キューバ遠征軍の崩壊
「コチノス湾には、敵の増援が続々と到着しています。現在の時点で敵の兵力はおよそ12万。それが更に増えるものかと思われます」
「マトモにやり合って、勝てる訳がないな」
クラーク大将はすっかり勝利の可能性を諦め切っていた。キューバ遠征軍は基本的にゲリラ戦への対処を優先してきたので、ドイツ軍や日本軍のような列強の陸軍と正面切って戦う能力はない。
「いっそ我々が山奥に籠ってゲリラ戦で時間を稼ぐか……」
「選択肢としては、十分現実的かと」
と、その時、クラーク大将の執務室に伝令が駆け込んできた。
「閣下! 上陸した敵軍が動き始めました! ここを目指して進軍しているようです!」
「もう動き始めたか。素早い判断だ」
「閣下、ハバナ守備隊の戦闘能力は皆無です。今すぐ脱出していただきたい」
ハバナ守備隊はコチノス湾の防衛に回していたのだが、それはつい昨日に壊滅した。
「そうだな。陸路で逃げるか空路で逃げるか……」
「敵は高度に機械化されており、進軍速度は我々の予想を上回る可能性があります。陸路ですと、国連軍に先に包囲される可能性があります」
「では、空路で逃げるとするか。敵の戦闘機に襲われないことを皆で祈ろう」
クラーク大将は逃亡の準備を始めたが、その時であった。傍聴される危険も顧みず、本国から大将に電話が掛かってきた。一体何事かと受話器を取ってみると、相手は空軍のルメイ大将であった。
『こちらはルメイ空軍大将だ』
「クラーク陸軍大将ですが、何の御用で? そもそも、この会話がほぼ確実に盗聴されていると分かっているのですか?」
『ああ、分かっているとも。寧ろ国連軍とやらに聞かせてやろうと思ってね』
「……で、要件は?」
『君はハバナを放置して逃亡しようとしているようだが、間違いないな?』
「当たり前では?」
『そうかそうか。君はそう考えるか。だが、それは正しくないことだ。ハバナを捨てるのであれば、ハバナを焼き尽くして人民を皆殺しにしてからにしろ。見せしめである。独裁者の手先がどうなるのか、全世界に見せしめにするのだ』
「……ふざけないでもらいたい。何の意味もない大量虐殺に加担しろと? そんなこと、あんたらが勝手にやればいい!」
クラーク大将はアメリカには数少ない国際法を遵守するマトモな将軍であった。ルメイの要求など到底受け入れられない。
『ならばお前は民主主義に対する裏切り者だな』
「勝手に言っているがいい。このクソ野郎が」
『まあいい。お前達がやらないのなら、我々がやるまでだ。空軍は今すぐハバナを焼き尽くす。君もそこで、民主主義の炎を見ているといい。さらばだ』
「とっとと失せろ」
クラーク大将は電話を切った。
「か、閣下、ルメイ大将は本気なのでしょうか……?」
「だろうな。奴は本物の狂人だ」
「は、早く脱出しましょう!」
「もちろんだ。だがその前に、ハバナの全市民に空爆が行われると伝えるんだ。今すぐに。急げ!」
クラーク大将にルメイを止められる力はなかった。アイゼンハワー首相もまた、将来的に国連への生贄に捧げる予定のルメイを解任できず、彼の行動を黙認する他になかった。クラーク大将はハバナ全市民に安全な場所に避難するよう呼び掛けたが、地下街や地下鉄など存在しないハバナに安全な場所などほとんどなかった。
できることをやり切った後、クラーク大将と幕僚達は輸送機で脱出を図った。目的地はキューバ中部である。山林に潜伏してゲリラ戦で時間を稼ぐのだ。だが、彼らの祈りは通じなかったらしい。
「閣下! 日本の戦闘機です!!」
「見つかってしまったか……。逃げ切れる訳がない。皆、すまないな」
鳳翔が飛ばしていた艦載機に見つかってしまった輸送機は、護衛の甲斐なく一瞬で撃墜された。総司令官と総司令部を失ったキューバ遠征軍は指揮系統が完全に崩壊し、孤立した部隊は次々と国連軍に降伏することになる。
○
一九五六年五月二十二日、キューバ共和国、首都ハバナ。
この戦争始まって以来ようやくキューバの手に戻ったハバナであったが、ルメイの空爆を受けて焼け野原になっていた。空爆による死者は2万人程である。
キューバ共和国の最高指導者フィデル・カストロ議長は、アメリカ軍の捕虜数千人をハバナに連行して、次のような演説を行った。
「あなた達がこれからここで見るものは、民主主義が犯した釈明しようもない犯罪の証拠である。国際連盟が自由民主主義を根絶する為にいかなる手段をとろうとも、それは正当化される。あなた達がこれからここで見る物はまさにアメリカ国民の恥辱であり、アメリカ合衆国という国名を文明国の中から抹消しなければいけない程のものである」
カストロ議長は捕虜にしたアメリカ兵全員にアメリカ軍の虐殺現場を強制的に見学させた。
その後、ハバナ陥落から2週間でキューバ遠征軍の全部隊が降伏した。劇的な戦いもなく、陰惨とした終わり方であったが、キューバは完全に解放されたのである。