カリの素性が明かされる
この二日間は、修行計画の立案に費やしていた。購入した地図を使って、理想的な修行場と思われるいくつかの場所に印をつけていく。ネヴァリアを取り囲むように十六の滝が存在しており、そのどれもが十分に街から離れていた。霊力を解放しても感知される心配はなさそうだった。
日中は図書館の仕事があるため、実際に修行に出かけられるのは夜だけだ。とはいえ、図書館での仕事はすでにほとんど片付いていた。本を棚に戻す必要もなければ、床も掃いてある。テーブルや本棚の掃除も終えて、ついでに裏の書類整理まで済ませていた。
だからこそ、今こうしてカリと並んで座り、会話を楽しんでいた。
階段のところで初めて話したあの日以来、カリとは会っていなかったが、それは彼女が授業に出ていたからだ。彼女はとても礼儀正しい。ここ二日ほど顔を出せなかったことを、まるで自分に非があるかのように謝ってきた。そんな必要はまったくなかったのに。
今回の話題は、カリが読んでいた一冊の本についてだった。内容は、死にかけの夫を救うために旅に出る若き女性の冒険譚。彼女は数々の危険を乗り越え、魔獣と戦い、そして知らなかった自分自身の一面を発見していく。だが、この物語は悲劇で終わる。彼女が長い旅を終えて帰ってきた時、夫はすでに亡くなっていたのだ。
「なんだか、悲しい話だな」と、カリが語り終えた後に俺は呟いた。
彼女は小さく頷いた。だが、その笑顔は崩れなかった。「ええ、でも現実に即した描き方だと思うの。どれだけ努力しても、できることとできないことがある。どれだけ強くなったとしても、人生には抗えない運命ってあると思うの。」
「そうだな」と、俺も静かに同意した。
カリが語っていたのは、おそらくグラント・ロイヒトとの婚約話についてだろう。だが、俺の頭の中にあったのは、かつて第七界層の大覇王に殺された彼女の姿だった。何ができたのか、どうすれば違う未来を迎えられたのか──何度も考えた。だが、何千年かけて悩んだところで、答えは変わらない。あの時の俺には、力がなかったのだ。
今は違う。俺は過去に戻ってきた。やり直すチャンスがある。そして、前回起こったことを、今度こそ絶対に繰り返させない。
カリが本の話を終えたあと、会話の話題が変わった。
「魔獣山脈には、古代文明の遺跡がたくさんあるって聞いたの。」
カリの目はキラキラと輝いていた。まるで、自分がその遺跡を探検する様子を想像しているかのようだった。
「いつか行ってみたいなって、ずっと思ってるの。」
彼女の様子に微笑みながら尋ねた。
「行けないのか?」
彼女は少し寂しそうにため息をついた。
「行けないというか……許されてないの。」
「どうして?」
「理由があるの。」
そう言って、カリは視線をそらした。
「アストラリア王家の王女だから、って理由か?」
俺は片眉を上げて言った。
「えっ……どうしてそれを……?」
カリは息を呑んだ。
俺の頬を一筋の汗が伝った。
「いや、そんなに難しいことじゃなかったよ。言葉遣いは丁寧で洗練されてるし、服も質素に見えて高級な生地で仕立てられてる。何より、あんたはとんでもなく綺麗だ。それに、毎回俺が図書館から出るたびに、他の連中が俺を睨んできたり、“カリ王女と話してるなんてずるい”ってヒソヒソ言ってるのを聞いたことがある。」
次々に彼女の正体を裏付ける事実を挙げていくうちに、カリの顔はみるみるうちに赤くなっていった。まるで火がつくんじゃないかと思うほどだった。そんな彼女を見て、俺はつい笑みをこぼしてしまった。
「ごめんなさい……」
カリは小さな声でそう謝った。
「身分を隠していたことを?」と俺が聞くと、カリはコクンと頷いた。俺はしばらく彼女を見つめた。
「それを謝る必要はないと思うよ。君が自分の正体を隠していたのは、俺が君を特別扱いするのを恐れたからだろ? でも運が良かったな。この図書館では誰もが平等だ。王女だろうが、物乞いだろうが関係ない。静かにしなきゃいけないのはみんな同じさ。」
俺が口元に指を当てて“静かに”のジェスチャーをすると、カリは呆れたように俺を見つめた。でも次の瞬間、彼女は口元に手を添えてくすくすと笑い出した。俺の口元にも自然と笑みが浮かんだ。彼女の気持ちが少しでも楽になったなら、それだけで十分だった。
