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エリックの過去に起きた魔獣の襲来

僕は手を棚に伸ばしかけたところで、ぴたりと動きを止めた。手にはまだ本が握られている。足元の床がぐらぐらと揺れていた。いや、建物全体が揺れていたんだ。

でも、その揺れは数秒で止んでしまった。だから僕は、手にしていた本を棚に戻す作業を再開した。

「最近、地面がよく揺れるよな?」

後ろのテーブルに座っていた若い男の人が言った。

「そうね」

その隣にいた女の子が頷いた。「数日前まではちょっとだけだったけど、今は数分ごとに起きてる気がする。なんでだろう?」

僕も、それが気になっていた。本で読んだ限りでは、地面が揺れる現象――たしか“地震”って呼ばれてた――は時々起きるらしいけど、すごく珍しいことだと書いてあった。

何冊かの本にそう書かれていたから、きっと正しいんだと思う。もちろん、本の情報が間違ってることもあるって知ってるけど、複数の本が同じことを言ってたら、さすがに信じてもいいはずだ。

でも、もし地震がそんなに珍しい出来事なら、どうして最近はこんなに頻繁に起きてるんだろう?

答えなんて見つからないだろうと思って、僕はまた作業を続けようとした。

……けど、その瞬間だった。

地面が、今までになく大きく揺れた。僕はバランスを崩して、そのまま床に尻もちをついた。図書館の本棚も激しく揺れて、何冊もの本が落ちてくる。

「きゃあっ!」

若い女の子が悲鳴を上げた。

彼女だけじゃない。図書館のあちこちから叫び声が上がって、強烈な揺れと一緒に混乱の音が響き渡っていた――。

「な、何が起きてるんだよ?!」

さっき話していた男の人が叫んだ、まさにその時だった。

僕の右側、数メートル離れた壁に何か黒い物体が突っ込んできて、壁がまるで積み木みたいにバラバラに崩れた。煉瓦とモルタルで作られているはずの壁なのに――。

その物体は、四本脚で走る生き物だった。肌はゴツゴツしてて、顔からは何本もの角が飛び出している。

……魔獣だった。

そいつは本棚をいくつも突き破っていって、そのまま図書館の反対側の壁もぶち抜いた。残されたのは二つどころじゃない、大きな穴。そして、その魔獣が通り抜けた部分の建物は崩れ落ちて、図書館の中がむき出しになった。

でも、おかげで――僕たちは外の様子が見えた。

「ま、魔獣だぁぁあああ!!!」

あの男の人が絶叫した。

その言葉は聞こえていたけど、僕の頭はそれを理解できなかった。目の前の光景が、現実だと受け止めきれなかったんだ。

外は――めちゃくちゃだった。

巨大な獣たちが、そこら中を破壊して、人を襲っていた。

中年の男の人が奥さんと一緒に逃げようとしてた。でも、奥さんをかばって突き飛ばした瞬間、その人は巨大な魔獣の角に突き刺されてしまった。

奥さんは、もう少し小さい魔獣たちに踏みつけられて、息絶えた。

左の方では、まだ小さな女の子が泣きながら叫んでいたけど……その声もすぐに消えた。

空から何かが降りてきて、女の子の目の前に着地したかと思うと――そのまま口でくわえて、丸ごと食べて、また空へ飛び去っていった。

この光景は、あちこちで繰り返されていた。

「な、なんで魔獣が襲ってきてるんだ?! そもそもどうやってここまで来たんだよ?!」

図書館の中にいた誰かが叫んだ。あまりの出来事に、動くことすら忘れているみたいだった。

それは、僕も知りたいことだった。でも、僕は魔獣について、ほとんど何も知らなかった。というより、誰もちゃんとは分かっていないはずだ。分かっているのは、魔獣はとても強くて、人間を襲って食べるってことだけ。

その強さは、EからSまでのランクで分類されていて、Sランクの魔獣が最強だって聞いたことがある。それから、体の中に「魔核」と呼ばれるものがあって、それを取り出してお金や物と交換できるってことも、本で読んだ。

けど、それ以上のことは分からない。

そのとき――僕たちがまだ状況を理解しきれていないまま、空から大きな影が降ってきた。あの子を食べたのと同じような鳥の魔獣だった。

三本の鋭い爪が地面を引っかくようにして着地した。その足一本だけで、人間の胴体と同じくらいの大きさだった。全身が黒くて硬そうな皮膚に覆われていて、僕や他の人たちを見下ろすように立っていた。

