嘘つき聖女は遺憾なく能力を発揮する
改稿しました。
「治癒する見込みはないわね」
「そんな……あんまりです! なんて無慈悲な……」
「もう来なくていいわ」
私はぐったりと動かない子どもの身体から診察していた手を離した。
父親は子どもを抱えたまま立ち上がると、私をキッと睨みつけた。
「行こう。ここにいても時間の無駄だ」
そう促された母親は悔しそうに唇を噛み締め、目に涙を溜めたまま診察室を出ていった。
「次の方、どうぞ」
表情を変えることなく、ただ淡々と事務的に患者を診ていく。毎日、その繰り返し。
ちょうど患者が途切れたところで、私は「ふう」と小さく息を吐いた。
王都にある神殿。
神に祈るだけの場所ではなく、病気や怪我の治療院としての役割も担っている。
そのため、治癒魔法が使える者はその身分関係なく司祭や聖女として神殿で働くことができるのだ。
私は神殿で聖女と呼ばれている。
貧しい家で生まれ育った。貧乏ゆえに両親とも学がなく、無知だったため、単純に私を神殿で働かせれば金になると思ったようだ。
だから、ほんの少しの治癒魔法しか使えない私を、なかば強引に売り込んだ。
しかし、司祭様は貧しい者への対応を心得ていた。働きに出すという形ではなく、養子としてもらい受けるという契約を結ばせた。
その理由は後に知ったのだが、神殿で生活するようになった子どもと市井で暮らす家族が定期的に会うといろいろと問題が生じるからだそうだ。
保証された生活を送る子どもに家族は依存し、徐々に要求が大きくなる。膨れ上がった欲は満たされることを知らず、もっともっとと子どもを苦しめる。
幾度となく、救えなかったことがあったらしい。
ただ――私と引き換えに袋に入った金を受け取った両親の嬉しそうな顔は、今でも私の脳内にこびりつき離れてくれない。
『あんな端金で娘を売るとはな……』
『まったくだ。見たか? あの嬉しそうな顔』
『ああ……しかし、その娘の前でするかね? 貧しい者の感覚など俺らには到底理解できないな』
『まあ、娘をあの金額で引き受けると決定した司祭様もどうかと思うが……』
『おい。それ、ここだけにしておけよ』
『わかってるって』
私を引き取りに来た聖騎士たちの会話を馬車窓から流れる景色を見つめながら、ぼんやりと聞いていた。
あれから数年が経ち、毎日休む暇もなく、次から次へとやってくる患者を治療していく生活にも慣れた。
今思えば、これでよかったのかもしれない。
家族は一人分の食い扶持が減るし、契約金で数年は食べていける。私自身も、忙しいとはいえ、寝食だけは保証されているのだから。
あのままの生活を送るより恵まれた今の環境に感謝しなければ。
神殿に恩を返したいところだが、私の治癒魔法で治せるのは症状の軽いものだけ。中には先ほどの患者のように、他の聖女の力をもってしても到底治せないような重病人もいる。
そんなとき、私は慰めの言葉などかけない。ただ、そのまま伝えるのだ。
『治らない』――と。
患者に寄り添い、患者を慈しむ。
それが聖女のあるべき姿だとされている。
けれど、私はそう思わない。
うわべだけの微笑みと、うわべだけの優しさや慰めの言葉をかけても、それが何の役に立つというのか。せいぜいその場しのぎの心の安らぎにしかならない。
そんなもので治るのならば、いくらだって微笑み、優しく慰めよう。
「アディエーラ」
今日の仕事が終わり、自室に戻る途中で背後から名を呼ばれ、振り返る。
そこには模範的な微笑みを浮かべた大聖女ミレイユの姿があった。
「さっき、司祭様から頼まれて、アディエーラが診察した子どもをもう一度、私が診たの」
私は小さく息を吸う。
「あの子の病気、治すことができたわ」
「そうですか」
私は吸った息を大きく吐き出すと、大聖女様に背を向けた。
「お前! ミレイユ様に対してなんて失礼な――」
「いいのよ、ダレン」
大聖女様は連れていた聖騎士のうちの一人を片手で制した。
「しかし……っ!」
「誰だって間違えることはあるわ」
そういって、大聖女様は優しく微笑んだ。
