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軍艦少女は死に至る夢を見る~戦時下の大日本帝国から始まる艦船擬人化物語~  作者: Takahiro
終章 少しだけ平和になった世界

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スエズ危機と支配者の交代

 常設国連軍の設立からおよそ2年。1961年5月のこと。段階的な軍縮が始まり、戦争の一つも起こらず平和を謳歌していた世界に、激震が走った。


 エジプト共和国のナセル大統領がスエズ運河の国有化を発表。これに対し、スエズ運河に利権を持つドイツとフランスが反発して武力介入をチラつかせた。イギリスも同様に権益を持っていたが、エジプトからの要請に応じてエジプト政府に売却した。


 これは明らかに、常設国連軍の存在によって大国が武力を行使しにくくなった隙を狙った行動であった。もっとも、不当にスエズ運河の利権を保持しているフランスとドイツの方が元凶なので、エジプトが責めを負う必要はない。


 エジプト共和国は臨時国連総会の開催を請求。これは直ちに承認された。


 エジプト側は国益を保護する為に必要で正当な行為であると主張し、ドイツ側は不当な略奪行為であると非難した。また国連加盟各国に先制自衛権発動の承認を求めた。


 1941年に大日本帝国がアメリカ合衆国を攻撃したのは、国際的に自衛権の発動であったと認められている。つまり、直接の武力攻撃を行わずとも、経済的その他の方法で攻撃を行った場合、先制攻撃と同等であると見なされ、それに対する反撃は自衛の範疇であると国際的に認められているのだ。これを先制自衛権と呼ぶ。


 国連海軍総司令官に就任した妙高は大阪に赴き、この件についての討議に参加していた。瑞鶴は国連海軍旗艦として実働部隊の最高司令官を務めているが、軍令と軍政を合わせた代表者の地位は妙高に移っていた。


「――常設国連軍は国際連盟の暴力装置です。従って、我々は国連総会の決定に従うだけであり、何らの見解も示すつもりはありません」

「では、仮に国連軍の派遣が決定された場合、拒否権を行使する予定があるかどうか、それだけでもお教え願いたい!」

「それもまた、国連総会における議論を聞き届けた後に考えます。今はまだ、どちらの可能性もあるとしか言えません」


 妙高は国連総会に干渉しないよう細心の注意を払った。常設国連軍の政治的な中立性が失われれば、その存続が一気に危ぶまれるからである。


 国連総会においては主に、エジプトによるスエズ運河接収がドイツおよびフランスの先制自衛権発動に値するかどうかが議論された。


 1941年の日本とアメリカの場合、アメリカが日本の経済を完全に破壊することを目的としていたことは明らかであり、交渉の余地もなかった為に、先制自衛権が認められた。


 では今回はどうか。エジプトは交通量を支払えばどの国の船でも分け隔てなく通過を許可すると表明しており、両国の存立が脅かされるとは思えない。単に独仏の不当な利権が失われるというだけである。


 国際世論は圧倒的にエジプトを支持した。大日本帝国、ソビエト連邦、それにアメリカ連邦までもがエジプトを支持したことにより、国連軍の派遣は確定的となった。


 投票に入ろうという寸前、ドイツとフランスは突然、エジプトによるスエズ運河国有化を承認すると発表。エジプトは当然ながら国連軍派遣の要請を取り下げだ。これにより、後世スエズ危機と呼ばれる事態は一切の流血なく終結した。


 常設国連軍は何もしなかったが、独仏が常設国連軍の軍事力を恐れてエジプトの要求を認めたことは明らかであった。これは常設国連軍の成果であると一般に捉えられている。


 ○


 1962年5月。ヨーロッパはまたしても激動を迎えた。


 まず、ドイツとソ連は軍縮の為に緩衝地帯を確保するべく、ポーランドの独立に合意した。しかしポーランドの政治体制については合意を形成することができず、結局ドイツ占領地域とソ連占領地域がそれぞれ、ファシズムの西ポーランド、社会主義の東ポーランドとして独立した。それでも緩衝国家ができたことは、緊張緩和に大いに貢献した。


 そしてポーランドの独立を見届けると同時に、ヨーゼフ・ゲッベルス大統領が辞任を発表した。ナチ党内部でクーデターが発生したのではないかとも疑われたが、あくまでゲッベルス自身の希望による引退というのが事実である。


 後任にはゲッベルスの忠実な部下として宣伝に関わっていたクルト・キージンガーが指名された。ドイツ国の第3代最高指導者として首相兼大統領、およびナチ党当主に就任したのである。


 それから僅か2ヶ月後の1962年7月、ニキータ・フルシチョフ書記長も引退を表明した。これはレオニード・ブレジネフらによる政治的なクーデターであった。常設国連軍の結成から3年に渡る仕込みが実を結んだのである。


 ブレジネフは書記長に就任して党内権力を直ちに掌握すると同時に、フルシチョフが憎まれながら削減してくれた軍部の影響力については引き続き削減する方向に舵を切り、党による支配をより強固とすることに成功する。


 キージンガー・ブレジネフ両巨頭によるヨーロッパ支配体制は、1980年代初頭まで持続することになる。


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