未来への買い出し
すでに商業区にいたので、次は服屋に向かった。入った店は、既製品の服を扱うブティックと、仕立て屋の工房が合わさったような造りだった。店内には既製服も多く並んでいたが、それ以上に目立っていたのは、種類豊富な生地の数々だった。壁には色も硬さもさまざまな革が掛けられ、棚には何種類もの絹がきれいに折り畳まれている。綿や羊毛、それに耐久性に優れた厚手の布地もあった。すべてが展示棚やテーブルの上に並べられていた。
俺が求めていたのは、特注の修行用の服だったので、既製品には目もくれず、代わりに三十代半ばくらいの年上の女性に近づいた。彼女は今、成人したばかりのように見える若い女性の採寸中だった。その女性――いや、少女と呼んだ方がいいか――は上半身裸で、紐で結ばれた緩めの下着しか着けていなかった。
「ちょっと待っててね」と、女性は後ろを振り向かずに言った。
この人、よく俺の存在に気づいたな。耳が良いのか、あるいはただの勘か。まあ、彼女が忙しそうだったので、俺は店内の布地を見て回ることにした。正直、裁縫の知識は皆無だから、どの素材が適しているかなんて見当もつかない。これまでに着てきたのは、ドロゴンの皮、アクロマンチュラの絹、そしてミスリル製の鎧くらいだった。
女性が俺に声をかけてから五分ほど経った頃、彼女は少女の採寸を終えた。しばらく話したあと、少女は服を着て帰っていった。そしてついに、年上の女性がこちらに振り向いた。
大きな緑の目が、俺の服をまるで罪人でも見るかのような目つきで見下ろしてきた。まあ、服のボロさを考えれば否定はできないが、ちょっと失礼じゃないか?
彼女の赤茶色の髪には、ところどころ白髪が混じっていた。顔に深い皺はなかったが、目尻には年相応の小じわが見えた。
「当ててみましょうか。服が必要なんでしょう?」と彼女は言い、また俺の格好をじろじろと見た。
俺は思わず目をぐるりと回したくなったが、なんとか我慢した。「そうですね。ただ、僕が欲しいのは、特別なデザインの特注服なんです」
「ほう?」彼女は目を細めて俺を見た。「じゃあ、その服について詳しく聞かせてくれる? その間に採寸するから。はい、脱いで」
俺はシャツを脱ぎ、ズボンも下ろした。さっきの少女とは違って、俺の下着はブリーチだった。男ならほとんどがこれを履いているし、一部の女もそうだ。けど、女性にはあの紐の下着が人気らしい…まあ、カリが言ってたけど、あれは男に口説かれてる時に履くもんなんだとか。
俺が服を脱ぎ、上半身をさらした瞬間、その女性の口から驚いたような奇妙な声が漏れた。目を丸くしてこっちを見ているのがわかると、自然と眉がひそまった。そのうえ、頬にわずかな赤みが差しているのを見て、さらに眉間にしわが寄った。
「何か問題でも?」と尋ねる。
「いえ、別に問題なんてないわよ」女性は首を振り、すぐに気を取り直した。「そこに立って。今から採寸するから」
言われた場所に移動し、俺はおとなしく測定されるままにした。彼女は結び目のついた紐を使い、腰から足首、胴体の周囲、腕の長さ、肩幅、胸囲など、細かく測っていった。その間も、会話は続いた。
「で、どんな服を作ってほしいのか教えてくれる?」
俺は頷き、求めている内容を説明した。
「ベスト、ズボン、前腕用のヴァンブレイス(腕当て)が欲しい。全体に、五センチ×十センチのポケットを可能な限り密集して配置してほしい。そのポケットは簡単に破れないくらい丈夫で、重さに耐えられるようにしてくれ。ヴァンブレイスにも同じ仕様のポケットが欲しい」
俺がそう説明すると、目の前に立っていた彼女の顔が、困惑で歪んだ。何を言っているのかまったく分からない――という表情だ。その表情が逆におかしくて、思わず口元が緩んだ。どうやらこんな注文をしてきた奴は、今まで一人もいなかったらしい。
