第二次ゼーレーヴェ作戦Ⅱ
ロンメル元帥は結局、ロンドンに攻め入ることはせず、包囲するに留めた。もちろんロンドンに逃げ場はないので、市内の食糧や生活必需品は欠乏していくばかりである。元帥はロンドンを放置して戦線を北に進め、スコットランドにも攻め込んで、イギリスを追い詰めていった。
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さて、そんな中、チャーチルはロンドンにはいなかった。彼はアイルランドの軍港ベルファストの一角、とある実験施設に身を潜めている。 言わずもがな、それはイギリス軍が船魄を生み出すべく研究を進めている施設である。
その中心となる一室には、無数の実験装置が並べられ、中央に大きめの寝台が一つ、その上に額から長い角の生えた異形の少女が一人、横たわっている。
その部屋にチャーチルが約束もなしに乗り込んできた。
「か、閣下!? どうされたのですか?」
「どうもこうもないッ!! いつ船魄は完成する!? いつ彼女は動き出すんだ!?」
チャーチルは横たわる少女を指さしながら叫ぶ。研究員達は、それに対して明確な回答を出すことはできなかった。
「目下、彼女が目覚めない理由は不明です。ですから完成の見込みなどは、ご報告することはできません」
「クソッ! もう時間はない。ドイツ軍がアイルランドに上陸してくるのも時間の問題だし、そうなれば最初に狙われるのはここベルファストだ」
「そ、そうですね……」
「もういい。ここは破棄する。研究成果も、研究の痕跡も、全て破壊しろッ!」
「いや、し、しかし――」
「とっととしろ! 計画は終わりだ! 貴様らは全員クビだッ!!」
チャーチルはそう怒鳴り散らして研究室を後にした。しかし部屋から出て早々に、嫌な知らせが飛んでくる。
「閣下、ロンドン守備隊司令官アレグザンダー元帥から、今後の指示を乞うとの通信が入りました。如何しましょうか?」
「どうするかだと? 決まってる。全員死ぬまで戦え。兵士も民間人も男も女も老人も子供も、全員ドイツ人を道連れにして死ねッ!」
「は、はぁ……」
「そうアレグザンダー元帥に伝えておけ!」
ロンドン市民が一人残らず全滅するまで戦えと、チャーチルは命令を下した。
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さて、ロンドンの包囲が開始されてから2週間が経過した。
アレグザンダー元帥はチャーチルの命令に従う筈などなかった。これ以上の抵抗が無意味だと悟った元帥はチャーチルを無視し、ロンメル元帥にロンドンの開城を申し入れた。ロンメル元帥はこれに快く応じ、事前の約束通り守備隊はスコットランドに無傷で脱出し、ロンドンはドイツ軍の占領下に置かれたのである。
また、グレートブリテン島での作戦が一段落したことにより、ドイツ軍がアイルランドに上陸してくる可能性は大いに高まった。
「アレグザンダーめッ!! ドイツ相手に降伏だと!? 敗北主義者の裏切り者めがッ!!」
「お、落ち着いてください、閣下……」
報告を受けたチャーチルの怒号は凄まじく、歴戦の兵士ですら立ち竦むほどのものであった。
「あ、あの、閣下、ドイツ軍がベルファストに攻め込んで来るのは時間の問題です。そろそろ、何か方策を示していただかないと……」
「方策だと? そんなもの、全員死ぬまで戦うに決まってるだろ」
「い、いや、その――」
「くどいぞ! 銃の手入れでもしておけッ!!」
そう言い捨てて立ち去ると、チャーチルは誰も入って来ない私室に入り、密かにアメリカと通信を行った。ホワイトハウスへのホットラインである。
『おやおや、これは首相閣下。どうされたのかな?』
アメリカも滅亡の危機に瀕しているというのに、ルーズベルトの口調には危機感の欠片も感じられなかった。
「英国はもうお終いだ。すぐに亡命政権をアメリカに建てる。準備をしておいてくれ」
チャーチルは臣民全員に玉砕しろと言っておきながら、自らは安全地帯に逃げ延びようとしているのだった。当然、ルーズベルトはその矛盾を指摘して嘲笑う。
『ふはははッ! イギリスの絶滅かドイツの絶滅かなどと言っていた男が、亡命だと? 実に滑稽なことだな』
「絶滅するまで戦うにしても指揮する者は必要だ。イギリスが壊滅した後は、俺も自決する」
『そんな言葉が信じられるとでも? どうせ戦後ものうのうと生き延びるつもりなのではないかね?』
「茶番はいい。アメリカにとっても利益のある話の筈だが?」
『まあ確かに、イギリスでドイツ軍を足止めしてくれるというのは、我が国にとっては非常に助かることだ』
「だったら――」
『だが、ウィンストン・チャーチル、君は実につまらない男だ。私は心底失望したよ。君は本当に本当に、塵芥ほどの価値もないクズのような男だ』
ルーズベルトの声は、まるで最後の審判を下すキリストのような、人間を見ているとは思えないものであった。
「は……? な、何を……?」
『私は期待していたのだ。君が本当にイギリス人全員を巻き込んで、イギリス人が絶滅するまで徹底抗戦して、最後は君自身も特攻して死ぬのをね。だが君と来たら、ドイツ軍が迫ってきたら海の向こうに逃げ出したいなどと、全く何も面白くないことを言ってくれた』
「な、何が言いたい……?」
『私は君に心底失望した。最早君に差し伸べる手などない。君の自慢のホームガードパイクを両手にしっかり持って、ドイツ軍に突撃して、ドイツ人を一人でも道連れにして死にたまえ。さようなら。地獄の最下層でまた会おう』
「ま、待て!! 待ってくれッ!!」
『…………』
チャーチルの必死の願いは全く通じず、ホワイトハウスへのホットラインは完全に遮断された。チャーチルも所詮、本物の狂人になり切れないただの人間に過ぎなかったのだ。
「こ、こんなところで、死んでたまるか……」
チャーチルは半ば放心状態になりながらも、唯一の逆転の可能性、イギリス唯一の船魄のもとへ向かった。