◇
「あの嘘つき聖女め……!」
仕事が終わり、聖騎士専用の宿舎に戻ると、乱雑に防具を外しながら、同僚が暴言を吐いた。
「自分の治癒魔法では治せないからと、不治宣告したんだぞ、あんな小さな子どもに!」
俺は表情を変えず、ただ黙ったまま話を聞くことで彼の苛立ちが収まるのを待った。
「無慈悲にもほどがある! しかも、その誤診を返上してくださったミレイユ様に対して感謝するどころか聖女らしからぬ、あの態度……許せん!」
ダレンは握り締めた拳を自分の掌にバシバシと打ちつけている。彼の怒りはしばらく収まりそうにない。
「ダレン。飯、食いに行かないか?」
人は腹が減っていると苛立つ。これまでの経験上、満腹になれば、大抵は落ち着くものだ。
着替えが終わると、寮にある食堂へと向かう。歩きながらも愚痴が止まらない同僚に、気づかれないよう息を吐いた。
聖騎士になり、大聖女の護衛隊の一人に抜擢されて数日。王都内で以前から噂になっていた『嘘つき聖女』に今日、初めて会った。
無表情、無慈悲な嘘つき聖女。
そこまでいわれている聖女に、一度会ってみたいと思っていた。
直接、自分の目で視てみたい、と。
だから、聖騎士になった。
聖女に会うには神殿で働くか、もしくは患者になるしか方法がなかったからだ。
患者になったところで、診てもらう聖女を患者側が選べるわけではない。
ならば、聖女と共に神殿で働く司祭になるか、聖女を護衛する聖騎士になるか――であったが、幸い代々騎士という家柄で生まれたため、少々方向転換しただけで済んだ。
「なあ、フィンレー。お前の実家って、確か代々騎士だったよな?」
「ああ、そうだが」
飯を食べ始めて僅か数分で話題が変わった。
「でも、よく許してもらえたな? 騎士といっても……まったく違う道じゃないか」
「まあ、な」
代々騎士とはいえ、王城騎士の家柄。城内で王族を護衛する騎士と、神殿で聖職者を護衛する騎士とでは正反対に位置していた。
しかしながら、騎士の階級は一代限り。その子どもに実力がなければ、称号はもらえない完全実力主義の世界だ。
例え、代々受け継がれてきた騎士階級が王城騎士であろうが、本人が選び、自分の実力でその称号をもぎ取れるのであれば何でも構わない、という割と寛容な家だったのが幸いだった。
「しかし、俺らはホント恵まれてるよな! あんなに優しく、美しく、素晴らしい大聖女ミレイユ様の護衛ができて、常にお側にいられるのだから! むしろ、褒美でしかないだろ」
ダレンはフォークを持った手を空中で止めたまま、だらしなく顔を崩す。
俺は愛想笑いをすることもなく、最後の一口を頬張ると「ご馳走様」と囁き、フォークを置いた。
「何だよ、お前もそう思わないか? フィンレー」
不満そうに眉を顰めたダレンと視線を合わせると、ひょいと肩を竦めた。
「別に、何とも。――先に戻る」
信じられないとばかりに目を丸くした同僚を置いたまま、俺は席を立った。
「ちょっ、おい、フィンレー。待てって!」
(おい、嘘だろ!? あんなに身も心も綺麗な女性に無関心な奴がいるなんて……)
背中から聴こえてくる声を無視して、歩き出した。
◇
「あの……どうして、こちらに?」
今日はいつもと違っていた。繰り返していただけの日常に変化が起きた。
担当を割り当てられて、診察室に入ると、そこにはすでに人がいた。
「どこか悪いのですか? 診察しますので、こちらに――」
「本日よりアディエーラ様の専属護衛騎士に任命されました、フィンレーと申します」
目の前の聖騎士は胸に手を当てると、敬礼をした。
(はぁ? 私に護衛騎士って……何かの罠? それとも――)
思ってもみなかった返答に、私は思わず怪訝な顔をしてしまった。
神殿に来てから、今まで一度も、私に護衛騎士など付いたことはなかった。ましてや『専属』なんて――あり得ない。誰かか、何かの陰謀としか――
そんなことをぐるぐると巡らせていると、目の前のフィンレーと名乗った騎士の頬がかすかに緩んだように見えた。
