第31話「婚約破棄」
ジャスティン王子は鼻歌をうたいながら、書斎をあちこち歩き回っていた。
「ご機嫌でございますね、ジャスティン様」
王子の老いた側近が言った。
「もちろんだ、今日はアイリスが来るのだからな! 待ちわびたぞ!」
王子はふふんと笑った。
「アイリスは顔が可愛いし、大人しくてなんでも言うことを聞くからな! 余の好き勝手にして良い相手なのだ!」
「我らが王は、ジャスティン様のお母様をとても大事にしていらっしゃいます。ジャスティン様もそれを見習って……」
「ええいうるさいことを言うな! アイリスをどうしようと余の勝手ではないか!」
側近は、ため息をついた。
………………。
…………。
……。
レオンたちは、城に入るとすぐさま謁見の間に通された。
くるぶしまで沈むほどの柔らかい絨毯が敷かれた大きな部屋だ。
部屋の奥には階段があり、その上には大きな玉座が控えている。
謁見の間には先客がいた。
城の近くに居を置く貴族たちだ。
「アイリス様、よくお出でに」
「長旅、大変お疲れでございましょう」
「お気遣い感謝致します」
アイリスは優雅な立ち振る舞いで、貴族たちの挨拶をさばいていく。
そうしながらも、王子が来るまでにはずいぶんと時間がかかった。
「頭が高いところに付いてる奴は、もったいつけるのが好きらしいな」
「しっ、聞こえますよ!」
サラにたしなめられると、レオンは整髪料で固めた髪をかき上げた。
「何してるんですか、セットが乱れちゃうじゃないですか。ちょっとしゃがんで下さい」
レオンをしゃがませると、サラは手ぐしで髪を整える。
「これでよし、もう触っちゃだめですよ」
「君は良いおふくろさんになるよ」
「ジャスティン王子がおなりだ、姿勢を整えよ」
近衛が言うと、アイリスや貴族たちは絨毯に片膝をついた。
レオンたちも、それを真似て王子を待つ。
「久しいな! アイリス」
奥から出てきたのは、アイリスよりも少し上くらいの少年だった。
年老いた側近が後に続く。
赤に白のファーのついたガウンをまとった王子は、玉座に飛び乗った。
「ジャスティン様におかれましては、ご機嫌麗しゅうございます」
アイリスはやはり、子供らしからぬ貴族然とした態度を見せる。
「堅苦しい挨拶は良い。我が城へようこそ。会いたかったぞ我が君」
金色の髪に金色の瞳、顔は整っているが、いかにも生意気そうだ。
その瞳が、レオンたちを睥睨した。
「しかし、そんな貧乏くさい従者を連れてどうしたというのだ? どれも貴族に仕える身分ではあるまい」
王子だけあって、そういう目端は効くらしい。
「ああ、そうか、分かったぞ」
王子はニヤニヤと笑った。
「つまらぬ者をはべらして、己の魅力を引き立てようというのだな。そういう努力、余は嫌いではないぞ。まったく愛い奴よ」
玉座で足をぶらぶらさせながら、ジャスティン王子は笑った。
アイリスは黙って床を見つめている。
「しかし余はおっぱいが大きなお姉さんが好きゆえ、そこの女を選んだのは失敗だったな。そいつは城に置いてやろう。気分によっては側室にしてやることも考える」
「なに、私褒められてるの?」
「それは考え方次第だな」
王子は自分をよそに会話を交わしているのを見て、ムッとした。
「余が気に入らんのはそこの男だ」
王子はレオンを指さした。
「正装で取り繕っても余にはわかるぞ。卑しい身分の男だ。どうしてオルディエールは、そんな野良魔術師を寄越したのだ。余には想像がつかん」
アイリスは床をじっと見つめたまま、姿勢を崩さない。
レオンが口を開いた。
「悪いが俺は魔術師じゃない」
「なんだと!」
王子は目を見開いた。
貴族たちがざわめく。
「魔術師でもない平民が余の城門をくぐったのか。アイリス、いったい何を考えている! しかもそんなに近くでくっついて!」
王子は玉座の肘掛けを叩いた。
「長い旅の中で、ずっとわたくしを守ってくれた、だいじな人です……」
「大事……何を馬鹿な、平民ふぜいに何ができたというのだ!」
王子は顔を真っ赤にして言った。
アイリスの中で、何かが高まっていく。
「アイリスは人を見る目を養わなきゃダメだ! こんな薄汚い男をそばにおいておくようでは、余の妃にふさわしいとは言えん!」
謁見の間が静まりかえった。
王座の左右に立つ、甲冑に身を固めた近衛は、もちろん口を出すはずもない。
静寂を破ったのは、アイリスだった。
「……わたくしも、ジャスティン様と同じことを考えておりました」
そう言うと、王子はホッとした顔を見せた。
「そうだろうアイリス、分かったらそいつを今すぐ外に追い出して……」
「同じことと言ったのは、先ほどの王子のおことばです」
