グレナダ沖航空戦Ⅱ
「くれぐれも、沈めはしないでよ。まあ魚雷ぶち込まない限り沈みはしないと思うけど」
『それは翔鶴が相手故の言葉か?』
信濃が鋭く尋ねる。
「違うわ。相手が赤城でも加賀でも、沈めたくはないわよ」
『心得た。しからば、攻撃を始めよう』
航空艦隊は輪形陣の中央に到達した。中央少し外側にソビエツキー・ソユーズ級戦艦の三隻、長門、扶桑と山城、そして伊勢と日向がいる。中央部には空母達がある程度の間隔を開けて固まっており、大東亜戦争に参加した歴戦の空母達の他、戦後世代の空母も幾らか見受けられる。原子力空母鳳翔は、予想に反してここにはいないようだった。
「鳳翔が追加で来る可能性があるって思うと、鬱になりそうだけど」
『何を言っておるのだ、瑞鶴』
「なんでもないわ。今はこの場に集中しましょう」
『とは言っても、なかなか厳しいぞ。戦艦三隻が抜けたくらいでザルになる訳じゃない』
シュトラッサーは今回の攻撃も厳しいところがあると感じていた。戦艦8隻と空母10隻ばかりの対空砲火は伊達ではない。至近距離での反撃は激しく、瑞鶴ですらそう易々と近寄ることはできない。
「そう言えば、信濃、伊勢型は対空特化に改造されてるらしいわね」
『いかにも。伊勢型は主砲を2基外し、外した分を高角砲に回している。ついでに副砲もほとんど取り払って機関砲に置き換えている。防空戦艦と呼ばれるに相応しい武装』
「なかなか面倒なのが控えてるわねえ……」
伊勢型戦艦は大東亜戦争の頃から主砲塔を2基減らしていたが、当初はそこに飛行甲板を設けて航空戦艦として運用される予定であった。しかし、大東亜戦争の最中ですら本来の用途では運用されず、飛行甲板に大量の対空機関砲を並べて、高い生存性を示した。これを受けて帝国海軍は伊勢型を防空戦艦として改装、現在に至るのである。
もちろん、他の戦艦の対空砲火も無視できるものではないし、空母自体も多くの高角砲と機関砲を装備している。瑞鶴は翔鶴の直上に入って爆弾を投下しようとするが、尽く機関砲弾に阻まれてしまう。
「あいつらがいなくても、ここまで堅いとはね……。全滅させられることはないでしょうけど、こっちから手を出すことも……」
だが、その時であった。瑞鶴に無線電話の要求が入った。こんな状況で会話を求めてくる人物など心当たりは一人しかいないが、瑞鶴はそれを受けた。
「誰だか知らないけど、こんな状況で話すことなんてあるのかしら?」
『誰だか知らないなんて、嘘です。初めまして、瑞鶴。翔鶴です』
「…………翔鶴、お姉ちゃん」
聞こえてきた声は不思議なことに、瑞鶴が空想の中に描いていた翔鶴の声とまるで同じであった。だからこそ瑞鶴は、彼女こそが本物の姉なのだと確信できる。
『はい。お姉ちゃんですよ』
「なんで? なんで、私が知っている翔鶴お姉ちゃんと同じ声なの? おかしいでしょ、そんなの?」
『瑞鶴が空想した私の声はわかりませんが、それほど驚くべきことではないのかもしれません』
『おい瑞鶴、何の話をしている』
急に音信不通になった瑞鶴を訝しんでツェッペリンが呼び掛けてくるが、瑞鶴は軽く受け流した。
「驚くべきことではないって、どういうこと?」
『船魄とは何なのでしょうか。軍艦の記憶を持って生まれる不思議な存在。まるで鉄の塊が本当に魂を持っているかのようです。でも、本当にそうなのでしょうか? 無機物に意識や記憶があるのでしょうか?』
「そ、そんなこと言われても知らないわよ。現に私は最初から瑞鶴としての記憶を持って生まれたんだから、そうなんじゃないの?」
『本当にそれは、瑞鶴が持っていた記憶なのでしょうか。絶対に否定はできませんが、所詮は鋼鉄の塊に過ぎない船に魂が宿るとは思えません』
「……じゃあ、何だって言うの?」
『多くの状況証拠から、船魄の持つ魂の正体は、恐らく人々の集合的無意識だと、船魄の中枢に関わっている人々は推測しています』
「何言ってるかわかんないんだけど」
『つまり、多くの人々が瑞鶴という空母に抱いている印象、或いは瑞鶴に関する記憶……そういったものが一つに結実して、まるで軍艦が記憶を持っているかのような現象が実現するということです。瑞鶴には難しいかもしれませんね』
船魄とは何なのか。当初は生みの親である岡本技術中将ですら全く分からなかったが、現在ではある程度の推測ができている。不特定多数の人間が特定の軍艦について抱く思念が結集し、あたかも一つの魂のように見えているのだ。
だからこそ、かつての乗組員の思い入れが深かったり、或いは知名度のある艦艇は強い自我を確立し、逆に建造されたばかりの艦艇は空っぽの魂しか持って生まれられないのである。
自分が軍艦の魂ではないかもしれないと指摘され、瑞鶴は少なからず動揺していた。だが、そうであるのなら、瑞鶴の空想の翔鶴と本物の翔鶴がそっくりなことに説明がつく。
「――なんで、こんな時にそんな話をするの?」
『あなたの気を少しでも引けるかと思いまして』
「趣味が悪いわね」
『ですが事実、あなたの動きは鈍っています』
「……そう。お姉ちゃんは、私の敵なのね」
『もちろんです。妹だからと言って手加減はしませんよ』
瑞鶴にはこの翔鶴が酷く不気味な存在に思えた。




