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フェインレアとの取り引き

前回の会話が影響していたのか、今日は錬金術師協会に到着した瞬間から、あの赤髪の若者――フェインレアの弟の態度が一変していた。

「エリク・ヴァイガー様」

彼は俺に向かって丁寧に微笑み、さらには一礼までしてみせた。

「再び協会長とお話でしょうか?」

「そうだ」

「ご案内いたします」

再び礼をしてから、俺に続くよう促す。

本当は『場所くらい分かる』と言いたかったが、無用な波風を立てるのも面倒なので、素直に従った。

フェインレアの部屋に通されたとき、彼女は書類ではなく、紫色の液体が泡立っているビーカーを睨んでいた。

背筋を伸ばし、眉間に皺を寄せて、その香りに包まれながら集中している。

空気に混じる香りだけで分かった。

――霊気と紫草を混ぜたものだ。

「霊気は煮沸すると効果が失われる」

俺は無造作に室内へと足を踏み入れながら言った。

「食材を加熱するとアルコールが飛ぶのと同じように、霊気も熱で成分が揮発するんだ」

「なるほど……失敗続きの理由が分かった気がするわ」

フェインレアは肩を落としてため息を吐いたが、すぐに笑顔を浮かべた。

「でも、来てくれたってことは――ヴァルスタイン家との話がまとまった、という理解でいいのかしら?」

「それが……完全にはいかなかった」

俺は首を横に振る。

「どうやらあちらも困難を抱えているようでな。最近では競売に出すような価値ある品が集まらず、出品者が減っているらしい」

「つまり……貴族たちが競売に来る理由がなくなってる、ということね」

フェインレアは不満げに腕を組み、椅子に背を預けながら息を吐いた。

「それは、厄介ね」

「だが、そう悲観する必要もない」

そう言って俺は軽く笑い、続けた。

「俺が知っている霊術の中に、目を引くものがいくつかある。まずそれを“餌”にして、貴族たちの注目を集める。その隙に丹薬もさりげなく混ぜて競売にかける。最初は注目されなくても、興味本位で誰かが買ってくれる可能性はある」

「そして、その誰かが実際に効果を実感すれば……評判が広がって市場でも売れるようになる」

フェインレアは頷きながら、口元に笑みを浮かべた。

「悪くないわね。商才があるのね、エリク」

「いや、俺が考えたわけじゃない」

俺は首を振る。

「これはカリが教えてくれた戦略を応用しただけだ」

「なるほど……」

フェインレアは興味深そうに俺を見つめたが、俺は話を戻すように口を開く。

「ただ、いくつか準備が必要なんだ。それで、今日改めてここに来た」

「何が必要なの?」

彼女が尋ねると、俺はすぐに答えた。

「無地の羊皮紙と、インク、それと羽ペン。そして――これらの素材も」

フェインレアはすぐに用意した羊皮紙とインク瓶に羽ペンを浸し、書き始める姿勢を取る。

そこで、俺は必要な素材を挙げていった。

「木片殻×3、ベイリーフハート×3、紫草500g、赤霊草500g、火霊シダの芯材100g、桜の葉22枚、ニルンルート8本、水属性Dランク魔核6個、火属性Dランク魔核6個、霊気4リットル」

一つ一つ挙げるたびに、フェインレアの表情が変化していく。

最終的に、目が飛び出しそうなほど驚いた顔でリストを見つめ、そして俺に目を向けた。

その顔には笑みが浮かんでいたが……

それは諦めと呆れが入り混じった複雑な表情だった。

「これだけの素材を要求するなんて、随分と図々しいのね」

ようやく口を開いたフェインレアが、呆れを混ぜた声で言った。

「中には希少なものもあるって分かってる? これを全部渡すなんて、うちの錬金術師協会にとってはかなりの負担よ」

「分かってる」俺は肩をすくめて答えた。

「だけど、これらの素材は全部、俺がオークションで売ろうとしている丹薬のために使う。もし金があるなら自分で買ってたさ。でも、今は一文無しなんだ。代わりに、これらの素材を貸してくれるなら、俺が錬成する過程を見せてやる。それに加えて、作り方も教える」

