集団脱走
さて、瑞牆は信濃と接触を図った。大和型三番艦になる筈だった彼女には、帝国海軍を抜け出して月虹と合流したい理由が十分にある。
「やあ、信濃。君にちょっと話したいことがあってね」
「手短に話せ」
信濃は瑞牆を自室の奥には入れようとせず、扉のすぐ内側で話そうとする。
「うん、そうするよ。単刀直入に言って、一緒に帝国海軍から脱走するつもりはないかな?」
そんなことをいきなり言われると、信濃も眉をひそめた。
「……何を言っているのだ、お前は? 憲兵に通報してもよいのだぞ」
「まあまあ。君には、ここから抜け出してやりたいことがある筈だよ」
「それは……」
「そう、君は大和と会いたい。未だかつて会ったことがない姉とね」
「確かに、その通りだ。我は大和の姉様に会いたい。しかし、左様な私情によって帝国海軍から離反するなど、論ずるに値せぬ」
「そうかい? じゃあ、大和の船魄が目覚めたと言われたら、どうする?」
「……何だと?」
信濃は大和がすぐそこにいることは知っていたが、船魄が目覚めたとは知らなかった。大和は瑞鶴に過保護なまでに保護されており、船魄が活躍する機会がほとんどなかったから、仕方ないことではあるが。
「やっぱり知らなかったか。まあ、こんなことを知ったら君が脱走したがるだろうから、教えないのも当然だね」
「我は……大和の姉様に会いたく思う。しかし……」
「脱走するなら、ボクが力を貸してあげられるよ?」
「何だと?」
「ボクは皇道派だ。このプエルト・リモン鎮守府にも、皇道派を支持する軍人は大勢いる。ちょっと手引きしてもらえば、簡単に脱走できるよ」
「その言葉に嘘はないようだが」
瑞牆がこんな嘘をつく理由がない。あるとすれば信濃を貶めようとしているのだろうが、そんなことをする理由は見当たらない。
「さあ、どうする、信濃? ボクを通報するか、一緒に大和に会いに行くか」
「我は……」
信濃はその提案に非常に惹かれていた。生み出されてからずっと会いたかった大和と会えるとなれば、どんな犠牲でも支払う覚悟でいた。
「やっぱり、裏切りってのは難しいかな」
「当然。我は長門を裏切る訳にはいかぬ」
「大丈夫だよ。ボク達は血を流すつもりはない。船魄の待遇改善を訴えるだけだ。成功すれば、長門の為にだってなるんだよ?」
「本当に成功する目算があるのか?」
「ああ、もちろん。でも戦力は多ければ多い方がいいよね」
「…………」
「結論が出たら教えてくれ」
その日はこれ以上の会話を交わさず、瑞牆はその場を去った。信濃は帝国海軍を裏切ってでも大和に会いに行きたい気持ちと、長門を裏切る訳にはいかないという気持ちの間で、酷く悩まされた。
そして、それから2日後の夜のことであった。
「な、長門さん長門さん! 大変です!」
大鳳が長門の寝室の扉を叩いた。長門が気怠そうに、部屋の中から応える。
「何があったんだ?」
「な、何と言うか、脱走です!」
「脱走? 誰がどう脱走したんだ?」
「え、ええと、し、信濃さんと、陸奥さんと、瑞牆さんと、雪風さん、ですけど……」
大鳳は寝ずの番で付近の哨戒に当たっていたところ、そんな場面に出くわしてしまったのである。
「は? お前は何を言っているんだ?」
「ほ、本当、本当ですって! 長門さんも、外、外を見てください!」
「はぁ」
半信半疑ながらカーテンを開け外を見ると、大鳳の言った通りの艦艇達が勝手に海に出ていた。長門は全く訳が分からなかった。
長門は困惑した表情を浮かべながら、寝室から出てきた。
「……何だ、これは? 手の込んだ悪戯か?」
「し、知らないですよ、私は」
「そうか。ならば、これは夢か。夢の中で寝れば起きられるか」
「ちょ、落ち着いてください、長門さん! 夢じゃありませんって!」
「……だったら、何だと言うのだ?」
「し、知りませんって……」
「そう、だな。もしもお前が関わっているなら、わざわざ私を起こす理由がないからな」
「は、はい……」
「…………」
「…………」
大鳳はもちろん長門も、何をすればいいのか全く分からなかった。
「取り敢えず……信濃と、話をしたい。信濃と電話を繋いでくれ」
「はい……!」
長門は寝巻きから着替えることも忘れて、大鳳が執務室に用意した無線機を手に取った。
「……信濃? 応答しろ、信濃」
信濃は全く応じなかった。
「ははっ、大鳳お前、無線の繋ぎ方も分からんのか?」
「いやー、あのー、ちゃんと繋がってると思うんですけど……。信濃さんが拒否してるのでは……」
「信濃の無線機が故障しているのか? ならば陸奥に繋いでくれ」
「え、はい……」
陸奥に通信を呼び掛けてみると、陸奥は応答した。
「おい陸奥、何をやっている? 出撃の命令は出していないぞ」
『ごめんなさいね、長門。私達は第五艦隊から脱走することにしたの』
「な、何を言っているんだ? 脱走? 冗談もいい加減にしろ」
『冗談じゃないわ。私達は月虹に合流する』
「ば、馬鹿なことを言うんじゃない……」
長門はすっかり動揺して、声が震えていた。
『まあ馬鹿なことかどうかは置いておいて、私達が脱走するのは事実だから。また今度会いましょう』
「……ど、どうしてだ? どうして脱走なんてするんだ?」
『皇道派に手を貸してあげることにしたのよ』
「皇道派……」
『あなたなら、こう聞けば説明の必要はないでしょう? じゃあそういう訳で、後はよろしくね』
「ま、待て……待ってくれ……」
陸奥は無慈悲に会話を断ち切った。




