失われかけた希望、そして過去の悪夢
俺は虚無の中を漂っていた。
身体が消え、魂だけが果てしない空間を彷徨っているかのような感覚。時間の感覚も存在しない。どれほどの時が経ったのかも分からない。数日か? 数ヶ月か? あるいは、何年か? だが、そんなことはどうでもよかった。
あのとき俺が集めた仲間たちは、おそらくもう誰も生きていない。ネヴァリア滅亡後に救った人々も、俺が砂漠を越える途中で背負ったあの少年も、そしてカリ……きっと全員、もうこの世にはいない。
それでも、なぜ自分だけが死んでいないのか。いや、本当は死んでいて、それに気づいていないだけかもしれない。何も感じない、何も分からない。
だが、そのときだった。頭の奥から鈍い痛みが湧き上がってきた。虚無が少しずつ消え、代わりにまぶたの向こうに微かな光が差し込んできた。
気がつくと、俺は目を開いていた。
視界に入ったのは、波打つ天井のようなもの。揺れるその布をぼんやりと見つめながら、自分の身体が何かに揺られていることに気づいた。頭が割れるように痛い。身体も節々が軋み、ひどく重い。だが、俺は生きている。それだけは確かだった。
ここはどこだ?
天井の布、そして身体の揺れから判断して、何かに乗っているようだった。おそらくは馬車。意識を失う直前、遠くに馬車のような影を見た記憶がある。あれが俺とカリを助けたのか。
カリ――
その名前を思い出した瞬間、心臓が跳ねた。彼女の身を案じる気持ちが込み上げてくる。
無理やり身体を起こそうとした。だが、起き上がれない。何かが俺の上に乗っていた。
見下ろすと、そこにはカリがいた。俺の胸に寄り添うようにして眠っている。彼女の顔は蒼白だが、呼吸は規則的で、微かに胸が上下しているのが分かる。
「……よかった……」
安堵のあまり、涙がこぼれそうになった。生きていた。彼女だけは……生きていた。
力が抜けた。腕を回し、そっと彼女を抱き寄せる。それだけで、俺の胸の中にあった絶望が少しずつ溶けていくような気がした。
どれほどの時間が経ったのか分からない。ただ、馬車が揺れ続けていたことだけは確かだった。
そして、ついに馬車が止まり、外から声が聞こえてきた。
「よし、今夜はここで休むぞ! 火を起こせ!」
「了解だ、親方! あの二人を見てくるのか?」
「そうだ。そろそろ目を覚ましてるかもしれん」
足音が近づいてくる。砂を踏みしめるような音……いや、違う。砂と金属が擦れるような、妙に耳に残る音だった。
その音が俺のすぐそばまで来ると、足元の布が捲られ、暗い顔が覗き込んできた。
その男は、俺が今まで見たことのない風貌をしていた。褐色というよりも黒曜石のような肌。幅広で平たい鼻、夜空のように深い黒い瞳。四角い顎のラインが力強さを物語り、頭にはつばの広い帽子を被っていた。
男は俺の目が開いているのを見て、ほっとしたように微笑んだ。
「おお、生きてたか。安心したぞ。お前たち二人、相当危なかったんだ。何度か死にかけてたからな」
彼はそこで一息つき、帽子を取りながら笑った。
「悪い、名乗りが遅れたな。俺の名前はザン・ニェヴ。お前たちを拾った隊商のリーダーだ」
頷こうとしたが、喉が焼けつくように乾いていて、言葉が出なかった。
息を吸い込んだ瞬間、ひどく咳き込んでしまった。
「落ち着け、無理するな」
ザンが言う。「頭の上に水筒がある。干し革のやつだ。喉を潤してから話せ。何日も水を口にしていなかったからな」
指を伸ばして手探りで探すと、やがて柔らかい容器に触れた。中から水が揺れる音がして、喉がさらに乾く。
蓋を外して口元に運び、一気に水を流し込んだ。
温い水だったが、そんなことはどうでもよかった。
潤いが喉に染みわたり、生きているという実感が全身を駆け巡る。
俺はようやく蓋を閉め、水筒を横に置いた。カリが目を覚ましたときのために、少しは残しておかなければ。
「……俺はエリック・ヴァイガーだ。助けてくれて……感謝する」
かすれた声でようやく名乗ると、ザンは首を振った。
「礼には及ばないさ。この砂漠では、助け合いが掟みたいなもんだからな。とはいえ……」
彼の目が鋭くなった。
「だが、あんたたちは一体どうして無防備にエンドレス・デザートなんかを彷徨ってたんだ? 水も、日陰も、食料も持たず……正気の沙汰じゃないぞ」
「選択肢がなかったんだ……」
俺は目を伏せた。
「魔獣に追われて、逃げるしかなかった。……俺の判断ミスだ。砂漠がこんなに危険だと知らなかった」
ザンは重々しくため息をついた。
「初めてだったか……なら、無理もない。だが、そういう話なら納得だな」
「ひとつ……聞きたいことがある」
「なんでも聞いてくれ」
「……俺たちと一緒にいた、あの少年は……?」
俺が視線を上げて問うと、ザンの顔から笑みが消えた。
黙って俯く彼の表情を見て、俺はすでに答えを悟っていた。
あいつはもう、いない。
カリに想いを寄せて、俺にライバル宣言してきたあの少年。
負けては悔しがり、でも絶対に諦めなかった。
俺の過ちで、あの子も……
「今は、ゆっくり休め」
ザンが優しく微笑みながら言った。
「元気になったら、また話そう」
俺は頷き、何も言わずに目を閉じた。
再び闇が降り、静寂が戻ってくる。
悲しみと後悔が、波のように胸に押し寄せた――
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
今回の章から、過去編がさらに深く掘り下げられていきます。
エリックの過去には多くの悲劇があり、それらが彼を今の姿へと形作っていきます。
少し短めの章ではありましたが、緊迫感や緊張感を感じていただけたなら幸いです。
これから過去編もさらに動きが出てくるので、ぜひお楽しみに!
次回もどうぞよろしくお願いします!