その言葉はまるで万能薬だった。

フェインレアの目が輝き始め、次の瞬間には満面の笑みを浮かべていた。

素材を無償で提供することでの損失など、もはや彼女の脳裏から消え失せたようだった。

「どうやら、お互いにとってかなりの利益になる提携になりそうね」

満足げに彼女が言った。

「ちょうど良かったことに、大半の素材は手元にあるわ。足りない分は、弟に使いを頼むわね。いつまでに欲しいの?」

「できるだけ早く。できれば今すぐにでも」

俺は真剣な顔で答えた。

「今日中に全部の丹薬を錬成するつもりなんだ。明日ヴァルスタイン家と会う前に、少しでも余裕を作っておきたい」

「分かったわ。じゃあ、まずは今ある素材を出して、それをあなたの作業場に運びましょう」

フェインレアは頷きながらそう提案した。

そして、彼女は足りない素材をリストアップし、それをバルス袋と共に弟に渡す。

赤髪の若者は真剣な顔で頷き、錬金術師協会を後にした。

弟が素材を買いに行く間、フェインレアは俺を倉庫へと案内した。

そこは本館ではなく、精錬所の裏にある四角い建物だった。

大きくはなかったが、街中の一般住宅よりもずっと広かった。

フェインレアは大きな南京錠を外して鍵を開け、ギィィという音を立てながら扉を開く。

中に入ると、壁沿いに並ぶ棚が目に入った。棚の上には様々な植物が置かれており、小さな天窓から注がれる光によって、育成が行われていた。

だが、どこにもルーンが見当たらない。

俺は思わず眉をひそめた。

「補充の頻度は?」

歩きながら問いかけると、フェインレアは苦笑を浮かべた。

「かなり頻繁ね。祖父の話では、昔は素材を保存するためのルーンが刻まれた保管棚があったらしいけど、百年前の火災ですべて焼け落ちたの。その後は、腐る前に使い切るか、使えなくなったら捨てて補充するしかないの」

頷きながら、俺は一つの木製テーブルの前で足を止めた。

そこには数鉢の鉢植えが置かれていた。

葉だけが外に出ているが、その葉はハート型をしており、紫色に染まっている。

これは――ベイリーフハートだ。

回復薬の材料として使われることが多いベイリーフ。

だが、ベイリーフハートはさらに希少で、多くの丹薬の精製に使える重要素材でもある。

「じゃあ、これらの素材をあなたの部屋まで運ぼう」

「ええ、そうしましょう」

俺とフェインレアは、倉庫内から必要な素材を集めて運び始めた。

手に入ったのは、ベイリーフハート、紫草、ニルンルート4本、水属性の魔核、桜の葉、そして霊気2リットル。

二人でそれらを協会長室へ運んでいると、協会員たちが好奇の視線をこちらに向けていた。

「誰、あれ?」「……なんか見覚えあるけど?」「フェインレア様と一緒にいるあの子、誰だろう?」

通りすがりの錬金術師たちの声が耳に入るたびに、俺の眉がぴくぴくと動いた。 なんとか怒りを抑え込んで無反応を貫いたが、頬が熱くなるのを感じた。

フェインレアが隣でくすくすと笑う。

「……何も言うなよ」

俺が唸るように言うと、彼女は笑みを崩さずに頷いた。

「言わないわ」

その笑顔には、からかう気満々の色がにじみ出ていた。 ……やっぱり女に見える顔ってのは最悪だ。

「ところで、協会には今、錬金術師は何人いる?」

部屋へ戻ったあと、俺は話題を変えるようにして尋ねた。

フェインレアは肩を落としてため息をついた。

「私と弟を含めて、たった十人よ」

「たった十人か……」

落胆の色を隠さない俺の声に、彼女は顔をしかめた。

「最盛期には二百人以上いたらしいわ。でも、錬成法を失ったことで信頼を失い、年々加入者も減っていったの。最後に加入したのは三年前よ」

なぜか胸の奥が重くなるような感覚を覚える。

「錬成法を再現できる錬金術師はいなかったのか?」

「いたと思う。でも――」

「でも?」

フェインレアは唇を噛んでから、ゆっくりと答えた。

「火災で多くの熟練錬金術師が命を落としたの。生き残った人たちも、後になって自宅で変死体として見つかった……祖父は、誰かが彼らを暗殺したんじゃないかって言ってたわ」

言葉を飲み込みながら、俺は眉を寄せた。

彼女の話に嘘は感じられない。 だが――なぜ? 誰が?

錬金術は、たとえ修練者が少なくても重要な技術だ。 北方のミッドガルドにも錬金術師協会は存在し、高い地位を保っている。 そんな技術者たちを狙う意味とは――

思考の先で、ふと浮かんだのは魔獣の侵攻とネヴァリアの崩壊。

背筋に冷たいものが走った。

フェインレアは机を片付け、手早く高級な錬金器具を用意した。 俺の安物とは比べ物にならない精度の器具だ。

ビーカーやフラスコは数種類あり、すべて専用のスタンドに固定されていた。 加熱用の円形プレート――これはCランク火属性魔獣の魔核から作られた加熱装置――も備わっている。 霊力を注げば火を使わずに加熱できる優れものだった。

