第一章 第二話 記憶の水底
みにきてくれてありがとうございます。
気がつけば、白い天井が目に映っていた。
薬品の匂い、機械の駆動音、硬いベッドの感触――ここは、病院だ。
陽次郎はしばらく天井を見つめていた。
夢だったのか? 本当にあれは……智子だったのか?
あの部屋に入ってきた男の言葉――「君には、これが人間に見えるのか?」
脳の奥にこびりつくように、何度も何度も反芻される。
目を閉じると、脳裏に不意に映像が浮かび上がった。
――誰かが運転している。
窓の外には、茜色の夕陽。運転席からは懐かしい鼻歌が聞こえる。
そして、後部座席には中年の男女が楽しげに話していた。
「……なんだ? この記憶は……」
鼻歌は知っている。けれど、思い出せない。まるで、子供の頃に聴いた子守唄のように懐かしく、切ない。
その瞬間だった。
黒い影が助手席の彼女に覆いかぶさる。
彼女は苦しみ出し、ハンドルを急激に切った。
車は横転し、コンクリートの壁に衝突。激しい衝撃と共に、視界は黒に塗り潰された。
息が詰まるような感覚。
胸に残った痛みは、記憶の断片などではなかった。
陽次郎の目から、音もなく涙が流れていた。
――あれは、智子と……両親の記憶だ。
間違いない。
でも、どうして自分の中にある?
死んだ人間の記憶が、どうして自分の頭の中に流れ込んでくる?
そのときだった。
「おーい、大丈夫ですか? おーい?」
かすれた声。くぐもったような呼びかけ。
横を向くと、そこにいたのは――
ニット帽を深く被った、10代半ばくらいの青年。
帽子は鼻筋のあたりまで覆っており、顔の表情はほとんど読み取れない。
だが、その存在を見た瞬間、陽次郎の身体が本能的に震えた。
「君……誰だ……?」
少年は首をかしげ、微かに笑った。
「“見えちゃった”んですね、あなたも」
その声は、異様に澄んでいて、それでいて地の底から響くような重さを帯びていた。
読んでくれてありがとうございました。