戦争の終わり
その日、赤軍最高総司令部にて。
「――そうか。ソビエツキー・ソユーズは無事か。それならよいのだ」
ソユーズが中破で済んだと報告を受け、スターリンは安堵した。
「しかし同志スターリン、ソビエツキー・ソユーズは現在、ポルトガルから動くことができません。これではドイツに対して何ら脅威を与えられないのでは?」
ジューコフ元帥は問う。
「あわよくばグラーフ・ツェッペリンを撃沈してドイツを滅ぼせるかと期待したが、これで十分だ。我々が船魄を生み出せる技術力を持っているとドイツに対して示すことができれば、ドイツは焦って我々に優位な講和に応じることだろう」
ドイツがソ連領に攻め込んでソ連を降伏させる可能性は皆無だが、長期的に見てソ連がバルト海の制海権を奪取する可能性はある。そうなればドイツはお終いだ。
「なるほど。流石は同志です。しかし、であれば、彼女は別に沈んでもよかったということですか?」
「政治的にはそういうことになるな。だが、私はもうあのような子供達が死ぬのは懲り懲りなのだよ」
「ご自分で何万という子供を餓死させたのにですか?」
ジューコフ元帥の発言に人々はざわめいた。が、スターリンは何ら驚いてはいないようであった。
「全て必要な犠牲だった。レーニンの建てたこの国を守る為ならば、私はレーニンすらも殺すだろう」
「なるほど。同志はやはり、国家の指導者としてはこれ以上を望めない程に素晴らしいお方です」
そうこうしているうちに、スターリンの読み通り、ドイツから交渉再開の申し出があった。
○
ドイツとの交渉を前にして、スターリンはモロトフ外務人民委員を執務室に呼び出した。
「モロトシヴィリ、軍事力によってドイツを打倒する可能性は潰えた。今こそ講和の時なのだ」
モロトシヴィリというのはモロトフのあだ名である。因みにモロトフも、スターリンに対してコーバというあだ名を使うことを、全ての高官の中でただ一人許されている。
「よろしいのですか? アメリカを裏切ることになりますが」
「構わん。元より我々は、ヒトラーを倒す為に、チャーチルやルーズベルトのような帝国主義者の悪魔共と手を組んだのだ。その必要がなくなったのなら、悪魔との契約などとっとと破棄した方がよい」
「悪魔は契約を破棄することをそう簡単に許してくれないのでは?」
「去年ならいざしらず、今や悪魔は死に体だ。どうせなら悪魔を討ち取ってしまった方が、世界の為ではないか?」
「……それはつまり、アメリカに侵攻するということですか?」
「ふむ、少し口が滑ったな。今言ったのは将来的な可能性の一つに過ぎない。今は、そういう余計なことは考えなくてよい」
「はい。で、肝心の交渉条件ですが、どこまで許容されますか?」
「現状の占領地をそのまま互いの勢力圏とすることだ。赤軍を一歩たりとも下がらせることは許さん」
「承知しました。必ずやコーバのご満足される結果をお聞かせします」
「期待しているぞ、モロトシヴィリ」
かくしてモロトフ外務人民委員とリッベントロップ外務大臣は講和交渉を開始した。その結果は以下の通りである。
一つ、互いの勢力圏は現在の占領地に固定する。具体的には、ソ連が既に占領しているルーマニアとブルガリアに社会主義政権が建てられること、独ソの国境線は戦前のものに回帰すること(ポーランドは消滅すること)である。現在の前線は旧ポーランド・ソビエト国境付近にあるので、赤軍は前進したことになる。
二つ、互いに一切の賠償を要求しない。
三つ、ソ連はアメリカとの関係を全て破棄する。これはドイツにとって有利な条件である。
このような内容で両国は単独講和を結んだ。この条約はワルシャワで締結されたが、その際にはヒトラーとスターリンが直接に顔を合わせた。
「書記長、あなたは我々の最大の敵であったが、同時に最も尊敬する指導者の一人でもあった。このような場を持てることは、実に嬉しく思う」
「総統、我々が完全に和解するのは、恐らく不可能だろう。だがせめて、これ以上命が失われることがないよう、互いに全力を尽くそう」
独裁者二人の会談は、二人を除いて通訳しかいない密室で行われ、両国の最高幹部であってもその内容を知ることはできなかった。
30分ほどの会談を終えると、ヒトラーとスターリンはそれぞれ講和条約に署名し、ここにワルシャワ条約が締結された。また両名はカメラの前で表面上はにこやかに握手を交わし、その瞬間を収めた写真は第二次世界大戦を象徴する一枚として全世界の教科書に載ることになる。
○
一九四五年八月十七日、アメリカ合衆国連邦直轄市ワシントン、大統領官邸ホワイトハウス。
ソ連はドイツとの交渉についてアメリカに何の通告もしておらず、ホワイトハウスにとってワルシャワ条約というのは寝耳に水であった。
「ば、馬鹿なッ! そんなことがあるものか!」
ソ連が堂々と裏切ったという報告を聞いて、トルーマンは狼狽える。気が動転したのは彼だけに留まらず、ホワイトハウスでは誰もが顔を真っ青にしていた。――ただ一人の男を除いて。そう、ルーズベルトである。
「諸君、どうして揃いも揃って頭に銃口突きつけられたような顔をしているのだね? 焦ることなど何もない。どの道、我々の民主主義と相容れないソ連など、地上から消し去る予定だったのだ。同盟を破棄する手間が省けてよかったじゃないか。民主主義の絶滅か、民主主義以外全ての絶滅か、これはそういう戦争なのだよ」
アメリカは和平に応じる構えなど全く見せず徹底抗戦を続けるが、結果は知っての通りでおる。