俺は「治癒丹(Tender Healing Pill)」を作るための素材を取り出しながら、フェインレアに錬金の基本を教えることにした。

「基礎は理解してるようだから省くとして、今回は素材の融合と、なぜ一部の素材が相性悪いのかって話をする」

まず紫草を250グラム、乳鉢に入れて潰し、ペースト状にする。 フェインレアは興味深そうに俺の手元を見つめていた。

「初期段階では、通常は水を使う。水は素材を混ぜやすくするための溶媒になる。霊気を使えばいいように思えるが、霊気は加熱で効果が飛ぶ。だから、霊気は丹薬の精製段階で使うんだ」

「……なるほど。霊気って万能なイメージがあったけど、逆に使いどころを間違えると意味がなくなるのね」

彼女は羽根ペンで革製のメモ帳に内容を書き留めながら頷いた。

「水には特性がないからこそ、溶媒として適している」

俺は潰した紫草を500ミリリットルのビーカーに入れた。 水が淡い紫色に変わっていく。

その後、俺は水属性のDランク魔核を取り出し、乳鉢で粉末状に砕く。

「治癒系の丹薬には、水属性の魔核が向いてる。水は“癒し”の性質を持っているから、ニルンルートの効果を底上げできる」

フェインレアは真剣にメモを取り続けていた。 その集中力は見事だ。

「ちなみに、なぜ赤霊草を使わないの?」

「赤霊草は“強化”や“再構築”に使う素材だ。霊力の一時的増幅に使う霊力増幅丹(Spiritual Booster Pill)や、身体を鍛える鍛体丹(Body Forging Pill)には向いてるが、治癒効果には適さない。紫草は治癒効果に特化してる」

そう言って俺はニルンルートを持ち上げ、小刀で少しずつ薄片に削いでビーカーへ落とした。 しばらく沸騰した湯の中で溶けるのを待ち、フェインレアの質問に答えながら、最後に魔核の粉末を投入し、かき混ぜ始めた――。

その時点で、ビーカーの中の液体は深い紫色に変わっており、霊力が抑えられているにもかかわらず、ぼんやりと光を放っていた。空気中には柔らかく甘い芳香が漂い、フェインレアはその香りを吸い込むと、今まで張り詰めていた肩がふっと緩んでいくのが目に見えて分かった。

俺はビーカーの下から加熱装置を外し、冷えるのを待つ間に、二リットルの霊気から百ミリリットルをフラスコに注ぎ、そこから錬成釜へと注ぎ込んだ。ビーカーの温度が十分に下がったところで、今度はその中身を錬成釜へ移し、雷が迸る中、木製のかき混ぜ棒で混ぜ合わせていく。

「ここからが丹薬錬成における最も重要な工程だ」

「霊力を注ぎ、素材の変質を促す……その部分ね。理屈は知ってるけど、実際に見るのは初めてだわ。近くで見てもいいかしら?」

「構わない」

俺が許可を出すと、フェインレアはゆっくりと隣に立った。

彼女の存在を意識しながらも、俺の集中はあくまで錬成釜に注がれていた。

錬成釜の中では、紫色の液体が霊力を受けて泡立ち、雷光が表面を走っていた。

俺は液体を球状に圧縮し始め、同時に外殻を硬化させ、安定した形を形成していく。

わずか三十秒ほどで錬成は完了した。

俺はそっと手を伸ばし、できあがった「治癒丹」を取り出して、フェインレアの前に差し出した。

彼女はまるで神聖な遺物を見るかのような、輝く瞳でその丹薬を見つめていた。

「……これが、本物の丹薬……なんて神秘的なの」

「これは下位等級の丹薬だ。上位等級のものになれば、必要な素材の数も効果も段違いになる」

「上位の丹薬も作れるの?」と彼女が問う。

「多少はな」と俺は肩をすくめた。「ただし、俺はあくまで“中級錬金術師”レベル。天才ではないさ」

「でも、私が知っているどの錬金術師よりもあなたは優れているわ」

フェインレアは微笑みながらそう言った。その表情はどこか安堵と希望に満ちていた。

「あなたの力があれば、この協会もきっと再興できる」

「それが狙いだ」

その後も俺は、一日中フェインレアの前で丹薬を錬成し続けた。

彼女は終始、目を輝かせながら俺の技術を見守っていた。

そして、疲労で全身が重くなった頃――

俺は、明日のオークションで目玉となる霊術の書をまだ作っていないことを、すっかり忘れかけていた。


今回は前回より少し長めの章になりましたが、楽しんでいただけたでしょうか?


読者の皆様にとって、物語のテンポや展開が心地よく感じられていることを願っています。これからもエリックの成長と、彼の築いていく絆や挑戦を丁寧に描いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。


それでは、次回もお楽しみに――。

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