その目は、真っ赤に光っていて、まるで僕たちを見て楽しんでいるみたいだった。

そして、大きなくちばしを開いて――キーッ!!と、耳をつんざくような鳴き声を上げた。

その瞬間、僕の体が勝手に動いた。

「みんな、逃げろ!!」

自分でも驚くくらい大声を出して、走り出した。

僕の声で、ようやくみんなも動き始めた。図書館の中は悲鳴でいっぱいになり、人々は一斉に逃げ出した。

でも――全員が助かったわけじゃない。

その鳥の魔獣は、再び鋭く鳴きながら、すばやく誰かを口でつかんだ。

たぶん僕の気のせいじゃない。あの人の骨がバキッと砕ける音が、たしかに聞こえた気がした――。

なんとか魔獣の脇をすり抜けることに成功した僕たちだったけど、外に出たからって安全になったわけじゃなかった。むしろ、状況はもっとひどかった。

外では、さらに多くの魔獣たちが暴れまわっていた。

二本足で立ち、全身が銀色の毛に覆われた巨大な魔獣が、太い腕を振り回していた。その鋭い爪が人々を襲い、体を切り裂き、吹き飛ばしていた。悲鳴があちこちで響き渡っていた。

その合間を、四足の小さめの魔獣たちが群れになって走り回っていた。彼らはまるで連携しているみたいに、人間に一斉に襲いかかっていた。

僕は、ある男の人が首を噛まれて倒れるのを見てしまった。彼は悲鳴を上げながら地面に崩れ落ち、そのまま複数の魔獣に体を引き裂かれてしまった。

目に映るものすべてが、血で、死で、そして……一生忘れられないような地獄の光景だった。

それでも、中には他人を守ろうと戦っている人たちがいた。

男の人や女の人が、魔獣に向かって強力な霊術を放っていた。彼らは地面を駆け抜けながら、まるで舞うように複雑な動きを見せていて、その動きに合わせて霊力を操っていた。

その体からは、まるで炎のような霊気が立ち上っていた。赤、黄、青、緑、茶色……霊気の色は人によって違っていて、それぞれの属性の力を示していた。

ある年配の男性が、足を器用に動かしながら回転していた。その動きに合わせて、無数の炎の槍が空中に現れ、群れていた小型の魔獣たちに次々と突き刺さった。槍が刺さった場所から炎が広がり、魔獣たちは中から焼かれていった。

少し離れた場所では、若い女性が子ども二人を守っていた。両手に持った剣には雷がまとわりついていて、彼女の体全体もバチバチと音を立てていた。

そのまま彼女が剣を振ると、魔獣――「ダイアウルフ」って呼ばれるやつらの首が、いとも簡単に切り飛ばされた。

彼らは皆、チュニックの下に鎖かたびらを着ていて、その上から革や鋼の胸当てで身を守っていた。肩当て、腕甲、すね当てなどで手足もきちんと防護されていて、多少の違いこそあれ、ほとんどの人が同じような装備をしていた。

見覚えがあった。

彼らは、ネヴァリアの守護を担う特殊部隊――帝国近衛隊だった。そしてもう一つ、ネヴァリアを守り、魔獣から市民を守るために組織された数万規模の霊術士集団――ネヴァリア霊術士団でもあった。

中には、胸当ての下に鱗のような鎧を着込んでいる人もいて、その人たちは特に強そうだった。放つ霊術の威力が他の人たちとは桁違いで――

炎の奔流が魔獣の群れを包み込み、次々に焼き尽くしていった。空からは雷が降り注ぎ、命中した魔獣たちは苦しそうに体を痙攣させた後、地面に崩れ落ちた。水の槍が肉を貫き、大地の壁が魔獣を押し潰し、風の刃が手足を切り裂いていった。

これらの強力な技を使っていたのは、隊長や指揮官と呼ばれる存在たちだった。

「市民を守れ!」と、屋根の上に立つ男が叫んだ。その男は複雑な軌道で剣を振るい、空へと巨大な風の刃を飛ばした。その刃は、空を舞っていた複数の鳥型魔獣の翼を切断し、断末魔の叫びを上げさせながら地面に叩き落とした。