「とはいえ、もし本当に自分の正体を明かさなかったことを悪いと思ってるなら、ひとつ頼みがあるんだ。」
俺がそう言うと、カリはぴたりと笑うのをやめて、少し身構えた。
「……なに?」
「俺もいつかは、この世界を旅して回りたいと思ってるんだ。ネヴァリアの外には、まだまだ俺たちの知らないことがたくさんある。」
——想像を超えるほど、たくさんのことが。
「今はまだ何もできないけど、いずれは必ず行くつもりだ。」
俺は目を輝かせているカリを見つめながら、柔らかく微笑んだ。
「そのときが来たら……君にも一緒に来てほしい。」
「それは……どうだろう……」
カリは戸惑いながら言葉を濁した。
「行きたくないのか?」
「い、行きたい!」カリは慌てて答えた。
「行ってみたいに決まってる!でも私は……」
「家族のことが心配なんだろう? だったら大丈夫。」
俺は片目をつむって、ゆっくりとウィンクしてみせた。
「そのときが来たら、君と一緒に――こっそり逃げ出そう。」
カリは、俺の言葉を冗談だと思ったらしい。楽しそうにまた笑い出した。俺が本気だったとは、気づいていないようだ。だが、訂正するつもりはなかった。
今の俺にできるのは、彼女の気持ちを軽くすることだけ。
だが、いつか必ず俺は変える。
――この目の前の少女は、鳥かごの中に閉じ込められるような存在じゃない。
不死鳥は、空を翔けてこそその翼を広げられるのだから。
****************
運よく、今日は午後までしか仕事がなかった。ナディーンさんが代わりに来てくれた瞬間、俺は地図を掴んでネヴァリアの外へと向かった。
今回は東門から出ることにした。北門よりもかなり遠く、馬車で行くなら二時間はかかる道のりだが、今は慎重でいたかった。他の人々に紛れるようにして、静かに街を出た。ネヴァリアから出るのは自由だった。魔獣山脈に至るまでの周囲の森もネヴァリアの領地であり、魔獣こそいないものの、狼や蛇といった危険な動物、食用として狩られる大型の猪などが生息している。
木々や茂みの間を縫うようにして、俺は地図を頼りに森の奥へと進んだ。この先、六キロほどの場所に滝があると記されていた。
滝にたどり着くまでに思った以上の時間がかかったが、広い空間に出た瞬間、俺は満足げに頷いた。かなり開けた場所で、滝そのものも十数メートルはあろうかという高さだった。滝の下にはいくつもの岩が重なり、その水は広い湖へと流れ込んでいた。
俺はすぐに服を脱ぎ、きちんと畳んでから、勢いよく水へ飛び込んだ。冷たい水に肌が包まれ、鳥肌が立ったが、そんなものは無視して、そのまま滝へと泳いでいった。
泳いでいるうちに気づいた最大の問題は――俺の体力が、正直言って、ひどいものだったということだ。ある距離まで進むと、滝から流れ落ちる水の勢いが強すぎて、前に進むのが困難になった。どれだけ腕を掻いても、その場から動いていないように感じる。それでも歯を食いしばって、ゆっくりと前進し、ようやく岩場にたどり着いた。
もし滝の流れに逆らって泳ぐのが「困難」なら、その滝の真下に立つのは「不可能」だった。滝の下に入った瞬間、何トンもの水が全身を押し潰し、俺の体は岩に叩きつけられた。動くことさえできない。立ち上がるどころではない。骨が無数の拳で打たれ続けているような、そんな痛みだった。
口の中を噛み、血を流しながら、俺はスピリチュアル・パワーの堰を切った。
予想通りだった。スピリチュアル・パワーを解放した瞬間、それは体から溢れ出す激流となって炸裂した。淡い青色のエネルギーが四方に広がり、もし水がなければ、天を突く光柱になっていただろう。
途端に圧力が消え、俺はようやく体を起こすことができた。あらかじめこの圧倒的な力の流出を覚悟していたため、意識を失うことはなかった。だが、自分の体から溢れ出るスピリチュアル・パワーが、何トンもの水を頭上からせき止めているのを見て、俺は深いため息をついた。
――これを制御するのは、想像以上に難しそうだ。
次の章です。本当はもっと早く投稿するつもりだったのですが、できませんでした。ごめんなさい。楽しんで読んでもらえたなら嬉しいです!