カリのために
二日が、まるで瞬きする間に過ぎ去った。まあ、それだけ俺が忙しかったということでもある。図書館での仕事に、カリとの会話、そして修行。俺のスケジュールはびっしり詰まっていた。
二日目の朝、俺は鍛冶屋へと向かった。できるだけ欠伸をこらえようとしたが、結局、大きな欠伸が漏れてしまった。昨夜、俺はカリと初めて身体を重ねたときの夢を見ていた。目覚めた時には、それはもうどうしようもないほどの状態で……結局、自分で処理する羽目になった。夢の内容もあってか、妙な感情のまま朝を迎えたし、自分の手で処理したことに対しても、なんとも言えない気持ちになった。
……まあ、仕方ないか。
「早いな」
鍛冶屋の親父は、少し機嫌が悪そうだった。どうやら、まだ炉に火を入れてもいないらしい。
「今日はやることが多くてね。けど、あのシリンダーがなければ何も始まらない」
俺が肩をすくめながら言うと、鍛冶屋は深々とため息をついた。
「まったく、鍛冶職人にあんな簡単な物を頼むとはな」
そう愚痴をこぼしながら、机の上に置かれていた大きな袋を手に取った。中で金属がぶつかり合う音がジャラジャラと響く。そして俺の目の前に袋を突き出した。
「ほらよ。お前が欲しかったのは、これでいいんだろ? 次はもっと腕が試される仕事を持ってこい。せめて、職人としての誇りをかけられるような注文にしてくれ」
「もちろん」
俺は袋を受け取った。が、男の手が離れた瞬間、その重さに引きずられそうになる。両手でなんとか支えると、鍛冶屋の親父は満足そうな顔でニヤリと笑った。その皮肉な視線を無視して、俺は重い袋を抱えたまま鍛冶屋を後にした。
この袋を自室まで持ち帰るのは、ちょっとした訓練のようなものだった。いや、実際に訓練だったと言っていい。普段なら二十分で着く道のりが、一時間もかかってしまった。しかも、そこには階段の上り下りは含まれていない。
ようやく部屋にたどり着いたとき、背中は軋み、脚の筋肉は引き裂かれたように痛み、腕と肩は完全に使い物にならなくなっていた。俺は三十分間、動けずにベッドの上で力を蓄えた。
ようやく体力が戻ると、袋の中に手を突っ込んで、金属製のシリンダーを一つ取り出した。手の中でそれを回し、表面の滑らかさと形状を確認する。
頷くと、仕立て屋に作ってもらった腕当てを手に取り、ポケットの一つにそのシリンダーを差し込んだ。ぴったりと収まり、ガタつきもない。
「完璧だ」
俺は、満足げに微笑んだ。
シリンダーを片手に持ちながら、俺はもう一方の手に霊力を込め、人差し指に集中させた。指先が淡い青い光を帯び、バチバチと小さな火花を散らす。その光る指先を金属表面にそっと当てると、「ジューッ!」という鋭い音と共に蒸気が立ちのぼった。
……よし。ルーン刻印は問題なく使える。
俺は慎重に指を動かし、金属の表面にルーンを描き始めた。
ウルズ(Uruz)――肉体の強さ、速度、そして未開の可能性を意味するルーン。
ナウシズ(Nauthiz)――遅延や制限を象徴するルーン。
イサ(Isa)――挑戦や挫折。精神的な障害、思考や行動の停滞。
ダーガズ(Dagaz)――突破、覚醒、気づき。夜の不安に対する昼の明晰さ。計画や新たな行動の始まり。
それぞれのルーンを一つずつ丁寧に刻んでいく。細い線と渦巻き模様でそれらを繋ぎ、意味が一体となるように意識した。俺の手の動きには迷いはない。全ては計画通り――いや、もっと言えば、自分の意志を具現化するための行為だった。
全てを彫り終えたとき、さすがに少し疲れを感じた。肩を落とし、窓の外に視線を向ける。太陽はまだ天頂に届いていないようだった。まだ出発まで一時間はありそうだ。
その後、さらに六本のシリンダーに刻印を施すことに成功した。そして――図書館の勤務に向けて、準備を始めた。
ルーンを金属のシリンダーに刻み終えるまでに、結局十六日かかった。図書館の仕事さえなければ、もっと早く終えられたかもしれない。だが、仕事を辞めるわけにもいかないし、そもそも俺は図書館の仕事が好きだった。
あそこでは――カリに会えるからだ。彼女が霊術士学園の授業を受けていない時は、よく顔を見せてくれる。
全てのシリンダーにルーンを刻み終えた翌日、俺はいつも通り図書館を開けた。その日は何もかもが平穏だった。……少なくとも、本を所定の棚に戻していたその時までは。
「エリック……」
馴染みのある声に振り返ると、そこにはカリが立っていた。数歩先に立つ彼女の唇には、温かい笑みが浮かんでいた。