「まあ……やろうと思えば、できなくはないわね」数秒の沈黙の後、ようやく彼女がそう口にした。「ただし、かなり時間がかかるわよ」
「どのくらい?」
「そうね……三十日くらいは見てもらいたいわ。他にも注文が入ってるし、あなたのは特殊な依頼だから、それなりに時間がかかるの」
三十日――つまり半月より一日と半分ほど短い期間だ。それだけの時間がかかると聞いて少し落ち込んだが、正直なところ、今は身体を鍛える前にやるべき重要なトレーニングが他にあることもわかっていた。
「それで構わない」
「では、前金として半額を支払ってもらうわ」
俺は一瞬だけためらったが、すぐに問いかけた。
「その半額って、いくらになる?」
「あなたの依頼内容だと、普通よりも布を多く使う必要があるし、耐久性のあるしっかりした生地じゃなきゃ無理。そうなるとコストが上がるわね」
彼女はそう言ってから、最後の測定を終え、一歩下がった。そしてしばらく俺の身体をじっと見つめてから口を開いた。
「総額で5,000ヴァリスくらいになると思うわ」
「ってことは、前金で2,500ヴァリス必要だな」
「そうなるわね」
「いいだろう」
俺は彼女に前金を支払ってから、店を出た。そのまま商業地区の反対側にある薬草店――つまりアポセカリーへ向かう。
店に入ると、左右を見渡す。室内にはテーブルや棚、陳列台が並び、さまざまな錬金用の素材が所狭しと置かれていた。中に入った瞬間、鼻をつくような強烈な匂いが漂ってきて、思わず鼻をしかめる。
硫黄のような、鼻の奥にこびりつく強烈な臭いだった。
カウンターの奥には、ひとりの男が座っていた。俺が店に入ると、男は顔を上げた。そして、俺の見た目を一瞥しただけで眉間に皺を寄せた。錬金術師のローブを着ていない俺を見て、ただの冷やかしだと思ったのだろう。
その表情を無視して、俺はカウンターまで歩き、チュニックの内側から巻物を取り出して、木のカウンターの上に置いた。男は巻物をじっと見つめていたが、何をすればいいのかわからないような顔をしていた。
「このリストにある素材を買いたい」
できるだけ真剣な声でそう伝えた。
男のしかめっ面はさらに深くなったが、それでも巻物を手に取り、広げて中身を読み始めた。すると、徐々にその目が見開かれていく。俺と巻物を交互に見比べて、最終的には俺をじっと見つめた。
「…あんた、錬金術師か?」
まるで信じられないとでも言いたげな口調だった。
「ほんの少しだけ調合ができる程度だ」
正直にそう答えた。
男はもう一度巻物を見てから、言った。
「この材料ならある。少々お待ちを」
彼は立ち上がると、奥の扉を開けて店の裏へと消えていった。表の店はあくまで陳列用であって、実際の商品はすべて奥に保管されている。中には傷みやすい素材もあるため、保存状態を保つための環境が整っている裏手で管理しているのだ。
しばらくして男が戻ってきた。両手にはいくつかの袋を抱えていて、それをテーブルの上に並べると、今度は天秤と分銅を取り出して、一袋ずつ丁寧に計量していく。
「さて…」男は独り言のように呟いた。「紫草が2,000グラム、ニルンルートの削り粉が1,000グラム、カルト根がもう2,000グラム、それから霊素の瓶詰めが1本だな」
それぞれの素材を袋に分けてから、俺の前に並べる。
「これで化粧品でも作るのか? 貴族の女どもには今そういうのが流行ってるらしいぜ。…ともかく、合計で6,000ヴァリスだ」
代金を払い、袋を抱えて店を出た俺の頭の中は、困惑でいっぱいだった。
家へ向かって歩きながら、さっきの男の言葉について考えた。
確かに、俺が買った素材は美容用品にも使える。しかし、それだけではない。適切に混ぜ合わせて精錬すれば、俺が必要としている修行用の錬金薬を作ることができる。
この錬金薬はそれほど珍しいものではなく、製作も難しくない。
だが、あの男は、これらの素材がそんな使い方ができるとは微塵も思っていなかったようだった。
