出会って一か月
霊術師学院は、霊力を持つ若者たちが集まり、その力を学ぶ場所だった。かつては身分によって入学が制限されていたこともあったが、ヒルダ皇帝がその門戸を開いたことで、才能さえあれば誰でも霊術師を目指せるようになった。この改革に対して一部の貴族たちは不満を抱いていたが、彼女の決断によってネヴァリア国内の霊術師の質と数は大きく向上した。
カリは、そんな母のことを誇りに思っていた。本当に、心から。 たとえ自由を制限されたことで対立することがあっても、生み育ててくれた母のことを大切に想っている。
──いつかきっと、私は母に証明してみせる。自分の力で、この街の外にも出られるって!
広い廊下を歩きながら、カリは周囲の視線をできるだけ気にしないようにしていた。すれ違う生徒たちの視線が、彼女に向けられていることを感じていたけれど、気にしないよう努めていた。耳に入る囁き声も無視する。ヒルダ皇帝の娘というだけで、多くの人々が彼女に過剰な期待を寄せ、美貌や才能、家柄を褒め称える。
──でも、そんな人たちは、本当の私を知らない。 遺跡を探検したくて、冒険に出たいと願う私のことなんて。
……でも、エリックは違う。
彼のことを思い出すと、胸がぽっと温かくなる。彼と出会ってから、もう一か月が経つ。今の生活に不満がないわけじゃないけれど、そんな中でも彼の存在だけは心を照らしてくれる光だった。彼のそばにいると、自分を偽らずにいられる。ほんの一瞬でも、悩みを忘れさせてくれる。
そんな想いを胸に抱きながら、カリは教室の扉を開けた。
霊術師学院の授業は、講義形式で行われることが多い。教室はとても広く、座席は段差がついた階段状で、最大で五百人は収容できるように設計されている。生徒の数は五十人から百人ほどなのに、なぜこんなに大きな部屋が必要なのかと、カリは時々不思議に思うが、特に深くは考えなかった。
──きっと、大きく作るのが好きな人が設計したのね。
そんなふうに、勝手に納得していた。
教室に入ると、多くの視線が彼女に集まった。何人かの男子生徒が、いやらしい目で彼女を舐め回すように見ていて、思わず背筋がぞくりとする。それでも、カリはそれを気にしないふりをして、席を探すために階段を上がり始めた。
そのとき、一人の男子生徒が彼女の前に立ちふさがった。金髪に近い淡いブロンドの髪に青い瞳。貴族らしいつやのある白い肌。筋肉質というわけではないが、肩幅と胸板の広さは、濃い赤のチュニック越しでもわかった。革のベルトで腰を締め、左肩から右腰にかけてのストラップには、宝石のついたブロードソードが背負われていた。
「カリ様」
彼は礼儀正しく笑いながらも、目の奥には隠しきれない欲望を宿していた。「今日も美しいですね」
「ありがとう、グラント」カリは笑顔を浮かべながらも、内心で顔をしかめた。
「席を取っておきました。一緒に座りませんか?いろいろとお話しできれば嬉しいです。今後のことを考えると、今のうちに親睦を深めておいた方がいいでしょうし」
「ごめんなさい」カリは軽く頭を下げた。「今日は……ファイと一緒に座る約束をしているの」
グラントの目が一瞬光った。もし彼女が他の誰かだったら、その一瞬の怒りを見逃していただろう。しかし、カリはそれを見逃さなかった。彼の顔に浮かぶ笑みも、作り物のように固まって見えた。
「それなら、僕も一緒に座ってもいいかな?どうせ、僕たちはいずれ一緒に暮らすことになるんだし、今から仲良くなっておくのも悪くないと思うよ」
カリは必死に笑顔を保った。「ごめんなさい。でも、今日は“女の子の話”をしたいの。だから、二人きりで話させてもらえない?」
「そうか……それは残念だ」彼は作り笑いのまま頷いた。「じゃあ、また今度にしよう」
「そうね」カリは曖昧に返事をして、その場を足早に通り過ぎた。グラントの視線を背中に感じながら、彼女は階段を駆け上がり、ファイが座っている場所へと向かった。「ここ、座ってもいい?」
ファイは何度か瞬きをして、やや驚いた表情でカリを見上げた。目の下には少しクマがあり、今にも眠ってしまいそうな顔をしている。
「どうぞ」ファイは小さくあくびをしながら答えた。
「ありがとう」
席につきながら、カリはちらちらと隣のファイに目を向けた。話しかけるべきか、迷っていた。二人の間には複雑な過去がある。けれど、それでも話したい気持ちがあった。
「……少し疲れてるみたいね」カリはおそるおそる声をかけた。
ファイは少し驚いたようにまた瞬きをしてから、頷いた。「うん。最近ずっと修行ばかりしてるから」
「私もなの」その話題に食いつくように、カリは笑顔を見せた。「ブリュンヒルド教官がすごく厳しくて。でも、その分、強くなってる実感があるの」
「カリも修行頑張ってるんだね」ファイは少し笑みを浮かべた。「お互い大変だけど……でも、不思議と文句は出ないね」
「ファイにも先生がいるの?」カリはそう尋ねた。
ファイはしばらく黙ってから、ゆっくり頷いた。「うん。先生……っていうより、一緒に修行してくれる人がいるの。彼は、私のこと、すごく助けてくれてる。知識も豊富で、努力家で、その姿を見てると、私も頑張らなきゃって思えるの。しかも、私が知らなかったことを優しく教えてくれて……」
カリは机の下で手をぎゅっと組んだ。心臓が早鐘のように鳴っていた。言葉が喉に詰まりそうになるのをこらえながら、彼女は心の中で小さく祈った。しばらく迷って、ようやく口を開いた。
「その……もしよかったら、今度私も一緒に修行に……混ぜてもらえないかな?」
ファイは少し驚いたようだったが、すぐに首を振った。「カリの立場を考えると……きっと、よくないと思う」
「そっか……」カリの肩が小さく落ちる。泣かない。絶対に泣かない。「うん……そうだね。きっと、正しい判断なんだと思う」
「ごめんね」ファイは目をそらして呟いた。
「謝らないで」カリは優しく微笑んだ。
気まずい沈黙が流れる中、ようやく授業が始まった。
今回は少し短めのお話でしたが、カリ視点でお届けしました。楽しんでいただけたなら嬉しいです。




