あきつ丸の襲撃Ⅱ
「な、何でここに」
「瑞鶴さん、大和の為に人を殺そうとしていますよね? そんなことは、やめてください」
大和の口調はまるで子供を説教する親のようであった。
「確かに、あなたは嫌がると思ったわ。でも、あなたを守る為に仕方ないの。大体、先に襲いかかって来た陸軍の連中の方が悪いでしょ」
「そうだとしても、人殺しなんてしたら、後々に悪い影響が出ることは、間違いありません」
「分かってるわよ、そんなこと。でも……」
「大和に、考えがあります。少し、待ってくれますか、瑞鶴さん?」
「考え……?」
今の大和にできることなど何もないだろう。大和にそう告げるのは憚られたが、瑞鶴は当然にそう思っている。
「自分の艦との繋がりを回復できれば、対処のしようがある筈です」
「そ、そんなの、まだ早いわよ!」
「大和は船魄です。そんなに過保護にされたら、逆に悲しいです」
「それは、そうかもだけど……」
「瑞鶴さん、大和を少しだけ信じてください」
「……分かった。ダメそうなら、その時は私が敵を殺す」
「それで瑞鶴さんが納得してくれるなら」
10年振りのことであるし、そもそも現在の大和は再建造されたものであって、可能な限り現物を再現していると言っても全く同一ではない。大和の負担は大きいだろう。
大和はかつての感覚を取り戻そうと意識を集中させるが、なかなか上手くいかず、冷房の効いた部屋なのに汗が噴き出す。そもそも船魄が艦から離れて艦の制御を行うのは異常事態であり、特に問題のない船魄であっても疲れるものだ。
「だ、大丈夫、大和……?」
「大丈夫、です……。大和は、このくらい、平気です……」
「…………」
明らかに無理をしている大和を止めたいとは思いつつ、大和の意志を踏みにじることもできず、瑞鶴は黙ることしかできなかった。大和もまた、作業に集中するべく一言も発しない。
20分程度が経過しただろうか。陸軍のヘリコプターが迫り来る中、大和はついに口を開いた。
「や、やりました……。艦の制御を、取り戻しました……」
「よかった……。それで、何とかなりそうなの……?」
「大和の艦内は、侵入者に備えて、色々と設備があるようです」
「ああ、そうね。敵の移乗攻撃に備えて、主力艦はそういう改装がされているわ」
「人間を船魄の艦に乗せると船魄の集中力が削がれ性能が低下する」という岡本技術中将の提言を受けて、帝国海軍の艦艇は和泉などの例外を除いて人間を乗せていない。それ故、敵が乗り込んできた時に備え、侵入者を撃退する設備が色々と備え付けられている。
かつての大和はそんな改装をするまでもなく沈んだし、瑞鶴は早々に帝国海軍から去ったのでそういう改装はされていないが、今の大和は船魄単独での運用を前提に設計されている。
「これを使えば、陸軍の人達には何もできないかと思います」
「本当に、大丈夫なの……?」
「確実とは言えないですけど……きっと大丈夫だと思います」
「大和なんだし、それなりの設備くらいはあるか……。分かった。あなたを信じるわ。でも何かあったらすぐ私に言って」
「分かりました。いざとなったら……」
かくして、敵を殺さずに撃退するという大和の作戦が始まった。瑞鶴は大和の直上に戦闘機を待機させ、いざとなったら陸軍を皆殺しにする用意を整える。
陸軍のヘリコプターがやってくるが、大和にヘリコプターを発着させられるような場所はないので、ヘリコプターは空中に静止してロープを下ろし、兵士が降下する。大和に乗り込んできた兵士は百人にも満たない程度であったが、空挺兵と同様の精鋭である。
彼らは早々に艦内に侵入するが、しかし彼らの目の前には鉄の扉が聳え立っていた。対人用の隔壁である。それに備えて陸軍軍人も爆弾を持ってきているようだが、一つ爆破するだけでも数分を要し、全く進むことができない。
「少し苦しいと思いますが……死ぬことはありません……」
「え、何する気なの?」
「みどり剤を噴霧します」
「……何それ?」
「ええと……催涙剤というか、つまり毒ガスですが、人は死なない筈です」
「へえ。物知りね」
非致死性の化学兵器として帝国陸海軍が運用する「みどり剤」ことクロロアセトフェノンを、敵が侵入した区画に流し込む。致死性の毒ガスも備えがあるようだが、もちろん使うことはない。
どうやら海軍の艦艇に化学兵器を運用する能力があるとは知らなかったらしく、陸軍の兵士達は息も絶え絶えの様子で甲板に上がってきた。
「敵が撤退していきます……」
「ええ。こんなことしてタダで見逃すなんて癪だけど」
「まあまあ、落ち着いてください、瑞鶴さん……」
兵士達は大急ぎで螺旋翼機に戻って、あきつ丸に逃げ帰った。陸軍の企みは何の成果も挙げられず、無惨な結果に終わった訳である。
「大和は、あなたは大丈夫? 疲れてない?」
「正直なところ……かなり、疲れました……」
「そうよね。今日はゆっくり休みましょう」
瑞鶴は大和の車椅子を押して二人の部屋に戻り、大和をベッドに寝かしつけた。大和は横になるとすぐ意識を失ってしまった。
「今すぐ襲っちゃいそうだけど、流石にダメよね……。はぁ」
瑞鶴はその日、寝室から一歩も出てこず、ずっと大和の傍にいた。