襲撃
いつもより遅い時間に、俺は帰路についていた。
カリから聞いた話は、貴族たちの複雑な関係や裏の繋がりについてだった。
正直、ここまでネヴァリアの貴族社会に無知だった自分に驚いた。だが、それも当然のことだったのかもしれない。
――ただの下級司書に、そんな知識は不要だったのだから。
ネヴァリアが滅びてから、俺とカリが故郷について語ることはほとんどなかった。
たまに口にするのは、ヒルダ皇帝のことや、カリの兄弟や父親の話くらいだった。
貴族たちについて話したことは、一度もない。
語る必要もなかった。やつらは、全員死んでいたからだ。
夜の静寂が支配する通りを歩いていると、
突然――背筋に冷たいものが走った。
首の付け根から尾てい骨まで、氷のような感覚が這い上がってくる。
「……何だ?」
周囲を見回した。だが、特に目立つものは何もなかった。
眉をひそめながら霊覚を展開するが、周囲に異常は感じられない。
――それでも、嫌な予感が拭えなかった。
自分の内側に意識を向けたときだった。
原因はそこにあった。
薬指のタトゥーが、脈を打つように疼いていた。
その場所に意識を集中すると、次第に“何か”が伝わってきた。
――苛立ち。そして、微かだが鋭い痛み。
まるで、体のどこかを刺されたような感覚だった。
だが、それは俺自身の痛みではなかった。
説明はできない。だが、直感的に理解していた。
この感覚は――リンのものだ。
「くそっ――!」
《閃歩》を発動し、一瞬で帰宅。
玄関のドアを蹴り開け、階段を駆け上がった。
二階に足を踏み入れた瞬間、
俺の部屋から――何かが暴れるような音が聞こえた。
物がぶつかる衝撃音、家具が倒れる音――明らかに異常だ。
建物に住む年配の女性たちも、騒音を聞きつけて部屋から出てきていた。
「何事ですの!?」
「エリック!? あなたの部屋からすごい音が――!」
「今、確かめる!」
「すぐ戻る!」
そう短く告げてから、俺は部屋のドアへと駆け寄った。
内側から――鈍い衝撃音が響いてくる。
何かが激しく叩きつけられるような音。
誰かのうめき声と、喉を潰されたようなぐぐぐっという呻き声。
そして、最後には――「バンッ!」と木が砕けるような轟音が鳴り響いた。
迷う余地はなかった。
ドアを蹴り開け、部屋へ突入する。
まず目に入ったのは――床に倒れている“死体”だった。
黒い服で全身を覆い、顔まで白い仮面で隠した二人の人物が、部屋の床に倒れている。
そして三人目――その首を“尻尾”で絞め上げられたまま、宙に浮かんでいる。
体はだらりと垂れ下がり、生気は感じられない。
服に隠れて顔も見えないが――死んでいるのは確かだった。
「リン! 一体どうなってる!?」
ベッドのそばに立っていたリンは、蛇の尾で体を支えながら、わき腹を押さえていた。
その表情には明らかな苦痛が浮かんでいる。
だが、俺の問いに答えることなく、リンは叫んだ。
「それどころじゃないでしょ! 一人逃げたわ! このお姫様の代わりに、追いなさいっ!」
俺は視線を横に向けた。
――砕けた窓のシャッター。
さっきの大きな音は、あれを吹き飛ばして逃げた時の音か。
リンにもう一言も告げず、俺はすぐさま《閃歩》を発動。
窓から飛び出し、地面へと着地した。
次の瞬間には屋根の上に跳躍し、そこから霊覚を最大展開する。
霊術を使っていれば、霊力の揺らぎがあるはず――
――いた。
左手側、数メートル先に素早く移動している霊的な存在を感知。
その動きは、明らかに霊術によるものだった。
「逃がすかよ…!」
だがその霊力の気配は、一瞬だけ消えた。
……いや、すぐにまた現れた。
消えては現れる――どうやら分断型か、短距離転移系の霊術らしい。
だが、もう居場所は特定できた。
俺はその方向に向かって再び《閃歩》を発動。
屋根の上を駆け抜けながら――
逃げる人影を追い詰めにかかった。