その姿を見て――僕の胸には、ほんの一瞬だけど、希望が芽生えた。

これほど強い人たちがいるのなら、ネヴァリアはきっと守られる。

魔獣たちは撃退される。そう思った。

……けれど、それはただの希望にすぎなかった。

その希望が芽生えたのも束の間、すぐに打ち砕かれた。

新たな魔獣がネヴァリアの中に次々と現れたのだ。さっきまで帝国近衛隊や霊術士団が相手にしていた魔獣たちは、今思えば比較的弱い部類だった。だけど――

今、現れたのは、それらとは比べものにならないほど強大な存在だった。

横から現れたその魔獣は、黒い身体を持ち、六本の脚で地面を這い、口からは白い糸を吐き出していた。顔はほとんどなく、醜い口からは巨大な顎が突き出ていて、頭の上には丸くて大きな赤い目がいくつも並んでいた。

粘着性のある糸を吐き、人々を絡め取り、さらに両側には巨大で力強そうな鋏のような前肢があり、それで周囲の人々を次々と潰していった。

「アクロマンチュラだ!? あれはAランクの魔獣だぞ!」

「な、なんでAランクがこんなところに!?」 「どうでもいいだろ! 現にここにいるんだ! 戦うしかない! 市民を守れ!」

数人の霊術士が力を合わせて立ち向かおうとし、地面を舞うように動いて霊術を放った。けれど、その攻撃はまったく効いていなかった。あの魔獣の皮膚は異常に硬く、霊術の力でも表面をかすめるだけだった。

その攻撃に気づいたアクロマンチュラが、ゆっくりと霊術士たちに視線を向けた。僕はその場から動けなかった。

魔獣は霊術士たちを攻撃した。糸で絡め取られる者。鋏で潰される者。いくつかの足の間を駆け抜けようとする者もいたが、それすらも武器になっていた。

ある一人の霊術士は、不運にもその細い脚で胸を貫かれていた。鎧を着ていたはずなのに、足の鋭利な先端がそれを易々と貫き、そのまま背中から突き出ていた。

その光景は、僕の胃をひっくり返した。血の臭いが鼻を突いた。あちこちで人が死んでいくのを見て、気分が悪くなり、思わず胃の中のものを吐いてしまった。

でも――そんなことをしている時間なんてなかった。

なんとか体勢を整えようとしている間に、四足歩行の魔獣が何体か、僕に向かって飛びかかってきた。

恐怖に突き動かされるまま、僕は逃げ出した。どこに向かっているかなんてわからなかった。ただただ、走った。どこもかしこも混乱で、逃げ道なんてなかった。魔獣たちはすぐ後ろを追ってきていて、牙を鳴らしながら唸っていた。僕の呼吸は短く、苦しげだった。

角を曲がって、細い路地へ入った。

――まずかった。

行き止まりだった。壁に行く手を阻まれ、逃げ場はなくなっていた。

背後から聞こえる低いうなり声が、死がすぐそこにあることを告げていた。いやでも、僕は振り返った。

そこには、何体かの魔獣がいた。四本の細長い脚で歩き、体は引き締まっていて毛に覆われていた。唸る口元には、鋭い牙がびっしりと並んでいる。

息が速くなり、心臓が激しく打ち、体中が冷たくなった。まるで、血の中に氷が流れているようだった。

魔獣たちはゆっくりと近づいてきた。もう、逃げられなかった。先頭の一匹が、低く唸りながら――飛びかかってきた!

「く、来るなぁっ!!」

叫びながら手を突き出す。でも、そんな叫びが通じるわけもなく――

「きゃんっ!」

魔獣は突然、悲鳴のような声を上げた。

……僕の指先から、青白い稲妻が走っていた。

「え……?」

僕は呆然としたまま瞬きを繰り返した。僕の指先から放たれた稲妻によって、魔獣が吹き飛ばされていたのだ。

「……な、なんで……?」

自分の手を見下ろす。僕は今まで、一度だって霊術を使ったことがなかった。それなのにどうして、手から雷が出たんだ? しかも、霊力を動かすための動作すら使っていないのに!

