石橋内閣倒れる
「クイーン・エリザベスねえ……。何で私達を助けに来たの?」
瑞鶴はエリザベスに尋ねた。
『ソユーズに言った通りです。私は不名誉なやり方が気に入らないだけです』
「え、本当にそれだけなの?」
『ソユーズにも聞かれましたが、それだけです。本国はさぞ戦々恐々としていることでしょう』
「……大丈夫なの、それ?」
流石の瑞鶴も心配になってくる。
『よくあることです。お気になさらず。それと、まだ暫くは、私達も貴女方の警護に当たらせていただきます』
「それはありがたいけど……」
絶対に本国からの命令ではないだろうと思いつつ、そこまでエリザベスを心配するのもお節介だと思い、瑞鶴はエリザベスの申し出を受け入れることにした。これで暫くは安全だろう。
『それと、せっかくですし、私の妹ウォースパイトもご紹介しておきましょう』
「そうね。この前は結局何も話さなかったし」
ウォースパイトはクイーン・エリザベス級戦艦二番艦である。つまりエリザベスのすぐ下の妹だ。エリザベスはウォースパイトと瑞鶴の通信を繋がせた。聞こえてきたのは凛々しく刺々しい声であった。
『私はクイーン・エリザベス級戦艦二番艦、ウォースパイトだ。ソ連の連中もお前達も無駄な戦争を起こす愚か者だが、姉上がお前達に味方すると言うから、こうして味方している』
「あ、そう……。そんな嫌々ながら味方してくれてるのね。うん、ありがとう」
『感謝の必要はない。私は姉上の命令に従っているだけだ』
「その姉上は思いっきり命令違反しているけどいいの?」
『主君の主君は主君にあらずと言うだろう。私にとって唯一の主は姉上だけだ』
「私に言えたことじゃないけど、イギリス海軍の指揮系統はどうなってんの?」
『瑞鶴さん、これについては案外、変なことでもないかもしれません』
高雄は言う。
「どういうこと?」
『普通の軍隊でも、例えばどこかの部隊の指揮官が反乱を決意すれば、部下は付いてくるものです。もっとも、上官の上官に直接命令されれば、それには従うべきですが』
「結局イギリス海軍がおかしいってことじゃない」
『ま、まあ、それはそうですね……』
エリザベスもウォースパイトも本国の命令を無視することに何の罪悪感も懐いていない。組織としては甚だ末期的な状態と言わざるを得ないだろう。
○
一九五六年十月十五日、大日本帝国東京都麹町区、宮城明治宮殿。
その日、いつも通りに御前会議を開いていた石橋湛山首相は、突然に苦しみ始めて倒れてしまった。アメリカ戦争で疲労が溜まり、元より体調が万全ではない石橋首相に限界が来たのである。
石橋首相自身は幸いにして一命を取り留めたが、最早公務を続けられる状態ではなく、速やかに次の首相が選出されることとなった。重臣会議の席で、石橋首相は次の首相として石橋内閣で大蔵大臣を務めた池田勇人を推薦し、これは認められた。
かくして池田勇人蔵相に組閣の大命が下り、池田内閣が組織された。と言っても、大蔵大臣以外の人事は石橋内閣とほとんど変わらず、当然ながら大本営の面々が変わる筈もないので、御前会議にいる人間はほとんど変わっていない。
「――ほとんどの者とはもう顔なじみだと思うが、改めてよろしく。世界情勢は混沌としているが、力を合わせて乗り切ろうじゃないか」
政権引き継ぎは極めて迅速に支障なく行われた。
「さて、私は大蔵官僚だからね。やはり経済発展を重視するということは、先に行っておこう。帝国がドイツやソ連に勝つにはどうすればいいか。やはり我が国の不利な部分を埋めていくしかない。経済の面で言うならば、やはり細長い国土、これが良くない。面積の割に人の往来が妨げられてしまうからね。これを解決するには、高速鉄道をより拡充していく他にない。そういう訳で、私が現職のうちに新幹線の延伸に注力していきたい。完成まで行かずとも、着工だけはさせたいものだ」
「首相閣下はやけに回りくどい言い方をしていますが要するに、東北新幹線の大湊延伸を阻止したいという話ですか?」
海軍軍令部総長、神重徳大将は歯に衣着せぬ言い方で尋ねた。大湊鎮守府に新幹線を通す件は、石橋首相に一度承認を得ていた。
「まあ、そういうことだね。東北新幹線八戸以北だが、やはり新青森に延伸すべきだ。青函航路にも直通しているのだからね」
「新青森に通すなとは言いません。新青森と大湊両方に新幹線を伸ばしていただきたいと言っているのです」
「そうは言ってもね。大湊町は町としてはそれなりの規模だが、盛岡や仙台とは比べ物にならない。八戸と大湊の間に大都市がある訳でもない。経済的には巨額の赤字を垂れ流し続けることになるだろう」
「大湊鎮守府は北方警備の最重要拠点でありますから帝都と大湊を迅速に繋ぐことは国防上極めて重要です」
「呉の方だって、新幹線駅は広島じゃないか」
「広島から呉に行くには1時間も掛かりませんが八戸から大湊は3時間近く掛かります。この差は重大です」
「その数時間の差に、軍事的な意味があるとは思えないんだがね。舞鶴新幹線で満足してくれないかね?」
舞鶴港は日本海側に数少ない交易の拠点であるから、舞鶴と京都を結ぶ舞鶴新幹線は主に貨物新幹線としての経済性があると認められ、既に着工している。
「一方向を疎かにすればそこを攻められるだけです。海軍としては大湊新幹線の設置を強く希望します」
「大湊新幹線に経済性が生まれなければ、内閣総理大臣として許容できない」
池田首相は経済を最優先にする人であった。であるからして、帝国海軍もまた軍事的な行動が消極的になることは避け得ない。月虹の拿捕作戦などは暫く行われないだろう。