その日、彼女は袖のない緑色のドレスを着ていた。肩には薄い絹のショールが掛けられていて、胸元には小さな切れ込みが入り、雪のように白い谷間がほんのりとのぞいている。ショールと同じく、ドレスの素材も絹なのか、軽やかで肌にぴったりと馴染んでいた。丈は膝までで、彼女がいつも履く足首までの長いドレスとは違って少し珍しいスタイルだった。
だが――彼女は見事だった。足元にはシンプルなサンダルを履いていたが、それすらも彼女の気品を引き立てていた。
その存在感に、図書館にいた人々の動きが一瞬止まる。……が、常連の多くはすぐに作業に戻った。彼女がこの図書館をよく利用することは、すでに知れ渡っている。しかし、それでもなお、何人かの男たちは露骨に俺を睨んでいた。
俺は小さく首を振り、彼女に笑いかける。
「今日は早いな」
「授業がないの」と、カリは微笑みながら言った。
「訓練も?」
「ううん、今日は完全に休み」そう言いながら、彼女は手に持っていた巻物を俺に見せた。
「それ、地図か?」
「そうよ」彼女は嬉しそうに巻物を胸元に掲げ、誇らしげな笑みを浮かべた。「ネヴァリアの人たちが探索に成功した、魔獣山脈のいくつかの区域を示した地図なの」
「ん?」
思わず、間の抜けた声が漏れた。何と言っていいのかわからなかった。
しかし、カリはただ微笑んだだけだった。「先に二階に行ってるね。お仕事が終わったら来て」
「了解」
なぜ彼女が地図なんて持っていたのか、最初はよくわからなかった――だが、それもすぐに判明した。
俺が仕事を終えて二階に上がると、彼女はすでに地図を広げて、熱心に見入っていた。いくつかの場所には、濃いインクで丸が付けられていた。そこに描かれた詳細な図を見て、すぐに気づいた。
「……これって、遺跡か?」
彼女の隣に腰を下ろして尋ねると、カリの瞳がぱっと輝いた。
「そうなの!」
抑えきれないほどの興奮が、その声からも伝わってきた。
「これは、今までに発見されている遺跡の地図なの。たとえば、ここ――これは《大災厄》で滅んだ古代都市。ネヴァリアからも近くて、すでに調査が完了してるの。地図も全部作られてるよ。でも、こっちみたいに、発見はされたけど危険すぎて詳しく調査されていない場所もあるの。南にあるこの遺跡なんて、まるで神殿みたいで、昔の人々が神に祈っていた場所なんじゃないかって言われてるの」
彼女は地図を指しながら、ひとつひとつの遺跡について熱っぽく語った。その様子を見て、俺は彼女の意図に気づいた。
「……つまり、ここに行ってみたいんだな?」
俺が笑みを浮かべてそう言うと、カリの頬がぱっと赤く染まった。まるで小さな炎が両頬に灯ったかのようだった。彼女は両手を膝の上で組み、指をもじもじと動かしながら、視線をテーブルに落とした。額にかかる金色の髪が、彼女の恥じらう表情を隠すようにふわりと揺れた。
「前に……言ってたよね。もし私がお願いしたら、一緒に遺跡を探検してくれるって……」
カリは少し言い淀みながら、慎重に言葉を選んでいた。
「言ったよ。そして、それは本気だった」
俺は彼女の隣にもう少し寄って、テーブルにもたれかかるようにして地図を見つめた。
「最初に行くとしたら、どの遺跡を考えてるんだ?」
カリは一瞬、目を見開いた。まるで、俺が冗談を言っていると思ったようだった。しかし、俺が真剣な顔をしているのを見ると、彼女の表情はパッと明るくなった。朝日よりも鮮やかに、嬉しさが全身に広がっていくのがわかる。
彼女はすぐに、どの遺跡から試してみたいかを指差しながら説明してくれた。それらはすでに調査が済んでいて、危険性の低い場所だった。カリは、まず経験を積みたいから――まだ誰も調べていない場所へ行くのは、その後だと語った。
それが賢明だろう。未調査の遺跡は、魔獣山脈のさらに奥に位置している。そこには通常のスピリチュアリストでは到底太刀打ちできない魔獣たちが生息しているのだ。Bランクどころではない。Aランク、あるいはそれ以上。よくまあ、そんな場所まで足を踏み入れようと思ったものだと、内心感心していた。
「ところで……」
カリが不意に口を開いた。「その手、どうしたの?」
「手?」
俺は彼女に促されるまま、自分の手を見た。あの蛇に噛まれた時の手だ。傷跡はまだ残っていて、完全には癒えていなかった。それだけではない。薬指には、まるで棘のある蔓のような黒い線が浮かび上がっていた。