……何かがおかしい。
そう感じたが、首を振って不安を振り払った。
いったんこの材料を部屋に置いたら、もう一か所、寄るべき場所がある。
錬金術師協会だ。
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俺は、いくつもの大きな建物に囲まれた空の中庭に立っていた。
そこにいる人間は驚くほど少なく、数えたところ全部で四十五人ほどしかいなかった。しかもそのうち錬金術師らしき者はたった五人。残りの四十人は、三十五歳から六十歳くらいの女性たちだった。
建物そのものは、かつては威厳を放っていたのだろうとわかる。
石造りの壁には龍の意匠が彫り込まれており、屋根は陶器製の瓦で飾られていた。入り口には、巨大な龍の石像が左右に鎮座している。
そして、その奥にそびえると思しき主殿の門――赤く塗られ、金の鋲が打たれた巨大な扉――もまた、かつての栄華を物語っていた。
だが、それは“過去”の話だった。
アルケミスト協会の外壁は色あせ、建物のいたるところに亀裂が走っていた。
陶器の瓦はところどころ欠け、龍の像も風雨にさらされて苔まみれ。
門も、まともに閉じるのか怪しいほどボロボロになっていた。
一言で言えば――荒廃していた。
屋台の奥で何かを売っている錬金術師たちに目を向けると、そこに並べられていたのは薬ではなかった。
売っているのは軟膏や化粧品のようなものばかり。
その顔に浮かぶ表情は皆一様に暗く、希望の光など一切ない。
この一帯に漂う“絶望”は、もはや視覚化できそうなほど濃かった。
困惑の表情を浮かべたまま、俺は一つの屋台へ近づいた。
男が顔を上げ、俺の姿を見てピクリと反応する。彼の顔にも、俺と同じような戸惑いの色があった。
「……お買い物ですか?」
「錬金道具一式を探しているんだが」
俺の視線は、彼の屋台に並んでいた品に向けられた。並んでいたのは――美容用のクリーム、粉、ローション類ばかり。錬金薬どころか、薬草すらなかった。
「錬金道具? もしかして、あなたは錬金術師ですか?」
男は俺のぼろ服を見て、そう訊いてきた。まあ、服装で身分を判断するのはこの世界では自然なことだ。
気にせず、俺は返した。
「多少、精錬の心得はある。そこまで大層なもんじゃないがな」
「錬金道具一式なら、取り扱ってますよ」
男はため息を交えてそう答えた。「ただし、購入されるなら、あそこの建物に行ってもらう必要があります」
男が指さした先にあったのは、小さな一軒家のような建物だった。
平屋で、形は正方形。広さはせいぜい五十平方メートル程度だろうか。
建物自体はほとんど木造だったが、基礎部分だけはしっかりと石で固められていた。
「ありがとうございます」
俺は男に一礼し、その建物に向かって歩き出した。
背後で彼が浮かべた、あまりにも痛ましい表情――それが目に焼き付いて離れなかった。
店内に入ってみると、置いてある物は非常に少なかった。
いくつかの棚には薬局で見たような素材が並んでおり、
それ以外では、いくつかのテーブルに錬金術セットが並べられている程度だ。
店の奥には一つだけ机があり、そこに若い男が立っていた。
その男は俺より数歳年上に見えた。
肩まで伸びた赤髪には、ところどころ橙のような色が混じっていた。
顔色はやや青白く、目は茶色。
着ている服は、絹のズボンに赤いウールのチュニック。見た目は裕福な商家の息子にも見えるが、
近づくまでもなく、それらが相当着古されているのがわかった。
「錬金術セットを一式、欲しいんだが」
俺がそう告げると、男は苦笑を浮かべた。
「錬金セット、ね。まあ、今うちで売れる物といえば、それくらいしか残ってないけどな」
男は振り返ると、背後の壁に設けられた収納棚――キュービクルのような区画――から一つの箱を引き出し、机の上に置いた。