考える暇も与えられなかった。ほかの魔獣たちが、一斉に襲いかかってきた。

今度は雷は出なかった。

「うわああああっ!!」

叫んだ。だけど、もう駄目だとわかっていた。

一匹のディア・ウルフが僕に飛びかかってきて、僕は地面に押し倒された。やつは僕の顔に噛みつこうとしたけど、なぜか僕は手をやつの首の下に差し込んで、なんとか押しとどめた。

「がるるっ……!」

鋭い牙が何度も目の前で開閉し、よだれが僕の顔に垂れた。

次の瞬間、やつの前足が僕に向かって振り上げられた。

「ぎゃああっ!!」

鋭い爪が僕の左目を裂いた。焼けるような痛みが走って、血が目の中に流れ込んだ。

涙と悲鳴が同時にこぼれた。

「その子に触れるな!!」

鋭く、そして高貴な声が響いた。

空にいくつもの光の矢が現れて、魔獣たちを貫いた。その光の矢は、魔獣の胸や頭を正確に撃ち抜き、即座に絶命させた。

全ての魔獣が宙を舞う。僕の上にいた魔獣でさえも、矢に貫かれ、吹き飛ばされた。

それらは地面に叩きつけられ、転がり、そして壁に激突して止まった。

僕は仰向けのまま、荒く息を吐きながら、ゆっくりと片手を顔に当てた。痛い。左目が焼けるように痛い。

叫びそうになるのを堪えて、唇を噛み締めた。

「エリック!!」

僕は必死に体を起こし、助けてくれた人のほうを見た。

――金色の髪が、太陽のように輝いていた。

白磁のように滑らかな肌は、壊れてしまいそうなほど繊細で、でもどこか神々しさがあった。胸元を覆う金色の鎧はお腹まで届かず、その下には鱗のようなスケールメイルが覗いていた。

肩、脚、腕にはそれぞれの部位を守る装甲――ポールドロン、グリーヴ、ヴァンブレイスが装着されている。

その手には、長さが1メートル半はあろうかという槍が握られていた。

「エリック!」

その女性は、まだ座り込んでいた僕に勢いよく抱きついてきた。腕が僕の腰に回され、汗と香水が混ざった匂いが鼻をついた。彼女は必死に僕を抱きしめていた。

「本当に、生きててよかった……!無事でいてくれて、本当に、嬉しい……!」

しばらくして、彼女の声を聞いてようやく気づいた。この人を知ってる。知ってるんだ。

「……カリィ?」

僕が小さな声でそう呼ぶと、カリィはさらに力を込めて抱きしめてきた。

金属の胸当てが肋骨に当たってちょっと痛かったけど、それでも……どこか安心できた。

やがて、彼女は僕から離れて、片手で僕の手を握りながら立ち上がった。

「行くよ!」

カリィの瞳には強い意志が宿っていた。彼女は僕の手を引っ張って、無理やりでも立たせようとしていた。

僕はたぶん、ショック状態だったんだと思う。あの後のことは、ほとんど覚えていない。

いや、それは失血のせいだったのかもしれない。

泣き叫ぶ声、苦しみの悲鳴が響く街の中を、カリィに手を引かれながら必死に走った。

でも、それ以外のことは――まるで夢の中の出来事みたいに、ぼんやりとしている。

ただ一つ、はっきり覚えているのは――

カリィが怒れる神のように、次々と魔獣を薙ぎ払っていったことだ。

僕たちがネヴァリアから脱出できたのは、彼女のおかげだった。

西へ向かって逃げた。そこには、何百キロにも広がる草原と農地が広がっていた。

逃げる途中、僕は振り返って最後にもう一度だけ、ネヴァリアの街を見た。

空へと立ち上る煙と炎。空を飛び交う魔獣たち。

そして――帝国王宮の建つ山よりも高い、四足の巨大な化け物が天に向かって咆哮を上げた。

その瞬間、僕は悟った。

ネヴァリアという都市国家は――終わったのだ。

今回の章では、エリックの過去――ネヴァリアが魔獣に襲われ、滅ぼされた時の出来事を描きました。

魔獣とは、普通の動物が過剰な霊力にさらされることで変異し、凶暴化した存在です。中には、体が歪んでしまうような異形にまでなってしまうものもいます。


この章を通して、当時の混乱や恐怖、そしてエリックがどのようにして生き延びたのかを少しでも感じ取っていただけたら嬉しいです。


それでは、読んでくださって本当にありがとうございました。次の章もお楽しみに。

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