「昨日はこんなふうじゃなかったんだけどな……」
「何か、起きてるのかもしれないね……?」
カリは不安げに俺の手を見つめながら、静かに言った。
「そうは思わないな」
毒の気配は一切感じなかったので、俺はこの件についての心配を払拭した。そしてカリをちらりと見やり、最近ずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「ちょっと聞いてもいいか?」
「うん、もちろん」
カリは穏やかに微笑みながら、右耳の後ろに髪をかけた。
「何を聞きたいの?」
「君のご家族が、今は魔獣山脈への遠征を許していないのは分かってる」
一旦言葉を止めた俺は、どう切り出せばいいか少し迷ったが、結局肩をすくめて率直に続けた。
「もし、遺跡を探索したいと願ったとき……君のご両親を納得させるには、何が必要なんだろう?」
カリの表情が一瞬で変わった。まるで感情を遮断したかのように無表情になったその顔は、ある意味で冷たくすら見えた。
だが、俺は驚かなかった。カリが真剣に物事を考えているとき、彼女はよくこういう顔をするからだ。
「……たぶん、兄たちが親を説得した時と同じ方法になると思う」
一語一語を慎重に選ぶように、カリはゆっくりと答えた。
「自分の身を守れて、魔獣と戦えるだけの力があることを証明する……それが必要だと思う」
そして、ほんの少し自嘲気味に笑った。
「でも、今の私には……そんな力、ないの」
俺はうなり声を漏らして、その言葉について考えた。
――魔獣襲撃の時のカリは、まるで無敵だった。
けれど今、目の前にいる彼女は、まだその強さを手にしていない。
あの時のカリが強くなれたのは、追い詰められたからだろう。望まぬ結婚や、逃れられない現実が、彼女を鍛え上げた。そして、幾年にもわたる過酷な経験が、彼女の精神力と力を作り上げたのだ。
だが、今の彼女は――ただの少女だ。確かに才能はあるが、それ以上ではない。
結婚前の、あの頃のカリが、今そこにいるだけだった。
「もし、俺が君をもっと強くできる方法を知っていると言ったら……どうする?」
そう問いかけると、カリは目を輝かせて顔を上げた。
「ほんとに? どうやって?」
彼女が否定せず、素直に聞き返してくれたことに、俺の胸はじんわりと温かくなった。
それは、カリが本気で俺を信じてくれているという証だった。
俺は彼女の羽ペンとインク壺を手に取り、近くにあった端紙に〈三方霊拡丹〉と〈鍛体丹〉の材料を素早く書き出した。書き終えると、それを彼女の前に滑らせた。
「この材料があれば、君の修行速度を飛躍的に高める二種類の丹薬を錬成できる」
カリは紙を見つめながら唇を噛んだ。
「これって……錬金術、でしょ? 本当に、そんなので修行が早くなるの?」
「なるさ」
俺は自信満々にうなずいた。その自信には裏付けがある。ミッドガルドで俺は“中級”程度の錬金術師と見なされていたが、修行を助ける丹薬の錬成については相当の腕があると自負していた。
「それぞれ、どのくらい必要なの?」
彼女の問いに、俺は再び紙を取り戻して分量を書き足し、渡し直した。
「これが最低限必要な量だ。この分があれば、一ヶ月分の丹薬を作れる」
「最低限……?」
彼女は眉を上げた。
俺は肩をすくめた。
「材料が多ければ多いほど、より多くの丹薬を作れる。その分、恩恵も大きい。……もちろん、一定量を超えると身体が薬に慣れて効果が薄れてくるけど、それまではしっかり効果を発揮する」
「なるほど……」
カリは微かに聞こえる声でそう呟いた。
彼女が本当に信じてくれたかどうかは、その時は分からなかった。
――だが、翌日。
カリは授業があるはずなのにわざわざ図書館まで足を運び、俺が書いた量の三倍の材料を届けてくれた。
こんにちは。皆さん、お元気でしょうか。
私は今アメリカに戻ってきたばかりで、時差ボケの影響で睡眠スケジュールも投稿スケジュールもめちゃくちゃになっています。元のリズムに戻すのは、思っていた以上に大変ですね。
それに加えて風邪もひいてしまって、体調はあまり良くありません……。ですが、どうしても今のうちに一章を投稿したくて、頑張って仕上げました。
たぶん、日本ではすごく早い時間に投稿してしまったと思います。こんな時間に投稿してしまってすみません。今後は、皆さんにとって読みやすい時間帯を見つけて、その時間に投稿できるように調整していきたいと思います。




