表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
92/203

比類なき美しさ

カリ・アストラリアは、自室の浴室にある石造りの湯船に静かに浸かっていた。

湯面から立ち上る蒸気が、彼女の鼻先を優しくくすぐるように漂い、目を閉じた彼女の心をそっと癒していた。

湯気は肌を包み、胸元に水滴をつくっては、谷間をなぞるように流れていったが、カリはそれに気を取られることはなかった。

彼女の意識は、もっと遠くにあった。

最近になって、湯浴みの時間が格段に心地よく感じられるようになったのは、ひとえにエリックが調合してくれた錬金薬のおかげだった。

身体のこわばりを解してくれるだけでなく、心の疲れすらも軽くしてくれる。

さらには、体調そのものも整えてくれるように思えるのだ。

もしかしたら、それはただの錯覚かもしれない。

けれど、湯に浸かっているこのひととき、カリは確かに、自身の身体が少しずつ強くなっていくのを感じていた。

やがて湯船の赤みが消え、薬湯の成分がすべて彼女の肌に染み込んだ頃、カリは静かに立ち上がった。

石の床に濡れた足音を響かせながら、ゆったりと歩き、タオルを手に取って柔らかく身体を包む。

さらにもう一枚のタオルを手に取り、濡れた髪を丁寧に拭いはじめた。

浴室の床に埋め込まれた石造りの湯船からは、まだ湯気が立ち上っていた。

そのため、体を拭くには少し難があった。

カリはバスタオルを軽く巻いたまま、私室の浴室を後にして、寝室へと足を運んだ。

タイル張りの床は、カーペットへと変わる。

素足が柔らかな繊維を踏みしめるたびに、小さな音が響いた。

ひんやりとした空気が火照った肌に触れた瞬間、カリの身体には鳥肌が立ったが、彼女はそれを気にせず、そのまま衣装箪笥へと歩みを進めた。

足元まで届く淡い桃色のナイトガウンを身にまとい、カリはようやく鏡の前に立って、自分の姿を静かに見つめた。

多くの人から「絶世の美女」と称されたことは、一度や二度ではない。

貴族たち、友人たち、平民までもが、彼女の容姿を賞賛してきた。

一日として、誰かから美しさを褒められない日はなかった。

けれど──その言葉が、彼女の心に響いたことはなかった。

エリックだけが、彼女に「美しい」と思わせてくれた。

客観的に見て、彼女は確かに美しかった。

それは本人も理解している。

だが、彼に出会うまでは、その美しさに何の意味も見いだしていなかった。

以前の彼女は、目に入った服をそのまま身に着けていた。

でも今は──図書館に行く前に、何を着るべきか考えるようになった。

彼の前では、綺麗でいたい。

そう思うようになったのだ。

最近、少し肌の露出が多い服を選んでいたのも、そのためだった。

そのことを思い出し、カリの頬はほんのりと赤く染まった。

だが、その感情もすぐに消え、代わりに小さなため息と共に口元に陰りが浮かぶ。

「フェイも彼のことが好きなのよね……」

その事実は、彼女の胸を締め付ける。

たしかに、エリックがフェイの想いを断ったと知った時は、心が高鳴った。

でも同時に、胸の奥がチクッと痛んだ。

彼が迷っているのは明らかだった。

何より──フェイは、かつての親友だったのだ。

あの燃えるような赤髪の少女と、また心を通わせたい。

エリックとの関係以上に、そう思う気持ちが彼女の中にはある。

「チャンスがあれば、ちゃんと話してみよう」

そう自分に言い聞かせて、鏡から視線を外すと、カリは部屋の奥にある窓辺へと向かった。

窓枠にそっと手を添えて、遠く下に広がるネヴァリアの街を見下ろし、そしてさらに視線を上げる。

その先にそびえるのは、彼女がいつか訪れてみたいと願う「魔獣山脈」だった。

「いつか、エリックとフェイと一緒に、あそこを旅できたらいいな……」

ぽつりとつぶやく彼女の顔に、双つの月の淡い光が優しく降り注いでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