箱には留め具がついており、それを外して蓋を開けると、中には錬金道具一式が整然と収まっていた。
「これで間違いないか?」
俺は錬金術セットを覗き込んだ。
中に入っていたのは、150mLのビーカーが二つ、250mLのビーカーが二つ、500mLのビーカーが一つ、
100mLのフラスコが三つ、250mLのフラスコが二つ、500mLのフラスコが一つ、
500mLのメスシリンダーが一つ、蒸発皿が二つ、撹拌棒が二本、250mLの洗浄瓶が一つ、
すり鉢と乳棒、そして小型の錬金釜。
それぞれの道具は、衝撃で揺れたり割れたりしないよう、
ぴったりと収まる窪みの中に整然と並べられていた。状態も悪くない。
「悪くないな」
俺は頷き、男に顔を向けた。「いくらだ?」
「24,000バリスだ」
……高いな。
ミッドガルドなら、こういった基本的なセットはせいぜい12,000バリス程度だ。
だが、薬局の店主が言っていたことや、この錬金術協会の空気の重さを思い出す限り――何かがおかしい気はしていた。
今の状況を考えるに、値切るつもりはなかった。
俺はただ黙って24,000バリス分のコインを取り出し、彼に渡した。
若い男は俺の差し出したプラチナコインを見て、目を見開いたまま固まっている。
このボロ服の俺がそんな大金を持っているのが、よほど意外だったのだろう。
「なあ、一つ聞いてもいいか?」
男がコインを数えている間に、俺は口を開いた。
「どうしてこの協会は、こんなにも寂れてるんだ?」
「……見りゃ分かるだろ。錬金術そのものが落ちぶれたからさ」
その言葉には、投げやりな皮肉と諦めの色が混じっていた。
「百年以上も前の“大火災”以来、ほとんどの錬金術のレシピが失われちまったんだ」
彼は深く息をつき、頭を横に振る。
「今じゃ美容クリームや、火傷や切り傷用の初歩的な治療軟膏くらいしか作れない。
誰も錬金術なんて必要としてねぇさ。回復なら“霊水術”の方がよっぽど早くて効果的だからな」
「そうだな」
俺はそう返したが、本心ではけっこう驚いていた。
けれど、それを顔に出すつもりはなかった。
「数は合ってるな」
男はコインを全て数え終え、肩をすくめながら言った。
「おめでとう、これでお前さんも基本錬金術セットの持ち主だ……まあ、それで何ができるかは知らんけどな」
皮肉交じりの言葉が少しばかり鼻についたが、不快というほどでもなかった。
あの男もそうだったが、この青年も希望を失いかけているように見える。
俺は礼を言い、錬金術セットを手に取った。
落とさないように慎重に持ちながら、協会の入り口から外へ出て、ゆっくりと階段を降りていく。
歩きながら、さっき知ったことについて考えていた。
確かに、“霊術”があれば、物理的な怪我を癒やすのは容易い。
だが、錬金術はそもそもそういった肉体の治療を目的とした技術じゃない。
錬金術の本質は、“霊”を癒すことにある。
霊力の乱れ、魂の腐食、精神の毒――そういった、霊術では治せない病が世にはいくつも存在する。
むしろ、下手に霊術を使えば悪化することだってある。
錬金術は、それらに対処するために生まれたんだ。
それに、錬金術は治療以外にも幅広く使える。これはミッドガルドでは常識だった。
――だが、ネヴァリアではどうやら、それが常識ではないらしい。
考えを振り払って、俺は歩みを進めた。
この知識は今すぐに役に立つわけではない。
いつか、錬金術協会の復興に力を貸すことができるかもしれないが、今の俺に必要なのは――
“強くなること”だけだ。
錬金術の本当の価値をこの地に広めるのは、その後でいい。
昨日は章を投稿できず、申し訳ありません。投稿するつもりだったのですが、ものすごく忙しくてできませんでした。今日はもし可能なら二章投稿したいと思っていますが、まずはその一章目です。大きな展開はありませんが、楽しんでいただければ幸いです。