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勝算

ステリス・ヴァルスタインは、闘技場の上層に設けられた貴族席に座っていた。

もっとも、彼とその家族が近年ようやく持ち直したとはいえ、未だに大貴族のように個室の観覧席を所有できるほどの政治力も財力もない。

それでも、こうして席を確保できたことに彼は深い感謝を覚えていた。

――あの日々に比べれば、今は実に恵まれている。

それはひとえに、エリック・ヴァイガーという少年のおかげである。

あの少年から持ちかけられた錬金術師協会との共同事業は、ここ二年ほど荒れ続きだった家計を立て直す大きな転機となったのだ。

(願わくば、あの子がファイを娶ってくれれば良かったのだがな……)

小さく息を吐く。

エリックと愛娘ファイは、きっと良い夫婦になれると考えていた。

無論、強制するつもりはなかったが、それでもステリスはあの少年を好ましく思っていた。

――グラントとは違い。

その時、周囲がざわめき始めた。

視線を向けると、一人の女性がこちらへ歩いてくるところだった。

艶のある赤橙色の髪。

錬金術師のローブを改良した装いは、袖に長いスリットが入り、肩の線が露わになっている。

優雅でありながら、どこか戦場に立つ者の鋭さを併せ持つ姿だった。

「な、なんて綺麗な人だ……!」

「見覚えがあるような……誰だったか?」

「まさか錬金術師協会の長ではあるまいな?」

「嘘だろう!? あの協会長が、こんな美しい女性だったなんて……!」

思わず鼻で笑いそうになった。

どうやら、彼女の正体に気づき始めた者もいるらしい。

女性は、ひそひそとした称賛の声を耳にしながらも、微笑みを崩さずステリスの前まで来た。

「来てくれて感謝する、フェインレア殿。」

「ご招待、痛み入ります。ステリス・ヴァルスタイン殿。そしてご同席のご老人方。」

澄んだ声での丁寧な一礼。

周囲の年配の男たちが、思わず姿勢を正したほどである。

ステリスは朗らかに笑った。

「我が娘と、我らの恩人が共に出場しておる。ならば、あなたにも相応の席で観戦していただくのが礼儀であろう。」

「本来なら、私は研究室に籠もり素材の検証に時間を費やすのが好みなのですが……」

フェインレアの笑みが深まった。

「今回は特別です。エリックが参加している以上、目を離すわけにはいきません。」

「うむ。あの小僧には、近頃ずいぶん驚かされてばかりだ。」

ステリスは白い短い髭を撫で、ゆっくりと頷いた。

「実のところ、わしは既に七万ヴァリスを、奴の優勝に賭けておる。」

その言葉に、周囲の老人たちが思わず息を呑む。

しかしステリスの眼は揺らがなかった。

――あの少年には、賭ける価値がある。

心から、そう信じていた。

「……賭けをしておられるのですね?」

フェインレアが、わずかに目を見開いた。

その反応に、ステリスは笑みを返す。

「うむ。エリック・ヴァイガーの現在の倍率は四倍だ。思っていたよりも良い数字だと思うぞ。黒馬ダークホースにしては、な。」

「ふむ……現在の本命は?」

「カタリナ・クリーガーかトルグニー・ロイヒトのどちらかと見られている。次点でヘレン・ブリュンヒルドだな。」

「なるほど。」

フェインレアは、顎に指を添えてしばし考える素振りを見せたあと、ふっと笑みを浮かべた。

彼女の手が腰に伸びる。細身の腰に巻かれた飾り帯には、小さな革の巾着袋が結ばれていた。

その袋を解くと、**しゃらん……**と心地よい音が鳴った。

「ふふ。では、私もエリックに賭けましょうか。彼が錬金術師協会のためにしてくれたことを思えば――信頼を示すのは、私の務めです。」

微笑を浮かべたまま、フェインレアは立ち上がる。

ステリスに**賭博受付所ベッティングブース**の場所を尋ね、軽く一礼するとその場を後にした。

「……」

彼女が立ち去った後も、ステリスはしばらくその背を見送っていた。

周囲の者たちも口を開こうとしなかった。どこか――気圧されたように。

(まったく、あの女はやはり只者ではないな……)

それから十分ほどして、フェインレアは再び戻ってきた。

ステリスが思わず尋ねた。

「で、どれほど賭けたのだ?」

するとフェインレアは、にっこりと微笑んで答えた。

「三十六万ヴァリス。」

「――なっ……!?」

ステリスは思わず、口元を押さえた。

彼女の穏やかな笑みに隠された、信頼という名の覚悟に、胸がざわついた。


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