ドイツ海軍の進出
一九五六年五月十四日、アメリカ合衆国フロリダ州メイポート補給基地。
時は少し戻って、コチノス湾上陸作戦が成功に終わり、クラーク大将が戦死した翌日のこと。アメリカ海軍の東海岸における最大の拠点メイポート補給基地にて。
「ドイツ艦隊が一斉に動きだしました! ほぼ全ての艦艇が、一斉にここに向かってきています!」
「そいつは困ったな」
報告を受けたマッカーサー元帥は全く動じなかった。ドイツ海軍が攻め込んでくるなど、別に驚くべきことではない。予想より少しばかり動きが早かったという程度だ。
「敵の数はどれくらいだ?」
「戦艦六、空母七が主力です。しかし日本軍やソ連軍が動き出せば、倍に増えるかもしれません」
「なるほど。そいつは全く勝ち目がないな」
マッカーサー元帥の手元にあるのは戦艦四隻に空母三隻だけである。空母についてはエンタープライズもいるし、残りの空母も超大型空母と称されるミッドウェイ級だが、流石に国連艦隊とは数が違い過ぎる。戦艦については全く相手にならないだろう。
報告を携えて、元帥はエンタープライズの艦橋に足を運んだ。
「――とのことだ。どうする、エンタープライズ?」
「この前と同じです。逃げる以外に選択肢はないです。ワシントン要塞に籠城しましょう」
「そうだな。スプルーアンスにも言っておこう」
「恐らく認めてくれるでしょう。私達にマトモに戦う戦力は残っていないのですから」
ワシントンで色々やっているらしい艦隊司令長官スプルーアンス元帥に、マッカーサー元帥はメイポート補給基地を放棄する許可を求めた。どうして陸軍軍人のマッカーサー元帥がこんなことをしているのか、平時ならば大問題になるだろうが、今や誰も気にしていなかった。
スプルーアンス元帥は直ちにマッカーサー元帥の提案を受け入れて、全艦隊にワシントンまで撤退するよう命令した。ワシントン以南の東海岸を放棄したのである。
○
一九五六年五月十四日、アメリカ合衆国ワシントン特別市、首相官邸ホワイトハウス。
同日、スプルーアンス元帥はアイゼンハワー首相に呼び出され、海軍の状況について報告を求められていた。
「元帥、君の判断は支持するが、これからどうするつもりだ?」
「海軍としては、アイスバーグ作戦に基づき、ワシントン要塞への籠城を基本としつつ、適宜通商破壊を行って、敵の補給を可能な限り妨害します。出せる艦は巡洋艦以下の艦に限られますが」
「分かった。だが、海を捨てるなら、敵はまもなく東海岸に上陸してくるだろう。それはどうする?」
アイゼンハワー首相は陸軍参謀総長マーシャル元帥に尋ねた。
「陸路であれば、徹底した焦土作戦、道路の破壊で対応できるでしょう。特にドイツ軍の機甲師団は、道路がなければ動けません」
戦車は荒地でも駆け回れるが、補給を支えるトラックなどはそれなりに整った道路が必要である。
「焦土作戦か」
「首相閣下、カナダ西部を焼け野原にしておいて、今更怖気付いたなどとは言いますまいな?」
「そんなことは言わん。必要であれば、ニューヨークだろうと焼け野原にして構わん」
「はっ」
「閣下、そこまでして悪足掻きをして、一体何になると言うのですか?」
スプルーアンス元帥は首相に尋ねる。その質問は、ここにいる誰もが意識的に避けていたものであった。
「時間さえ稼げば、いずれ国連軍が仲違いして、どこかが講和に応じるかもしれない」
「確かにドイツか日本かソ連が戦争から離脱すれば、勝ち目はあります。しかし、そんなことが現実的にあり得るとお思いなのですか?」
「それに賭ける以外、我々に選択肢はない。だがその可能性を上げる方法は、一人でも多く敵を殺すことだ」
アイスバーグ作戦とは、列強の少なくとも一国が諦めてくれることに賭けた作戦なのだ。
○
一九五六年五月十八日、フロリダ州メイポート補給基地。
メイポート補給基地は事前に破壊されていたが、広大な港湾を完全に破壊するなど無理な話。そもそも天然の地形こそが良港の本質なのであって、艦隊の停泊に適していることに変わりはない。
ドイツ海軍はメイポート補給基地を無抵抗で確保し、ここに新たな拠点を置くことにした。その中にはアトミラール・ヒッパー級重巡洋艦達の姿もあった。岸壁に三人の船魄が語らっている。
「久しぶり、ヒッパー。大西洋を行ったり来たりしてお疲れ様」
プリンツ・オイゲンが無駄に挑発的に呼びかけたのは、長姉のアトミラール・ヒッパーである。灰色の髪と青い目に白い軍服をして、癖の強い妹達の対処に困り果てている苦労人であった。
「ああ、久しぶりだな、オイゲンとザイドリッツ。だが、お前達もこれから大西洋を駆け回ることになるんだぞ」
「あら、そうなの?」
「聞いてないのか? バミューダ諸島からアメリカまでの海上護衛を、私達が任されることになった」
「つまらない任務ね」
「ところでヒッパー姉さん、ブリュッヒャー姉さんはどこにいるのですか?」
ザイドリッツはヒッパーに問い掛ける。
「さあな。待っていればそのうち現れるだろ」
「左様ですか」
「ふふ。ヒッパーも意外と雑なところがあるわよね」
「姉妹とは言え、一挙手一投足まで把握しているのは気持ちが悪いだろう」
「それもそうね」
「姉妹を揃えて会いに来るようビスマルクに言われている。探しに行くか」
「ヒッパー姉さん、こういう時にお互いが動き回ると却って時間がかかるかと」
「そうか? ならば、ビスマルクのところで待っているとしよう。ブリュッヒャーもこのことは知っている」
ヒッパーと姉妹達は取り敢えずビスマルクに向かうことにした。ビスマルクは彼女の艦にいるので、港を歩いて向かう。