私は慌てて何事もなかったかのごとく真顔に戻し、取り繕った。
「あの……何かの間違いでは? 私は聖騎士様が付くほどの身分ではございませんので」
「いえ、間違いございません」
頑なに言い張る聖騎士とこれ以上、言い合いをする時間も気力もない。
どうせ、間違いだとわかったら、私の前からいなくなるだろうし、きっとすべてを私のせいにして、自分に課せられる処分を軽くするのだろうから。
無駄になることは、初めからしなければいい。
私は診察室の片隅に立っている聖騎士を無視して、今日の仕事を始めることにした。
「どうぞ、お入りください」
診察室の扉を開けると、廊下に並べられた長椅子に座っていた老夫婦に声をかけた。
「こちらにおかけください」
夫婦を診察室の中へ案内すると、座るように促し、扉を閉める。
「どうされましたか?」
老夫婦の向かい側に座ると、私は二人の診察を開始した。
「妻の具合が良くなくてね。どこが悪いのか、診てもらいたいのだよ」
私は御婦人の両肩に手を置き、ゆっくりと目を閉じた。両方の手のひらに神経を集中させる。身体の隅々に神聖力が行き渡るように緩く流し込む。
私は大きく息を吸い込みながら、目を開けた。
「心臓が良くないみたいね。もう治らないから、残された短い時間を個々に楽しむといいわ」
「そんな……! ――まさか、お前があの『嘘つき聖女』か……! 噂通りのひどい言い方だ……エレナ、もう行こう。今日は当たりが悪かった。また別の日に来るとしよう?」
胸を抑えたまま、呆然とした婦人を立ち上がらせると、老人は私を睨みつけた。
「『嘘つき聖女』よ。今に神の天罰が下るぞ」
そう言い放ち、診察室を出ていった。
(神様が本当にいるならね……私だって、直接会って聞いてみたいわ。どうして、私にこんな力を与えたのかって。理由次第では、私の方が天罰下してやりたいけど)
私は小さく息を吐いた。
「なるほど」
突然、背後から聞こえた低い声に、私はビクリと肩を揺らした。
そうだった。今日はいつも繰り返している日々とは違っていたことをすっかり忘れていた。
私は診察室の壁際に立つ聖騎士に視線を向けた。
「それで――アディエーラ様は『嘘つき聖女』と呼ばれ、すべて大聖女様の手柄になっている、ということですか」
様付けで呼ばれ慣れていないせいか、身体がむずむずと痒くなる。私は両腕を抱え込むと、眉間にシワを寄せた。
「敬称は付けなくて結構です。聖騎士様の方が身分が高いでしょうから」
真顔だった聖騎士の顔が、今度は目に見えて綻ぶ。
「いえ、私は一代限りの騎士でしかありません。しかし、聖女様のお望みとあらば、そういたしましょう。アディエーラ」
睨みつけられることや、憐れみのこもった微笑みはあれど、蕩けるような甘い笑みを向けられたのは生まれて初めてだ。
このような視線の先には、いつも大聖女ミレイユがいた。私に向けられる類の視線ではない。
「これからは私が常に側にいて、アディエーラの能力が最大限発揮できるように取り計らいましょう」
「……は?」
聖騎士は一歩ずつ、ゆっくり近づいてくると、私の手を取り、跪いた。
「あなたの真実、このフィンレーがすべて聴き取りました。アディエーラ、あなたこそがこの国の大聖女様です」
私が呆気にとられ、ぽかんと口を開いたままでいると、聖騎士はクスッと笑い、触れていた手の甲にキスを落とした。
「なっ……!」
これは“騎士の誓い”だ。私などが受けていいものではない。
突然の出来事に内心パニックを起こしていた私に、聖騎士は溢れんばかりの笑顔をこれでもかと浮かべたまま、あまりにも軽妙に、さらりと国家の重要機密を漏らしたのだ。
「私には人の心の声が聴こえたり、人が持つオーラの色が視える『心眼』という能力があるのです」
◇
ダレンは大聖女に心酔しているようだが、あの人の心の中は真っ黒だ。
「さっき、司祭様から頼まれて、アディエーラが診察した子どもをもう一度、私が診たの」
(いつも本当に面倒なんだけど。私の手を煩わせるなんて……どれだけ無能なの?)
