決闘開始
今日は、いつもと違う服装をしていた。
頑丈なリネン製のアンダーシャツは長袖で、色はややくすんだ白。だが、その袖は前腕部に巻かれた革の籠手に隠れていた。
鎧は着ていない。
代わりに、暗い茶色の革のチュニックを身に着けていた。ブーツとズボンも同じ色で揃えてある。ブーツは厚手の革で、ズボンはシンプルなウール製。腰には革製のベルトを締めていた。
数メートル離れた場所に、アルベルトが立っていた。
まばゆい銀色の鎧を全身に纏い、胸当てから肩当て、籠手、すね当てに至るまで、まさに“戦士”と呼ぶにふさわしい姿だった。
腰には剣も帯びていた。標準的なブロードソード――特に目立った代物ではないが、柄頭にはエナメル加工が施されている。
アルベルトは眉間に皺を寄せ、険しい表情で口を開いた。
「……武器はないのか?」
「必要ない」
俺は肩をすくめながらそう返した。
すると、アルベルトの顔はさらに険しくなった。
「面白い若者だな」
そう言ったのは、俺たちの間に立つ、もう一人の男だった。
彼は俺より数センチほど背が高く、銀髪をなびかせていた。
だが、その髪の色は年齢によるものではない。顔立ちは若々しく、どこか少年のような魅力があった。正直、年齢の見当がつかない。
ただ、彼が皇妃ヒルダの夫の一人であることは知っていた。それならば、少なくとも三十代にはなっているはずだ。
彼の服装は、赤いズボンに黒いシャツ。そして、足元まで届く赤いロングコートを羽織っていた。
「そう思うか?」
俺は彼に視線を向けた。
彼は頷きながら言った。
「思うとも。カリと親しくなるだけでも驚きだが、ヒンメル家の怒りを買い、しかもその家の最も優れた若き霊術士との決闘で――武器すら使わない。明らかに不利な状況だってのに、お前はまるで気にしてないようだな」
「気にしてないからだ」
再び肩をすくめながら、俺は淡々と続ける。
「それに、俺の愛用してる武器はまだ調整中なんだ。たとえ使いたくても、今は無理だな」
……それは、完全な嘘じゃない。
普通の剣なら使える。だが、ドラゴンテイル・ルーラーに慣れすぎたせいで、それ以外の武器じゃ、もうしっくりこない。
「好きにしな、坊や」
そう言って薄く笑ったカリの父――正確には“義父”だが――は、大きく息を吸い込み、コロッセオ全体に響き渡るような大声で叫んだ。
「よし、そろそろ静かにしろ!」
中央席と上階席に集まった貴族たちは、彼の声に押されるようにして静まり返った。
俺は辺りを見渡した。そこに座っている貴族たちのほとんどは知らない顔だった。
唯一見覚えがあったのは、左側の列に座っているヴァルスタイン家の人間だけ。
ここに集まった一万人近い観客の中で、知っている顔がそれしかないという事実が、いかに自分がこの国の上流社会と縁がなかったかを物語っていた。
「さて――どうやら、このエリク・ヴァイガーと、ヒンメル家の間で少々揉め事があったようだな」
そう言って語り始めたのは、皇妃ヒルダの第二の夫――確か名前はダンテだったか。彼の声もまた、どこまでも力強く、場を制するように響いていた。
「なんでも、アルフとアルヴィド・ヒンメルの二人が、ルヒト家の跡取りに発見されたとき、血まみれで倒れていたらしい。そしてその傍にいたのが、他でもないエリクだったと。だが、当のアルフとアルヴィド本人は、その時の記憶が曖昧だそうだ……まったくややこしい話だよ」
彼の口調はどこか冗談めいていたが、観客たちは一様に神妙な顔で聞いていた。
「ともかく、ヒンメル家にとっては大問題だったというわけだ。そして今日、この場でエリクとアルベルト・ヒンメルによる決闘――“名誉決闘”によって、真実が明かされることになる」
俺は口には出さなかったが、正直、早く始めたいという気持ちでいっぱいだった。
だが、この説明は必要な手続きだと理解していたからこそ、黙って聞いていた。
「細かいルールは割愛するが、勝敗は“戦闘不能”もしくは“降伏”によって決まる。殺し合いは一切禁止だ」
その瞬間、彼の目が光り、凄まじい霊圧が俺とアルベルトの上から覆いかぶさった。
「――破った者がいれば、私がその場で裁く。いいな?」
「了解だ」
俺は即答した。
「理解しました」
アルベルトも同様に頷いた。
「それならよし」
それまでの飄々とした表情から一転し、彼の笑みには重みがあった。
おそらく、今までの軽薄な雰囲気があったからこそ、今の一言には逆に威圧感があるのだろう。
「それから、もう一つだけ言っておこう。この“名誉決闘”が終わった時点で、双方の争いも終結する。勝者は免罪され、敗者は法に従い処罰を受ける。それで文句はないな?」
その問いは明言されなかったが、声の響きがそれを語っていた。
俺とアルベルトは無言で頷いた。
その瞬間、彼の笑顔は再び気の抜けたような表情へと戻った。
そして数歩後ろに下がり、片手を高く掲げる。
「それでは――この決闘を、正式に開始とする!」
振り下ろされたその手は、まるで空気を裂く刃のようだった。
「――始め!」




