船魄紹介【タリン】
【Таллин(タリーン)】
・艦として
・艦種:重巡洋艦
・艦級:(元)アトミラール・ヒッパー級重巡洋艦五番艦
・前級:ドイッチュラント級
・次級:ラ・ペリエール級
・建造:デシマーク造船所およびオルジョニキーゼ工廠
・進水日:1939年7月1日
・所属:太平洋艦隊第一隊群
・全長:203m
・全幅:21.9m
・基準排水量:16,600噸
・対艦兵装:20.3cm S.K. C/34 連装×4 533mm水上3連装魚雷発射管×4
・対空兵装:100mm Б34 連装高角砲×8 37mm 46К 4連装高角機関砲×12
・対潜兵装:なし
・搭載機:約3機
本艦は元はアトミラール・ヒッパー級重巡洋艦五番艦Lützowであった。その名はプロイセン軍人ルートヴィヒ・フォン・リュッツオウに由来し、二代目であった。
1940年4月、本艦は物資と引き換えにソ連に譲渡され、同名の都市名からПетропавловск(ピトロパーヴラフスク)と改名された。派遣されたドイツ人技師によって建造が進められ、ソ連はドイツの先進的な建造技術を本艦から学ぶことができたが、1941年6月、バルバロッサ作戦の開始で中断されてしまった。しかし完成度51%の状態で、8月に実戦投入された。
1942年のレニングラードの戦いでは浮き砲台としてドイツ軍に対する艦砲射撃を行ったが、A砲塔が破裂してしまった。9月17日には港内で大破着底したが、戦闘を継続した。9月には浮揚され、クロンシュタットで修理を受ける。1944年1月にレニングラード解放作戦に参加し、9月1日にТаллинと改名された。タリンはエストニア・ソビエト社会主義共和国の首都である。
その後、グラーフ・ツェッペリンがレニングラードへの攻撃を開始すると、クロンシュタットに停泊していた本艦も雷撃を受け、1945年9月17日、再び大破着底した。以降は独ソ戦の集結まで修理もされず放置された。
戦後は修理を受けるが、タリンはソ連海軍には馴染まない重巡洋艦だった。と言うのも、ソ連はついに20.3cm砲を持つ重巡洋艦を保有せず、18cm砲という他に例のない主砲を装備した巡洋艦を主力にしていたからである。しかし強大化するドイツ海軍や日本海軍に対抗するには一隻でも多く艦艇を用意しなければならず、タリンはようやく完成させられることになった。その際には主砲以外の武装をソ連式のものに置き換えられ、装甲も増設されて基準排水量は増大した。
・船魄として
・技術系統:米式第一世代
・身長:153cm
・体重:71kg
・血液型:O型
・髪:黒
・目:碧眼
・好きなもの:姉妹・ジャガイモ
・嫌いなもの:ドイツ・ソ連
世界の何もかもが嫌いな少女。自分を売り飛ばしたドイツも、それを買ったソ連も、何もかもを憎んでいる。ソ連によって上書きされた今の名前、そしてソ連製の船魄という自分自身も嫌いである。