「あの子の病気、治すことができたわ」
(あんたの尻拭いばかりさせないでよ)
口から出る綺麗な言葉とは裏腹に愚痴ばかり。
「そうですか」
(よかった……やっぱり、治ったのね)
俺は『嘘つき聖女』と呼ばれている彼女の心の声を聴き、彼女に目をやる。彼女はホッと息を吐き、安堵しているように見えた。
(『やっぱり、治った』ということは――最初から治るとわかっていた……? ならば、どうして『治らない』なんて言ったんだ?)
その疑問を解消すべく、大司祭様に直談判し、配属をアディエーラ付きの専属騎士に変更してもらった。
大司祭様は唯一、俺の能力を知っており、さらに『嘘つき聖女』問題にも頭を悩ませていたため、それが解決できるのなら、と意外とすんなり手続きをしてくれたのだ。
そして、初日である今日。
(はぁ? 私に護衛騎士って……何かの罠? それとも――)
今まで卑賤の身としてまともな扱われ方をしてこなかったのだろう。眉間にシワを寄せ、怪訝な顔をしている。
先日見た、無表情な姿からは考えられないくらいの戸惑いと表情の変化に、俺は思わず笑ってしまいそうになった。
笑わないようキュッと頬に力を入れ耐えると、それに気がついた聖女アディエーラは表情を無に戻し、再度、間違いないか確認を取ると、諦めたように診察を始めた。
当たり前のように自ら診察室の扉を開け、患者を丁寧に案内する。
他の聖女ではありえない光景だ。
そもそも聖女には護衛としての聖騎士と診察の際の助手が付いているはず。しかし、彼女には今まで一度もいなかったため、すべてを一人でこなしていたのだろう。
一連の慣れた動作を壁際の片隅で静観した。
「どうされましたか?」
「妻の具合が良くなくてね。どこが悪いのか、診てもらいたいのだよ」
彼女は老婦人の両肩にそっと手を置くと、ゆっくり目を閉じた。
(……っ! 何だ、あれは……!)
彼女の両手から老婦人の身体の隅々にゆっくりと神聖力が流れ込んでいくのが視えた。
(嘘だろ……?)
