船魄紹介【長門】
挿絵はキャラデザを分かりやすく伝えるためにAIで作ったものです。絵自体のクオリティには期待しないでください。
【長門】
・艦として
・艦種:戦艦
・艦級:長門型戦艦一番艦
・前級:伊勢型
・次級:大和型
・建造:呉海軍工廠
・進水日:1919年11月9日
・所属:第五艦隊
・全長:225m
・最大幅:34.6m
・基準排水量:39,000噸
・対艦兵装:四十五口径三年式四一糎連装砲×4 五十口径三年式十四糎砲×12
・対空兵装:八九式十二糎七連装高角砲×12 九六式二十五粍連装機銃×26 同単装機銃×32
・対潜兵装:なし
・搭載機:約4機(偵察用)
艦名は通例通り旧国名で、明治維新の立役者毛利藩のあった長門国にちなみ、初使用。
大東亜戦争では大和型に次いで新しい戦艦であったが、海軍休日時代を挟んでいるので竣工は1920年と、旧式と言われても仕方がない艦齢である。建造時は世界最強最速の戦艦であり『世界七大戦艦』とも呼ばれた。長きにわたって連合艦隊旗艦を務め、大和型戦艦が長らく極秘であったこともあいまって、帝国臣民に最も親しまれた戦艦と言ってもいいだろう。
世界七大戦艦というのは実際のところ日本でしか使われていない名前であるが、これは海軍休日時代において41cm砲を搭載する戦艦がこの7隻だけという意味である。本艦はその中でも史上初めて41cm砲を搭載する戦艦であった。本艦の登場は第一次世界大戦以降の建艦競争を増々激化させ、ワシントン海軍軍縮条約の原因の一つとなったことは間違いない。
大東亜戦争前には1923年の関東大震災の救助、1937年の第二次上海事変では陸軍の輸送任務などを行った。
大東亜戦争開戦時には連合艦隊旗艦を務めており、長門から真珠湾攻撃の実行が命令された。1942年2月に連合艦隊旗艦は大和に移され、以降長門は過剰なほどに温存されて内地で過ごすことになる。1943年6月8日、柱島泊地にて、妹の陸奥が目の前で原因不明の事故を起こし爆沈した。
1943年8月からはトラック諸島に配属され、1944年2月からはリンガ泊地に配属されるが、依然として敵艦隊と戦闘に及ぶことはなかった。6月のマリアナ沖海戦では米軍の空襲を受けるが、損害軽微であった。
1944年10月、レイテ沖海戦においては武蔵の沈没を見届け自身も大破。内地に回航されて修理及び船魄化回収を受ける。1945年12月のサンフランシスコ攻撃から参戦し、上陸の支援などを行った。
戦後、連合艦隊司令部が再び軍艦に移されるに当たり、大和型戦艦が全て沈んだことで再び連合艦隊旗艦を務めたが、最新鋭の和泉型戦艦の竣工に伴ってこの任を解かれ、以後はアメリカ方面を取り仕切っている。
・船魄として
・技術系統:日本式第一世代
・身長:168cm
・体重:76kg
・血液型:B型
・髪:黒
・目:黒
・好きなもの:秩序・温泉
・嫌いなもの:原子爆弾・幽霊
絵に描いたような軍人口調で話し、中身も秩序と規律を重んじ正義を為す軍人そのもの。同僚達とは仲良くしたいとも思っているものの、かつての連合艦隊旗艦というイメージが強すぎてなかなか距離を縮めてもらえない。原子爆弾の話を聞くと何故か悪寒がする。帝国海軍の重鎮として第一艦隊の空母達や和泉型戦艦など他の主力艦達と適度な交流を保っているものの、政治に興味がなく中央の情勢には疎い。
 




