刹那の君へ、願いを込めて
夢を語った時、母は私にこう言いました。
「その夢を大切にしなさい」
目標を語った時、父は私にこう言いました。
「じゃあ、頑張らないとな」
現実を語った時、友達は私にこう言いました。
「お前、つまんないよ」
未来を語った時、君は私にこう言いました。
「素敵だね」
過去を語った後、私は私にこう言いました。
「結局、なんにも変わってないじゃん」
・・・
屋上で空を眺めながら、私はそんな詩を口ずさんでいた。
真っ青な時間。放課後の、少し不思議な時間。
誰も屋上にこないこの時間、この場所は、私だけの特等席だった。
「結局なんにも変わってない……か」
さっき口ずさんだ詩は、今何も考えずに言葉を連ねただけのもの。でも不思議と、自分の人生を綴っているような気がした。
「ははっ……言えてるな〜。私は、ずっと逃げてるんだから」
寝転がっていた体を起こし、少し伸びをしてから立ち上がる。
まだ春の終わりということもあり、体に当たる風が少しだけ冷たい。
「……あの日掲げた夢も、目標も……今はもう届かないんだよね。今の私を、お父さんはどう思うのかな」
父親の形見のお守りをカバンから取り出し、落下防止用のフェンスの近くまで歩き、もたれ掛かるようにして座った。
このお守りは、中学受験の時に父がくれたもの。神社で合格祈願をしてもらった時に、買ってくれた。
「……あれからもう5年も経つんだね……お父さん」
父は、HIV感染者だった。感染経路は不明らしいのだが、その事実が発覚した時には、母も私も感染者だった。
私はその時、それが何を意味しているのか知らなかった。だから、「病気」という知識だけで「大人になったらお医者さんになって、みんなの病気を治す」って、途方もないような夢を掲げたんだ。
「ははっ……結局、なんにも変わってないや。あの時と同じ。現実が見れてなくて、夢ばっかり掲げてる」
父は私が中学に入学すると同時にエイズを発症して、そのまま帰ってこなかった。みんなを治す!なんて言っておきながら、大切な人を救えてない。母も、去年発症して、今は病院にいる。多分、もうほとんどもたないんじゃないかって思う。
「……帰ろう。もう、日が沈むし」
「あれ?誰かいるの?」
「……え?誰?」
「うわっ、本当にいた」
私が立ち上がると、屋上の出入り口に人影があった。
その人影はゆっくりと屋上に出てきた。少し幼い顔立ちにちょっとダボッとした制服。恐らく、1年生だろう。
「え、えっと……ごめんなさい!誰もいないと思い込んでいたので」
「いえ、私も誰も来ないと思っていたので……」
私と同じか、私よりも少し背が高い位の女の子は、申し訳なさそうにモジモジしていた。
多分、学校に上手く馴染めなくて困っているんだろう。私と同じように。
「あ……えっと」
「私はもう帰るから大丈夫よ。誰だって、1人になりたい時間はあるからね」
「あ、いえ……その」
「??」
「少し、話しませんか?」
・・・
「はぁ……まさかこんなことになるなんて」
真っ暗な夜道を歩いて帰った私は、ソファにダイブした。
あの後、結局2時間以上2人で話していた。正直、20分話せば充分かなって思ってた。
「……でも、また明日って言われたから……もう1日だけ、頑張ってみようかな」
私は、ふらふらと覚束無い足で食卓に向かう。縋る思いで食卓に置いてある薬箱を開け、過去に父が使っていた薬を取り出した。
「残り1つ……もう貰わなくていいかなって思ってたけど、こんな時に限って欲しくなるなんてね」
私は嘲笑しながら最後の薬を服用し、手紙を2通綴ってから、自室の布団の中に入って眠りについた。明日、もう一度あの子に会うために。
・・・
「失礼します。先生、今大丈夫ですか?」
「ん?あぁ。どうした?」
「今までお世話になりました。これを」
「……手紙か?なんで今言わないんだ?」
「今日の夜、1人で読んでください。全部、その手紙に書きました」
「……そうか。わかった」
朝、急に手紙を渡された先生は驚いていたけど、全てを察したのか、少し「う〜ん」とうなってから、笑顔で私の頭をぽんぽんと撫で始めた。
「今までありがとうな。楽しかったか?」
「……はい、お陰様で」
「そうか!それじゃあ、また話そうな!」
先生はそう言って、私を送り出してくれた。1年生の時からずっと私を見てくれていた先生。だからこそ、今日あの子に会う前にここに来た。
「それでは、私はこれで」
そんな先生に私は深くお辞儀をし、職員室を後にした。
あの子が待っているであろう、屋上に向かうために──
・・・
私が屋上に着いた時、あの子は私を待ってくれていた。
「お待たせ。待たせちゃった?」
「いえ、全然。それより、渡したいものってなんですか?」
「これ」
私は、ゆっくりと手紙を取り出し、目の前にいるあの子に渡した。
名前を知らない相手に手紙を渡すのは初めてだったから、受け取ってもらえるか分からなかったけど、あの子は優しく受け取ってくれた。
「今日の夜、1人で読んで欲しい。君のために、私のために」
「はい、分かりました。でも、どうして今なんですか?」
「……今日ここで、お別れだから」
「え……?」
「本当に短い時間だったけど、君に逢えて良かったと思う。ありがとう」
私は、ゆっくりと彼女から離れ、屋上を後にしようとした。その時、後ろからあの子の声が聞こえてきた。必死に涙をこらえながら絞り出した声が。
「私!常磐 みかです!名前を教えてくれませんか!」
「……いいよ。私の名前は──」
・・・
私は、あの後病院へ行き、そのまま入院した。予想はしてたけど、まさかお母さんよりも早くこの時が来てしまうなんてね。お父さんになんて言われるのかな。怒られるかな。でも、いいんだ。形は違うけど、少しだけ夢を叶えることが出来たから。
「……先生、お願いします」
「……あぁ。わかった」
私はゆっくりと目を閉じた。それから少しして、打っていた点滴から何か違うものが流れてくるような感覚がした。そして間もなく、意識は深い底へと沈んでいった。
その刹那、みかと名乗った少女の顔が浮かんだ。
あの子だけでも、私のことを覚えていてくれたら嬉しいな。