第29話「旅の着地点」
イリムは、透視水晶の前で崩れ落ちた。
「お……お父様……うっ……うっ……」
厳しくも優しかった父が怪物と化し――そして殺された。
その事実を毅然として受け止めるには、少女はあまりに幼すぎた。
「お気持ち、お察し致します」
老執事のマルセルは、深く頭を下げた。
「じきにゼベル様とルキア様がいらっしゃるでしょう。どうぞ、気を確かに持って……」
「……終われないわ」
イリムはくちびるを噛み、口の端から血を流しながら顔を上げた。
「ゼベル様とルキア様に身体を献げるのは構いません。けれども、レオン・クルーガーとオルディエールをこのままにしておくわけには……私は……」
「……だってさ、ルキア」
影の中から、ゼベルが現われた。
「お兄様、そうは言っても」
ルキアは、その隣に立っている。
「早くその娘の魔力が欲しいわ。あの小娘ほどじゃないけれど、それなりなのだから」
「……お待ち下さい!」
イリムは涙を拭いもせず、立ち上がって言った。
「どうか、あのレオン・クルーガーを殺し、オルディエールをあなた方にお献げするチャンスを下さい!」
ゼベルとルキアは、それを聞いてくすくすと笑った。
「でもあなた、あいつらをひとりでどうにかできて?」
「今の私に、その力はありません……ですから、どうか私に更なる魔族魔法のてほどきをお願いしたいのです!」
「約束を破っておいて、更に僕たちに力を求めるというわけだ」
ルキアは紫色の瞳で、まるで木の実でも眺めるようにイリムを見た。
「人間の欲深さといったら、底知れないものですわね、お兄様。いいから、早く頂きましょう」
「そう急ぐものじゃないよルキア。僕は思うんだ、試してみるのも面白いんじゃないかってね」
ゼベルは赤いくちびるを広げて笑った。
「考えてご覧。人間が魔族魔法の神髄に近づこうというんだ。この娘がどれだけ苦しむか、見てみたくはないかい?」
「確かに。気が狂ってもおかしくはありませんわね」
兄妹は笑い合う。
イリムは必死に懇願した。
「私が発狂したら、そのときはこの身をどうして下さっても構いません。ですが私が魔族魔法を身につけた暁には、どうにか、連中に復讐のチャンスを!」
「わかったよ。じゃあ、ついてくるといい」
ゼベルが空中に環を描くと、毒々しい紫色に光る枠の中に、黒い入り口が開いた。
「君は人が味わうことのできる最大の苦しみを、その舌に乗せることだろう」
「この娘がどう狂うのか楽しみですわ」
ゼベルとルキアは、暗闇へと姿を消す。
イリムは一瞬ためらい――しかし勇気を振り絞って、黒い入り口へ足を踏み入れ、姿を消した。
「……イリム様、どうぞお気をつけて」
老執事の声が、薄暗い部屋に響いた。
………………。
…………。
……。
長い旅が終わり、とうとうレオンたちはベローテ城下に辿り着いた。
荷車を改造した馬車に、ボロボロの4人。
門番は怪訝な表情を隠さなかった。
「来訪の目的は?」
門番が尋ねると、レオンはあっさりと答えた。
「ジャスティン様にとやらに用があって来たのさ」
そう答えた瞬間、門番は笛を鳴らした。
詰所から出て来た衛兵たちに、あっという間に取り囲まれる。
「貴様ら、何者だ!?」
「俺は大したもんじゃないさ。だが、後ろに乗せてるちっこいのは知ってるか?」
「知るわけがなかろう!」
「なら自己紹介してやるといい」
レオンが視線を向けると、アイリスは頷いた。
そして、普段の弱々しい態度からは思いもよらないような、はきはきした口調で言った。
「アイリス・ギュスターヴ=オルディエール、第2王子ジャスティン様のお招きに預かり、参上致しました」
それを聞いた瞬間、門番は真っ青になった。
「お前たち、杖を下げろっ!」
門番は急いで衛兵たちを下がらせた。
「申し訳ございません、あのオルディエール家のご息女とはつゆ知らず! ご連絡は承っております!」
そう言って、深々と頭を下げる。
「わかったなら構わないわ! 許してあげる!」
マーガレットが横から口を挟んだ。
「早くお城に案内してちょうだい!」
愛馬と一緒に、しっぽを振りながらマーガレットは言った。
どうやら城というものに入ってみたいらしい。
「すぐにというわけには……重ねて申し訳ございませんが、少々お待ち頂ければと」
門番はそう言って、衛兵のひとりに馬を走らせた。
「しかし、オルディエール様がどうしてそのような……なんと言いますか……素朴な馬車をお使いに……」
「ちょいとハードな旅だったもんでね。いろいろあったのさ」
しばらく待っていると、立派な馬車を連れて衛兵が戻ってきた。
「こちらへお乗り換え下さい。お連れの馬と馬車はお預かり致します」
マーガレットは馬を降りると、手綱を衛兵に渡した。
「バイオレットを頼んだわよ!」
「お任せ下さいませ」
「そうだ、そのいちばんデカい馬は売り払ってくれ」
馬車を降りながら、レオンが言った。
「この馬でございますか……素晴らしい体躯と毛艶、お売りするのはもったいないかと存じますが……」
「飼い主が死んだ」
「それは……」
飼い主の死んだ馬を連れた旅。
それが決して尋常ではないことを、衛兵は察した。
「かしこまりました。代金の方は後ほど迎賓館へお届け致します」
「迎賓館?」
「はい。城へのお客様は、まずは迎賓館へお連れすることになっております」
「いろいろと面倒があるらしいな」
4人は金細工の施された大きな馬車に乗り込んだ。
「ジュリ村のみんなには悪いが、やっぱり本物の馬車は乗り心地が違うな、尻が痛くならない」
迎賓館は、オルディエール家ほどではないが、なかなかに立派な建物だった。
ボロボロの服を着た4人は、正直なところかなり浮いている。
「いい屋敷ね! 気に入ったわ!」
「これから身の回りのお世話をさせて頂く者でございます、お見知りおきを」
若い女の執事が頭を下げた。
「よろしく。さっそく飯と行きたいね。木の実もパンも食べ尽くして、ここ数日は干し肉だけだ」
「その前に、湯殿とお召し替えをお願い致します」
確かに4人とも、このまま食卓につける格好ではない。
「何から何まで面倒だな……だがひとっ風呂浴びるのは賛成だ」
レオンは脱衣所で汚れきった服を脱ぎ、風呂場で身体を磨くと、広い湯船に肩まで浸かった。
金色の獅子の像が、口から湯を吐いている。
「ふう……」
旅の疲れが、温かい湯にしみ出るような心地だった。
目的地には辿り着いた。
アイリスを狙う者はもういない――。
「レオンさーん、いいお湯ですよー!」
女湯の方から、サラの声がする。
「サラ、こっちも同じ湯だ。マーガレット、もう風呂は壊すなよ」
「壊さないわよ!」
マーガレットの大きな声が、浴室に響き渡った。
4人はまだ知らない。
いまこの瞬間、血ヘドを吐き、気が狂いそうになりながらも。
新たな力を身につけようとしている、ひとりの少女の存在を――。
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