霊力制御(スピリチュアルコントロール)
ナディーンさんと交代した後、家に戻って《三方霊路拡張丹(スリーウェイ・スピリチュアル・ワイデニング・ピル)》の袋を取り、数日前にフェイと出会ったあの場所へ向かった。
あそこは本当に訓練にぴったりの場所だ。広々としていて、自由に動き回れるし、地面も平らだから、余計な心配をせずに済む。フェイがあの場所を選んだ理由がよくわかる。
今は彼女の姿はない。代わりに、俺がしっかり活用させてもらうとしよう。
大きな岩に囲まれた広場の端に立ち、俺は霊力を解き放った。
身体の周りに広がるオーラは、以前とは比べものにならないほど収まっていた。
淡い雷光が皮膚の上を走り、水のように滑らかな霊力の粒子が俺を包み込む。
たとえ霊識が苦手な人間でも、俺の二つの属性――雷と水――を感じ取ることができるだろう。
「――まあ、今のところはこんなもんか」
俺は小さくため息をついた。
どれだけ修練を積んだところで、今の俺には霊力を完全に体内へ収めるほどの制御力はまだない。
つまり、《霊術第二段階》への到達は、もうしばらく先になりそうだ。
「……でも、《瞬歩》を練習するには十分か」
俺は片足に体重を移しながら、十メートルほど離れた地点を目で捉えた。
あそこを目指そう。
静かに呼吸を整え、心身を集中させ――そして、そっと一歩を踏み出し、足裏へ霊力を流し込む。
バンッ!!
爆発音が足元で鳴り響いた。
強烈な風圧が身体を叩きつけ、世界がぐにゃりと歪む。
一瞬で制御を失い、俺は空中を無様に転がり始めた。
視界を流れる線のような景色に、吐き気がこみ上げる。
ぐるぐると回転しながら地面に叩きつけられた。
肩と背中に鋭い痛みが走り、そのままゴロゴロと何度も地面を転がる。
岩や小石に身体を打ち付けられながら、ようやくゆっくりと止まった。
しばらくの間、俺は横たわったまま動けなかった。
全身がじんじんと痛んだ。
痛みが鈍痛に変わった頃、ようやく身体を起こし、肩を回し、腕をぐるりと回転させ、足を動かしてみた。
……骨には異常がなさそうだ。
それだけがせめてもの救いだった。
とはいえ、最も基本的な移動術である《瞬歩》すらまともに使えない自分に、思わず嘆息する。
「……もっと霊力の制御を鍛えないとダメみたいだな」
落胆混じりに呟く。
霊力を制御するための修行法はいくつも存在している。
俺がこれまで行ってきた《滝行》もその一つだが、本来は霊力を外に放出するための高等訓練法だ。
霊力総量を増やすために使われる手段を、俺は逆に、滝の力で自分の暴走する霊力を押さえ込みながら制御するために活用していたわけだ。
だが、本来の最も基本的な修行法――それは、瞑想だ。
意識を内に向け、自らの霊力の流れを感じ取る。
そして、霊路を流れる霊力を、己の意志で循環させる。
それを繰り返すことで、霊力の存在をより明確に理解し、やがては自在に操ることができるようになる。
滝行によって霊力の扱いにある程度慣れてきた俺は、次なる段階――瞑想による修行に移ることにした。
訓練場の中心に腰を下ろし、あぐらをかく。
そして、そっと霊力を解き放った。
バチバチと弾ける雷と、渦を巻く水流――
俺を包み込む霊力のオーラが再び現れる。
だが、以前とは違い、今ではその力を自分の周囲だけに留めることができていた。
この距離なら、よほど感覚が鋭い者でもなければ気づかれることはないだろう。
流れる霊力は、以前に比べて格段に穏やかだった。
緩やかな小川のように、霊路を滑るように進んでいく。
さらに意識を深く沈め、俺はその流れに自身の意志を伸ばした。
霊力を遅らせ、早め、時に停止させ、また流す――
己の霊力を操る感覚を、少しずつ、確かに掴んでいく。
この状態にあると、時間の感覚など意味を成さなかった。
多くの霊術師たちは、こうして自らの霊力の流れに没頭し、時間を忘れるという。
俺もまた、そうして霊力の制御力を高めていった。
きっと今、目を開ければ、自分を包むオーラが以前よりもはるかに収まっているだろう。
――だが、その瞑想を打ち破るように、大きな音が響いた。
「……?」
目を開け、首を傾げる。
再び音が聞こえた。
それは、何頭もの野生の猪が怒り狂ったような、甲高い鳴き声だった。
興味を引かれた俺は、立ち上がり、音の方へと歩き出す。
いくつもの大岩を越えた先――
そこには、奇妙な光景が広がっていた。
そこには、奇妙な光景が広がっていた。
数頭のイノシシたちが、巨大な蛇を取り囲んでいたのだ。
その蛇は黒と黄色のまだら模様を持ち、全長は五、六メートルにも及ぶ。
爬虫類とは思えないほど、どこか表情豊かな顔つきをしていた。
蛇は体を持ち上げ、首を大きく広げてイノシシたちを威嚇していたが、
よく見ると、胴体の一部に大きな裂傷が走っていた。
そこから赤い血が流れ出し、地面に広がっている。
ふらふらと頭を揺らしている様子からして、蛇の体力は既に限界に近いのがわかった。
――なぜか、俺はその蛇に同情してしまった。
だからこそ、介入することを決めた。
俺は霊力を解き放ち、イノシシたちを包み込んだ。
動物たちは、人間以上に霊力に敏感だ。