アイリスは、日頃の気弱そうなふるまいからは考えられない、固い決心を決めた表情で、目を上げた。
「わたくしは、自分がジャスティン様の妃にふさわしい身であるとは思えません」
王子はきょとんとしてアイリスを見た。
「そ、それはいったいどういう……」
アイリスは、その場で立ち上がって言った。
「わたくしアイリス・ギュスターヴ=オルディエールは、オルディエール公爵家第2継承者の権利を以て、エルベラント国第2王子ジャスティン様との婚約を破棄いたします!」
青い瞳でまっすぐに王子を見つめ、アイリスは言い放った。
「………………」
王子はぽかんと口を開けたまま、動かなくなった。
「うそ…………」
サラは思わず口に出した。
さきほどまでじっとかしこまっていた側近も、目を丸くしている。
近衛たちも思わず顔を見合わせる。
「貴族から王族への婚約破棄など……前代未聞だ」
「あのお歳でそんなことを……いや、あのお歳だからこそ」
「しかしこの場でアイリス様より上位の貴族はおらんのだ、とても仲裁など……」
貴族たちがざわめく。
「アイリスは今何を言ったの?」
マーガレットが尋ねる。
「結婚をやめるとさ」
「まだ小さいものね、自由がいちばんよ」
「な、な、な……」
王子はくちびるを震わせて言った。
「ならぬ、ならぬぞそれは! ええい! アイリスをそそのかしたのはその男だな! ただちに引っ捕らえよ!」
その言葉に、近衛たちが動きかけた。
「それはなりません、ジャスティン様!」
我に返った側近が言うと、近衛たちの動きも止まる。
「なんだと、余は王子、ベローテ城の城主であるのだぞ!」
「諸侯の目もございます……どうか」
側近は囁くように言った。
「ベローテ城の法規を定めたのは我らが王です。王は城内での不当逮捕を固く禁じられております」
王子は足をばたばたさせて、肘置きを何度も叩いた。
「余の妃であるアイリスがそそのかされたのだ! 正当な理由ではないか!」
「ジャスティン様。我らが王の耳に、そのような理由で客人を捕らえたという話が伝われば、どんなお叱りがあるやもしれませぬぞ」
「ぐ……ぬぬぬぬ……」
王子は真っ赤な顔で俯いた。
小さな王冠が頭上でずれる。
「アイリス……小さい頃、一緒にお花畑で遊んだではないか……お花の王冠を作ったではないか……」
「それは、ジャスティン様がそのような態度をお取りになる以前のはなしでございます」
「余のことを好きではなかったのか……」
王子がそう言うと、アイリスはレオンの腕にしがみついた。
「わたくしが好きなのはレオンです……」
それを聞くと、王子は悔しさのあまりに涙ぐんだ。
「やっぱり……やっぱり……やっぱりその男が悪いのではないかっ!」
「どうやらそうらしいな」
レオンは立ち上がって言った。
「ジャスティン様、その悪い男からひとつ忠告させてもらうぜ。好きな女の子の友達を馬鹿にすると嫌われる」
「……ええい! 引っ捕らえ……られない……なら……ぐぬぬ……貴様、名前を言えっ!」
「レオン・クルーガー」
レオンはそう答えてカウボーイハットを直そうとして――今何も被っていないことに気がついた。
「やはり帽子がないと落ち着かないな。話もついたことだし、帰るか」
「レオン・クルーガー!」
王子は叫んだ。
「貴様はアルヴェーヌ朝第2王子である余を侮辱したのだ……いずれ後悔することになるぞ……」
「俺を後悔させるまでに、男を磨くんだな」
「ぐぬ……ぬうう……くそっ! くそっ! 余は王子なのだ! 城主なのだぞーっ!!」
かんしゃくを起こす王子と、ざわめく貴族たちを背にして、レオンたちは城をあとにした。
長い階段を降り、馬車に揺られながら、レオンは隣に座るアイリスに言った。
「しかしいいのか、勢いであんなこと言っちまって。お母さんに怒られるんじゃないのか」
「大丈夫……レオンが言ったとおりにしただけだもん……」
アイリスはまたレオンの腕にしがみつく。
「レオンの言葉を聞いて……レオンを大事にして……正しいと思うことを胸を張って言ったの……だから大丈夫……これで帰りの旅も一緒……」
「俺はとんでもないことを教えちまったらしいな」
レオンはそう言うと、少し笑った。
アイリスも笑顔を浮かべる。
ひとり眉間をつまんでいるのはサラだ。
「そうですよ……エレノアさんたちに何と言ったらいいのか」
「そのまんま言えばいいさ」
ため息をつくサラに、レオンは言った。
「あなたの娘さんは、少し大人になりましたってな」
馬車は4人を乗せて、石畳の道を静かに進んだ。
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