第32話「国王ゴドリック」
「アイリス様が婚約破棄!?」
それを聞いて焦ったのは、ジャスティン王子の数学教師エルバーだった。
「ダメだ……ダメだダメだそれだけは……!」
エルバーはオルディエール家の遠縁も遠縁、会ったこともないほど遠縁の親族だった。
しかし、オルディエール家が王族に加わるとなれば、立場も自ずと変わってくる。
アイリスの嫁入りによって、エルバーはベローテ城の教頭となると目されていた。
教頭になると、ジャスティン王子につく教師を選ぶことができる。
王子の教師を務めるとなれば大変な名誉なので、当然金が動く。
そこで得られる資金を想定して、エルバーは先物取引に手を出していた。
「私はもう借金までしてペッパーコーン3000エーカーを取り付けたのだ……支払期限はじきにやってくる……」
後戻りできる状況ではない。
数学の時間、エルバーはジャスティンに問い正した。
「聞きましたぞ! アイリス様が婚約破棄なされ、王都に戻られるとか?」
ジャスティンはすっかり気力を失って、書斎の机に寝そべっている。
「なんだ……お前も余を笑いに来たのか……」
机にへばりついたまま、ジャスティンは言った。
「とんでもないことですジャスティン様!」
スライムのようにへたばっているこの王子を、どうにかやる気にさせなければならない。
「聞くところによると、アイリス様は従者にそそのかされてその気になったとか! 元凶はその従者です! 深窓のご令嬢がアウトサイダーに惚れるのはド定番ですぞ!」
「だから余にどうしろと言うのだ? 城内での不当逮捕は父上に禁じられておる……」
「……“城内では”で、ございましょう?」
エルバーは眼鏡をクイッと上げて言った。
「ならば城外、それも領外ならどうです?」
ジャスティンは顔を上げた。
「詳しく話せエルバー」
「領外での事件は、その領地の持ち主である貴族が敷いた法によって処理されます。しかし王子は王族であられますが故に、治外法権が許されるのです」
「なるほど、“ちがいほうけん”はこの間習ったばかりだぞ!」
ジャスティンの目に輝きがよみがえる。
「要するに、きゃつらめが領外に出たところを見計らって捕らえ、城外にある牢屋にでも放り込んでおけば良いのだ!」
「その通りでございますジャスティン様、さすが聡明でいらっしゃる!」
「しかし……肝心のアイリスはどうするのだ……? アイリスは……あろうことかあの平民、レオン・クルーガーに執心しておるのだ……」
ジャスティンの不安げな顔に、エルバーはいやらしい笑みを向けた。
「それはそれ。誘拐犯に洗脳された哀れなご令嬢として、城で保護すれば良いのです。ジャスティン様が優しく接すれば、ひと月も経たぬうちに正気に戻られましょう……」
「なるほど! 余の優しさがアイリスの氷の心を溶かすのだ! では早速兵を……」
「そこは慎重に行かねばなりませんぞジャスティン様……」
エルバーは囁いた。
「ご側近のフェルゼン様は、こう言ってはなんですが、非常に頭の固いお方です。ジャスティン様のこの素晴らしい機知に、理解を示されるかどうかはわからぬところでございます」
この作戦の立案者を、ちゃっかりジャスティンということにしている。
「ですから目立たぬように、少数精鋭を差し向けるのです。肝要なのは王子自身が出向かれることですよ……王子がその場におられて初めて、治外法権が成り立ちます故……」
「エルダー、前から思っていたが、お前は頭が良いな!」
「過分なお言葉でございます……」
エルバーの眼鏡が光った。
………………。
…………。
……。
今日ものどかなジュリ村に、レオンたちの馬車が到着した。
村人たちの歓迎があり、その中にはオーバーオールを着て干し草にまみれているアルフレッドの姿もあった。
もうすっかり回復し、村の一員として働いているらしい。
「お嬢様!?」
アイリスがちょこんと馬車から降りるのを見て、アルフレッドは声を上げた。
「すっかり元気になったみたいですね、アルフレッドさん!」
「じいや……よかった……!」
アイリスはアルフレッドに抱きついた。
「ありがとうございます、アイリス様もよくご無事で……しかしこれは……どういう……?」
当然の疑問だ。
アイリスをベローテ城に預けるための旅なのに、そのアイリスを連れて帰ってきたのだ。
「話すと長いんだが……アイリスを狙っている連中は片付いた。それともうひとつ」
レオンがアイリスを見下ろすと、アイリスは笑った。
「アイリスは、王族の坊ちゃんが気に入らなくなったんだとさ」
「まさか……」
「そうなんです」
サラは、何故か自分が申し訳ないことをしたような顔をして、耳を伏せた。
「婚約破棄……なさったということで……」
「なんと……!」
アルフレッドは、まるで雷に打たれたかのようなショックを受けた様子だ。
「まあ、無駄じゃなかったわよ! きれいなドレスを着られたし、お城は広かったしね! 旅は良い経験よ!」
固まっているアルフレッドの背中を、マーガレットがばんばんと叩いた。
「うう……う……」
アルフレッドの老いた目が、うるみ始めた。
「あ、ごめんなさい! 強く叩きすぎたかしら!」
「アルフレッド……確かにアイリスを王子の嫁にするのはエレノアの意向かもしれないが……」
「そうではありません……そういうことではないのです……」
アルフレッドは、アイリスを固く抱きしめた。