それだけではなく、その神聖力は妻の手を握る夫の身体にも流れていく。
あふれる虹色の神々しいオーラ。
(なんて、美しい……)
今まで生きてきて一度も視たことのない、まばゆい光と色。
彼女は大きく息を吸い込むと、目を開けた。
「心臓が良くないみたいね。もう治らないから、残された短い時間を個々に楽しむといいわ」
(奥様より旦那様の方が心臓が悪いわね。でも治れば、これから長い時間、二人で一緒に過ごしていけるわ)
こぼれ落ちる無慈悲な言葉とは正反対の優しい声が聴こえる。
「そんな……! ――まさか、お前があの『嘘つき聖女』か……! 噂通りのひどい言い方だ……エレナ、もう行こう。今日は当たりが悪かった。また別の日に来るとしよう?」
胸を抑えたまま、呆然とした婦人を立ち上がらせると、老人は彼女を睨みつけた。
「『嘘つき聖女』よ。今に神の天罰が下るぞ」
そう言い放つと、診察室を出ていった。
(神様が本当にいるならね……私だって、直接会って聞いてみたいわ。どうして、私にこんな力を与えたのかって。理由次第では、私の方が天罰下してやりたいけど)
小さく息を吐いた彼女から光が消えていく。
「(こんな力、か……)なるほど」
美しかった光が完全に消え、突然、背後から聞こえた声に、彼女はビクリと肩を揺らした。
そして、ゆっくりと振り返り、その瞳に俺を映す。
「それで――アディエーラ様は『嘘つき聖女』と呼ばれ、すべて大聖女様の手柄になっている、ということですか」
彼女には治癒魔法とは別の能力がある。先ほど視た神々しい神聖力とも違う能力が。
その能力はおそらく――“嘘を真にする力”。
膨大な神聖力で悪い箇所を発見し、治療する。
自分の治癒魔法では治せない傷や病を“治らない”と伝え、“治す”のだ。
先日、『やっぱり、治った』と言っていた理由が判明した。
あの子どもは、大聖女が診察する前にすでに治っていたのだ。しかし、傍からは『大聖女様に治してもらった』ようにみえただろう。
そんなことが何度も積み重なり、アディエーラは『嘘つき聖女』となったのだ。
「敬称は付けなくて結構です。聖騎士様の方が身分が高いでしょうから」
彼女は両腕を抱え込むと、眉間にシワを寄せた。
「いえ、私は一代限りの騎士でしかありません。しかし、聖女様のお望みとあらば、そういたしましょう。アディエーラ」
自分の前では無表情でなく、戸惑い、恐縮する姿に心が跳ねる。
「これからは私が常に側にいて、アディエーラの能力が最大限発揮できるように取り計らいましょう」
嘘だと言えば、それが嘘になってしまう。だから、本当のことが言えなかったのだ。
アディエーラが言えないのであれば、俺が隣で言えばいい。
「……は?」
驚いて呆気に取られている顔に、思わず頬が緩む。
一歩ずつ、ゆっくり近づくと、アディエーラの手を取り、跪いた。
「あなたの真実、このフィンレーがすべて聴き取りました。アディエーラ、あなたこそがこの国の大聖女様です」
アディエーラの嘘は、嘘なのだ、と。
彼女は嘘つきだから、彼女の嘘は嘘になる、と。
俺は触れていた手の甲にキスを落とし、“騎士の誓い”をした。
「なっ……!」
戸惑ってばかりいるアディエーラに、俺の持つ特別な能力について話すことにした。
「私には人の心の声が聴こえたり、人が持つオーラの色が視える『心眼』という能力があるのです」
◇
「アディエーラ」
怒涛の日々が過ぎ、ようやく私の専属護衛騎士であるフィンレーとの関係にも慣れてきた頃、久しぶりに後ろから名を呼ばれた。
振り返ると、いつものような模範的な微笑みではない、どこかぎこちない笑みを浮かべた大聖女ミレイユがいた。側には三人の聖騎士が控えている。
「フィンレーは私の大切な護衛騎士なの」
切なそうに一度、目を伏せてから、うつむき加減でゆっくりと瞳を開き、フィンレーを見つめる。
「フィンレー。何か困っていることはない? 突然の異動命令で戸惑ったでしょう。すぐに戻ってこられるよう、私から司祭様にお願いして――」
「いえ。とても充実した日々を送っております」
「え……?」
大聖女ミレイユも、側に控えている聖騎士たちも、一様に目を丸くする。
「常にアディエーラの側にいられて満足ですし、私は今、これ以上ない幸せを感じております」
