決戦前夜
一九五七年八月二十七日、コスタリカ、プエルト・リモン鎮守府。
反政府武装勢力、アメリカ合衆国の蜂起から1ヶ月が経過した。CA海軍太平洋艦隊も、そこから分裂したUSA海軍太平洋艦隊も、太平洋に留まる気はなかった。どちらもアメリカ西海岸を南下し、パナマ運河を抜けてカリブ海に入っている。ここまで戦闘が起こらなかったのは、つい最近まで戦友であった者同士で殺し合いたくはないという人間的な理由からであった。
CA海軍太平洋艦隊が先にカリブ海に入り、USA海軍は3日ほど遅れてパナマ運河を越えた。USAの背後にはソ連がついているので、USA艦隊はソ連の影響下にあるニカラグアのプエルト・カベサス海軍基地に入港し、補給と整備を受けている。
そんな中、ニカラグアのすぐ南のコスタリカ、第五艦隊のプエルト・リモン鎮守府でのこと。
「ねえねえ長門、聞いた? 朝鮮が独立したそうよ」
ふらふらと執務室に入ってきた陸奥が、長門に世間話を持ちかけてくる。かなり大きな事件ではあるが、長門は全く知らない様子。
「こんな時に独立か?」
「別に、アメリカが内戦してようが帝国の内政には関係ないでしょう?」
「それもそうだな。確か、初代大統領選挙をやっていたのだったな」
「ええ。誰が候補だったか知ってる?」
「知らん」
「そうだろうと思ったわ。実質的には一騎打ち、朝鮮自由党の李承晩と朝鮮労働党の金日成ね」
「どっちが勝ったんだ?」
「78パーセントの得票率で、金日成の圧勝だったわ」
「……大丈夫なのか? 朝鮮が共産化するんじゃないか?」
「朝鮮は満州と帝国に挟まれてるし、外交的に帝国と敵対するとは思えないわね。まあ私も細かいところは分からないけど」
「そうか。いずれにせよ、私達には関係のないことだ。気にしても仕方があるまい」
「帝国の財政が改善されれば、海軍の予算が増えるかもしれないけど」
朝鮮半島の経営はついに黒字になることがなかった。日本は朝鮮半島を植民地ではなく帝国の新領土と位置付け、内地と同等の生活水準が送れるように開発していたから、黒字になる訳がないのである。欧米列強の植民地とはまるで真逆であった。
「予算が増えるのは、確かによいことだな。朝鮮から賠償金を取ったりはしないのか?」
「そのつもりはないそうよ。まあ賠償金なんてなくても、出費が減るだけで十分でしょう」
京都平和条約によれば、植民地を解放する際に宗主国は、植民地から収奪した富と植民地に与えた富の差額を賠償することになっている。イギリスとフランスはこれのお陰で財政破綻を起こした訳だが、朝鮮にこれを適用すると、朝鮮国が日本に賠償金を支払うということになる。
日本は朝鮮国に賠償金を請求する権利を有していたのだが、台湾の時と同じく、帝国政府はその権利を無償で放棄した。賠償金よりも朝鮮国と友好関係を築く方が得だと判断したのである。
かくして日本は明治維新以降に獲得した領土を(南樺太を除き)手放し、内地経営に一層集中することができるようになった。池田勇人首相にとっては望ましい展開だろう。
「ところで、USAの連中が目と鼻の先にいるけど、私達は手を出さないのかしら?」
ニカラグアのUSA艦隊の話に戻る。
「帝国政府の方針として、我々は中立なのだ。合衆国だろうが連邦だろうが、手は出さない」
「不愉快な話ね」
「お前はアメリカ合衆国と戦争がしたいのか?」
「あんな連中、とっとと潰した方がいいに決まってるでしょうに。長門も本当はそう思ってるでしょ?」
「……否定はしない」
「ふーん。旗艦って大変ね」
アメリカ合衆国は日本にとって不倶戴天の怨敵である。トルーマン率いる今のアメリカ合衆国は、合衆国の名を使っているだけで本来のアメリカ合衆国と連続性はないが、そう名乗るのは合衆国を継承せんとする意志の表れである。長門も内心では合衆国をとっとと滅ぼしたいと思っている。
「USAとCAが戦ったら、どっちが勝つかしら」
「どうだろうな。合衆国側には強力なハワイ級戦艦が三隻もいるし、ソ連海軍も援軍に加わるのであれば、その戦力は強大だ。だが空母の数は少ない。航空戦力では連邦が優勢だろう」
「つまり、どうなると思うの?」
「あれほどの数の戦艦を航空攻撃だけで沈めるのは無理だが、戦艦で空母を攻撃することはできない。決着はつかないだろう」
「なるほどね。でもUSAの目的は、東海岸の航路の安全を確保することよ。つまり、太平洋から来た艦隊がワシントンに到着できれば勝ちのようなものね」
CA海軍はUSA海軍をカリブ海に押し止めなければならないが、USA海軍はワシントンまで押し通れば十分なので、CA海軍の方が勝利条件が厳しい。
「日本海海戦のような状況だな」
「そうね。あれだけの戦艦を食い止めるのは大変そう」
「ハワイ級に正面から対抗できる戦艦がグラーフ・ローンしかいないからな。厳しいと言わざるを得ないか」
「できればアメリカ合衆国には負けて欲しいけど」
「そうだな。我々は、ただ願うことしかできない」
長門は内心ではアメリカ合衆国艦隊の背後を衝きたいと思っていたが、そんなことが叶う訳がないのである。