
「……質問はあるかね?」ステルベンが問いかけた。
陽次郎は、自分でも信じられないほど静かな声で答えた。
「……俺の中に、智子の記憶があった。それは、何だったんだ?」
ステルベンの表情が少し崩れた。ニヒルな笑み。だがどこか哀しみを帯びていた。それは、千夏が最後に見せた笑みに似ていると、陽次郎は思った。
「それは――“魂の共鳴”だ。」
魂には独自の波長がある。そして、人間もまた微弱ながら波長を持っている。通常、それが一致することはほとんどない。だが、奇跡的に波長が合致した時、魂と人間との間に強い引力が働く。まるで磁石のようにな」
「君が“智子の姿を模したミチヅレ”に抱きしめようとした瞬間、共鳴が起きた。想定外の出来事だったろうが、その共鳴により、魂と君の体が重なり、記憶が流れ込んだんだ」
ステルベンは少し言い淀んだ後、真剣な眼差しで言葉を続けた。
「だが、少し気になることがある。君の場合、共鳴ではなく“融合”しているように見える。重なっているのではない、“混ざって”いるんだ。こんなケース、私は見たことがない」
「……混ざると、どうなる? 俺は死ぬのか?」
陽次郎の問いに、ステルベンは少し黙ってから言う。
「断言はできんが、可能性は低い。元々、人間の体に魂が宿ること自体が“不自然”なことだ。だから不安定になる。けれど君の場合、“混ざっている”ことで逆に安定している可能性もある。まぁ……いずれ分かるだろう。どちらにせよ、今はまだ答えが出せない」
そう言って、ステルベンはゆっくりと運転席の男に目をやった。
「少し時間を使いすぎたな。今のは、復習の時間だと思ってくれ」
陽次郎がぽつりと呟く。
「……俺、智子に化けたミチヅレに謝ろうとしてた。でも、もうその機会もないし……智子の魂は今、俺の中にあるんだろ?」
ステルベンは乾いた笑みを浮かべた。
「謝る? はは、何を言ってる? 君は“利用する側”の人間だ。今の状況では、主導権は君にある。甘い考えじゃ生き残れないぞ。ただ、君の中のわだかまりが解けるというなら……好きにすればいい」
「なんだよ、それ……。俺、この先どうなるんだ。それに……何で急に機嫌が悪くなったんだよ……」
ステルベンは運転席の男に声をかけた。
「遥。陽次郎君に、我々の“戦い方”を教えてやってくれ」
運転席にいた強面の男が、静かに頷いた。
「はい、承知しました」
「おい、行くぞ」
遥に促され、陽次郎はどこか別の場所へと案内されていった――。