「お嬢様はとても素直なお方でございます。エレノア様や若様の仰ることに、一度も首を横に振ったことはございませんでした……。そのお嬢様が、初めてご自分の意志をお示しになったのです……。それがじいやには……じいやには……とても嬉しゅうございます……」
アイリスのサテンのワンピースに、アルフレッドの涙が転がる。
「本当にご立派になられました……お嬢様……」
アイリスはアルフレッドの胸に抱かれながら、こくりと頷いた。
そのときだ。
「道を空けてもらおう!」
それなりの威厳を備えている少年の声が響き渡った。
村民たちは、思わずざっと左右に道を開く。
現われたのはジャスティンと、その配下の魔術師が12人。
ジャスティンは馬上から叫んだ。
「アイリス、余がじきじきに迎えに来たぞ!」
「………………」
アイリスはアルフレッドに抱きしめられたまま、レオンのポンチョの裾を握る。
ジャスティンは言った。
「アイリス、お前はその男に騙されている。我が城で生活すれば、その心も清められよう。さあ、余と一緒に来るのだ!」
「イヤです」
「そう来ると思った! ショックだけどそう来ると思った! 者ども、前に出よ!」
ジャスティンの言葉に従って、魔術師たちは馬を降り、前に進み出た。
「アイリスとくっついている老人、貴様もどくのだ! アイリスは余が連れて行く」
「そういうわけには参りませぬ!」
「ええい、どいつもこいつも頭が固い! 杖を向けよ!」
魔術師たちの腕がざっと動いた。
「アイリスを巻き込むぞ」
レオンが言うと、ジャスティンはふふんと笑った。
「雷魔法でちょいとスタンしてもらうだけだ。アイリスも少しは痛い目をみたほうが……なんだそれは?」
「王子様は見たことないだろうが……拳銃ってやつさ」
レオンは弾丸を6発、サラに渡した。
「頼む」
「はい」
サラはすべての弾丸に一度に魔法をかけた。
レオンはそれを受け取ると、拳銃に素早く装填する。
「何に使うのだ、それは?」
「そうだな……たとえば何かお願い事があるときに役に立つ。さっさとおうちに帰ってくれとかな」
そう言って、魔術師たちに銃口を向ける。
「銃士だ! シールド魔法展開!」
6人が短い杖を抜き、薄く光るシールド魔法が展開される。
「無駄だ! 銃士ごときが近代の魔術戦にかなうはずがなかろう! 大人しく……」
魔術師の長がそう言った瞬間――レオンは明後日の方向に向けてトリガーを引いた。
「無駄だと言って……!?」
横放たれた銃弾は、ギュワッとねじれるように弾道を変えて、シールド魔法を迂回する。
使い慣れた風魔法の属性付与だ。
1発の銃弾は、シールド魔法を展開している杖のすべてを打ち落とした。
「なっ……!」
戸惑いながらも、残りの6人がレオンに杖を向ける。
しかしそういうときに、黙っていられない少女がひとり。
「そこまでよ!」
マーガレットはすでに長い杖を抜いていた。
「今すぐ杖を納めなさい! でないと私のファイアブレイズでみんなまとめて黒焦げにするわよ! うっかり王子様を巻き込んじゃったらごめんだけど、そこは根性でカバーしなさい!」
こんなことを言われて抵抗できる人間はいない。
――しかし。
「ええい、構うものか! 撃て!」
ジャスティンは馬上で叫んだ。
「しかし王子、この状況は……」
「余は黒焦げになろうがアイリスが欲しいのだ! 撃て!」
もはや半泣きでそう叫び、それを聞いた配下は、条件反射のように雷魔法を放った。
王族に仕えるものの本能が、均衡を破ったのだ。
「………………っ!」
それと同時に、マーガレットの杖が火を吹く。
ふたつの魔法が交差しようとしたその瞬間――それを巨大な影が遮った。
「ムゥン!!」
ふたつの魔法は影に衝突して爆散した。
「な…………!?」
その影の正体は、大きな黒馬に乗った、旅装束の偉丈夫だった。
黒馬の手綱を操る男の周囲に、パリパリと魔法の残滓が弾ける。
高度な肉体強化魔法が、2方向からの魔法をその身に受け止めたのだ。
ゆっくりと周囲を見渡した男は、端の焦げ付いたマントを払った。
「ンンなぁにをやっとるかぁあああああああああっ!!」
ジュリ村中に響き渡るような怒号が轟く。
村人たちがぽかんとしている中で、ジャスティンの配下がにわかにざわめいた。
「………………」
男は背の高い馬から、地に降り立つ。
背後にいた5人のお供も、それに続いた。
天を衝くような高い背丈。
地味な旅装束の肩は大きく盛り上がっており、その下にある分厚い筋肉を感じさせた。
太い眉の下には、獅子のような金色の瞳が爛々と輝いている。
威厳ある厳しい面構えは、常人のそれではなかった。
「お……お父様……どうしてここに……」
ジャスティンが震える声は震えている。
「なるほど、あれが王子の親父さんか」
レオンが呟いた。
「……ということは」
サラは青ざめる。
「ゴドリック王陛下……!」
「いかにも!」
お供のひとりがよく通る声で言った。
「このお方はエルベラント国王ゴドリック陛下であらせられる! いやしくも王国の民と覚えある者は控えよ!」
村人と魔術師は、戸惑いつつも一斉に膝をついた。
「……レオンさんもしゃがんで! マギーさんもですよ!」
サラに裾を引っ張られて、レオンもゆっくりと膝をつく。
残されたのは、馬上にいるジャスティンただひとりだった。
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