無表情だった聖騎士の顔が一瞬で崩れる。
「フィンレー! ちょっと来い!」
大聖女様の護衛騎士の一人がフィンレーの腕を掴むと、隅の方に連れて行った。
「お前、いったい何やらかしたんだよ? ミレイユ様専属の護衛騎士隊から、突然『嘘つき聖女』の騎士に配置換えなんて……どう考えてもおかしいだろ!?」
ひそひそと声を落とし話しているが、完全に聞こえないわけではない。
護衛騎士である以上、その護衛対象から離れすぎるわけにはいかない。特にフィンレーは私のたった一人の護衛騎士なのだから。
「何も。自分から志願したんだ、大司祭様に直接ね」
「「「え?」」」
フィンレーの思いも寄らない告白に、目の前にいる護衛騎士だけでなく、大聖女様も、そして、私自身も思わず驚きの声を上げてしまった。
「なっ、なんで……?」
私が聞いていたことに気づいたフィンレーが足早に戻って来る。まるで、愛おしい者を見つめているかのような甘い微笑みを浮かべながら。
私の胸がドキリと鼓動を早めた。
(私にじゃない……そうよ、きっと隣にいる大聖女様に向けた顔だわ)
私の側まで来たフィンレーの足がピタリと止まる。
私が視線を向けると、その顔にもう笑みはなく、無表情になっていた。
フィンレーは私と視線が合うと、ツカツカと歩き出し、そのまま私をぎゅっと抱きしめた。
「……!!」
フィンレーは周りから私を隠すように抱きしめたまま、耳元で囁いた。
「こんなにもアディへの愛を伝えているのに……あなたはまだ私の愛を信じられないのですか?」
(ひ、え……耳、声、近い……っ!)
あの日からずっとこんな調子で愛を囁かれている。私の無表情は崩されっぱなしだ。
「さあ、アディ。あなたの真っ赤になった可愛い顔を戻してください。私以外の者に見せたくないので、ね」
(そんな、すぐ赤みが引くわけないでしょ!)
「そのまま言葉にすればいい」
「あ……!」
あの日からずっとこんな調子で私のフォローをしてくれている。
『嘘つき聖女に“治らない”と言われたら、それはつまり“治る”ということ』
私がそれを言ったら嘘になってしまうけれど、フィンレーが言ってくれるから、患者は「それはそうだ」と納得し、笑いながら帰っていくようになった。
いつしか、私に“治らない”と言われたい人たちで、診察室は溢れかえっていた。
どうやら大聖女様は、お気に入りの護衛騎士だったフィンレーを取られたうえ、患者にも「何だ、嘘つき聖女じゃないのか……」と、あからさまにがっかりされることが増え、気分を害していたらしい。
それで、久しぶりに見かけた私に声をかけてきたのだが――
私が、というよりも、フィンレーが私にベッタリなのを目の当たりにしたことで、彼に対する熱が冷めたようだ。
今まで見たこともないほどデレている同僚の姿に、あんぐりと口を開けたまま動けないでいた護衛騎士を引きずるようにして、大聖女様は立ち去った。
◇
「今日もお疲れ様。アディは嘘が上手くなったな」
テーブルにコトリと紅茶の入ったカップを置く。
「そんなこと言われても、全然、嬉しくないわ」
(そんなこと言われたら、とっても嬉しいわ)
二人で微笑み合う。こんなに幸せで穏やかな日々が送れるなんて、思ってもいなかった。
あれから毎日のように愛を囁き続ける専属護衛騎士に、いつしかすっかり絆されてしまった。
結局、私たちは神殿の寮を出て、近くに家を買い、二人で住み始めたのだ。
これからもずっとこんな毎日が続けばいいのに、と幸せを噛み締めていると、向かい側に座っていたフィンレーがカップを持ち、私の隣に移動してくる。
私は頭を傾け、フィンレーの肩に乗せた。
「フィンなんて、死んでも好きにならないわ」
(フィンのこと、死ぬほど好きよ)
「光栄だ」
「ずっと一緒にいるなんて、まっぴら御免だわ」
(ずっと一緒にいてくれないと、許さないから)
「この命が尽きるまで側にいるよ」
「私を一人残して、先に逝けばいいんだわ」
(私を置いて逝くなんて、許さないから)
「ああ、俺のアディ。なんて愛おしいんだ。君は俺だけの特別だよ」
二人が二人ではなくなるのは、もう少し先のお話。
ご覧いただき、ありがとうございました。
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