生まれながらにして霊感を持っている彼らは、霊力の流れを本能的に察知する。
訓練を積まなければ霊力を感知できない人間とは、そこが違う。
ましてや、俺が意図的に【霊圧】を放ったことで、霊感の鈍い者でもその存在を感じ取れるほどだった。
イノシシたちは、俺の霊力を浴びた瞬間、ビクリと体を硬直させた。
蛇もまた、こちらに意識を向けたが、今はイノシシたちの方が問題だった。
やがて、イノシシたちは一目散に逃げ出していく。
取り残された蛇は、くるりと頭を俺の方に向けた。
真っ黒な瞳が、じっと俺を見つめている。
警戒しているのは明らかだった。
俺はすぐに霊圧を収めたが、蛇の警戒心は消えなかった。
まあ、人間に対して警戒するのは当然だろう。
「大丈夫だ」
俺はできるだけ穏やかな声で言った。
「おまえを傷つけるつもりはない。ただ――治療をしたいだけだ」
蛇に話しかける自分に、少しだけ馬鹿らしさを感じた。
――相手は蛇だ。
人間の言葉が通じるはずもない。
それでも、口を開いたのは、自分自身を落ち着かせるためだったのかもしれない。
俺がゆっくりと近づくと、蛇は必死に体を巻こうとした。
だが、すでに限界を迎えていたのだろう。
上半身が地面に崩れ落ち、かすかな威嚇のような音を漏らした。
――死にかけている。
俺は眉をひそめ、蛇のそばに膝をついた。
傷口をよく観察すると、それがイノシシの牙によるものだとすぐにわかった。
裂けた皮膚から赤い血がにじみ出し、痛々しい有様だった。
俺はそっと両手を傷の上にかざす。
触れることはせず、数センチ上に手を浮かせる。
深呼吸を一つしてから、水属性の霊力を掌に集中させ、蛇の体へと送り込んだ。
蛇はかすかに頭を持ち上げて、弱々しい音を立てたが、俺は動じなかった。
視線を傷口に集中させる。
すると――
まるで時間が巻き戻るかのように、裂けた肉が徐々に癒えていくのが見えた。
よかった。
これくらいの治療なら、今の俺でも可能だ。
まだ霊力の制御は不十分だが、傷口に直接水属性の力を流し込むだけなら難しくない。
やがて、傷口は完全に塞がった。
俺は安堵の息を吐こうとした――そのときだった。
「うわっ!」
救ったばかりのコブラが、突然俺に噛みついてきたのだ。
右手の小指と薬指のあたりに、鋭い痛みが走る。
蛇の牙が深々と食い込んでいた。
コブラはすぐに牙を引き抜き、そのまま素早く草むらへと姿を消した。
ぽかんとしながら、俺は去っていく蛇を見送り――
ようやく自分の手元に視線を落とした。
薬指の下に、牙による二つの深い穴が開いていた。
血がじわりと滲んでいたが――
通常、毒蛇に噛まれた場合に見られる、皮膚の黒ずみはどこにもなかった。
俺は意識を体内に沈め、霊覚で体内の様子を探る。
……だが、どこにも毒の痕跡は見当たらない。
「――ふう。」
心底ホッとして、息を吐いた。
「もしかして……毒腺が機能していなかったのか?」
誰かが毒腺を摘出した可能性もある。
そう思い至る。
かつて、ミッドガルドには『毒宗』と呼ばれる宗門が存在していた。
彼らはあらゆる毒の研究に没頭し、無数の毒蛇や毒虫を飼育していた。
それらから毒腺を取り出し、自らの体に移植して力を得る――
そんな狂気じみた修行法を持っていた。
……まあ、今ここにいる蛇も、そうした連中に関わった可能性は低いだろう。
毒腺を除去された理由は不明だが――
いずれにせよ、俺の知ったことではない。
空を仰ぐと、すでに薄暗くなっていた。
二つの月が顔を出し、黄昏の色が空一面に広がっている。
そろそろ帰る時間だ。
俺は、先ほどまで修行していた場所へ戻り、
『三重霊路拡張丹』が入った袋を拾い上げると、静かに帰路についた。
今回も一章、無事に書き上がりました!
そして……ちょっとしたサプライズ。
あの蛇、一体何者なのか?
これから物語にどう関わってくるのか?
――次回の「ドラゴンボールZ」で確かめよう!……じゃなかった、間違えました。(笑)
今回の章、楽しんでいただけたなら嬉しいです。
また、今回は作中で分かりにくい用語がいくつか出てきたため、
簡単な用語集も一緒に掲載しておきます!
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用語集
三重霊路拡張丹(Three-Way Spiritual Widening Pill)
霊路を癒し、広げることで霊力の流れを促進する錬丹薬。修行の効率を飛躍的に高める効果を持つ。
霊毒(Spiritual Poisoning)
霊力が霊路に滞留し、詰まることで発生する深刻な症状。進行すると身体機能に深刻な影響を及ぼし、最悪の場合は死亡する。
霊覚(Spiritual Perception)
霊力の流れや、他者の霊力を感じ取る特殊な感覚。動物は生まれつきこの能力を持っている。
霊圧(Spiritual Pressure)
意図的に霊力を解き放ち、周囲に圧をかける技術。これによって霊覚を持たない者にも存在感を認識させることができる。
ポイズンセクト(Poison Sect)
ミッドガルドに存在した、毒に特化した宗門。毒蛇や毒虫を飼育し、毒腺を移植することで己を強化していた。




