月虹とドイツ軍
一九五六年七月二十四日、フロリダ州メイポート補給基地。
ワシントンを海上から攻略することは不可能であると判断され、国連軍はウィルミントンからワシントンまで地道に攻め上がることにした。アメリカ軍はマーシャル元帥による徹底した焦土作戦と巧みな反撃によって、塹壕の一つもない割にはよく時間を稼げているものの、やはり限度があった。
既にソ連軍はカナダを突破してワシントン州やモンタナ州に侵入しているし、ウィルミントンから上陸したドイツ軍は上陸から45日で350km前進してバージニア州リッチモンドに差し掛かっていた。
さて、メイポート補給基地は今やドイツ軍にとってアメリカ大陸最大の拠点であり、多数の艦艇が常に駐屯しているが、この日は珍しい面子が揃っていた。
「瑞鶴殿、直接顔を合わせるのは久しぶりであります」
「そうね、ビスマルク。まああんまり新鮮さは感じないけど」
この日、瑞鶴はビスマルクを訪ねていた。ビスマルクに呼び出されたからである。ビスマルク艦内に入るとまずは食堂に案内されて、高そうなステーキが出てきた。
「……で、これは食べればいいの?」
「? ステーキは食べるものに決まっているのであります」
と言って、ビスマルクは当然のようにナイフとフォークを握った。
「え、何、私と一緒にステーキ食べる為に呼んだ訳?」
「それが目的という訳ではありませんが、取り敢えず食事を共にした方が話しやすいというものでありましょう」
「あんたが食べたいだけじゃないの?」
「そんなことはないのであります」
仕方ないので、瑞鶴はビスマルクの目の前に座り、ステーキをいただくことにした。四六時中食事のことしか考えていないビスマルクの食堂というだけあって、一流の料理人が配属されているのか、帝国ホテルのそれにも劣らない美味であった。
さて、よく分からないままステーキを食べていると、ビスマルクと瓜二つな少女が仏頂面で姿を現した。
「……姉さん、妙なことをしていないかと思ったら、また予算を横領しているのか」
「会食費であります。旗艦たるもの、礼節を尽くすことへの投資は必要であります」
「単なる作戦会議だろうに」
ティルピッツは心底呆れたように溜息を吐いた。瑞鶴は酷い会話に唖然としていたが、すぐに気を取り直した。
「随分と久しぶりね、ティルピッツ」
「ああ、そうだな、瑞鶴」
「おや、二人は知り合いなのでありましたか?」
「船魄として目覚めたのは、あんたよりティルピッツの方が早いからね。そしてその時は私もドイツにいたから。顔見知り程度だけど。って、前にも言った気がする」
ビスマルクは再建造された言わば偽物であるが、ティルピッツは本物である。第二次世界大戦終わってすぐの頃のドイツ海軍が保有している稼働主力艦はツェッペリンとティルピッツだけだったから、大急ぎで船魄化されたのだ。
そんな挨拶は早々と切り上げて、ティルピッツは真面目に作戦会議をしろと姉に促した。ちゃっかりステーキをもらいながら、だが。
「瑞鶴殿、我が陸軍は現在、リッチモンドに到達しているのであります。しかしここは要塞化され、突破には手間取りそうなのであります。そこで貴殿ら月虹には、リッチモンドへの航空支援を頼みたいのであります」
これまで焦土作戦ばかりだったアメリカ軍だが、リッチモンドだけは守りたいらしい。リッチモンドはワシントン南方では最大の都市であり、ちょうどワシントンへの道を塞ぐ立地である。アメリカ軍が最後の砦にするのは自然なことだ。
「手間取ってるってことは、要塞化されてるの?」
「その通りであります。かなり入念に要塞化されているようです」
「あ、そう。でもそんな重要な仕事を私達にやらせるの? ただの民間団体なのに」
「それについては、シャルンホルストを沈めた月虹と一緒に戦いたくないという艦が多数であるから、らしいのであります」
ビスマルク自身も不思議そうに。
「らしいって何よ」
「本艦には仲間の生き死に程度で仲間を恨む気持ちが理解できないのであります」
「はぁ……」
瑞鶴が呆れていると、ティルピッツが横から口を挟んでくる。
「私の姉はおよそ人間らしい感情が欠落しているんだ。許してくれ。大半の艦は仲間の死を悼んでいる」
「そう。私達の方も意気消沈してたし、ビスマルク以外はマトモみたいね」
「そうなのか。あれは、何も生まない戦いだったな……」
ティルピッツのナイフの動きが止まる。だがビスマルクは特に気にせずステーキの切れ端を頬張っている。
「まあ、そういうことらしいのであります」
「あんたねえ……。もしもティルピッツが死んだらとか考えたことはないの?」
「ティルピッツが死んだら、でありますか? 個人的には悲しむと思いますが、それで判断が変わることはないのであります」
「まったく、私を何だと思っているんだか」
「大事な姉妹だと思っていますよ」
「その大事は人に対しての感情なのか」
「そんなことは置いておいて、瑞鶴殿、頼まれてくれますか?」
ビスマルクの薄情さには突っ込む気力も出なかったが、それはともかく、アメリカ討伐の手伝いというのなら受けない理由がない。瑞鶴はその場でドイツ陸軍への支援を約束した。