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第23話「銭湯に現われた少女」

「アイリスちゃん、お背中流しっこしましょ」

「うん」


 板塀の向こうから、サラとアイリスの声が聞こえてくる。

 レオンは熱い温泉に、肩まで浸かった。


「ふう……」


 さすがに温泉にカウボーイハットは持ち込めない。

 拳銃もだ。


(アルフレッドが旅に同行できない以上……サラの魔法があるとはいえ、戦力は俺ひとりか)


「レオンさん! 聞こえますかー!」

「……聞こえてるよ」

「いいお湯ですねー!」 

「そうだな」


 サラのテンションがやけに高い。


「そっち行っていいですかー!」

「駄目だ」

「うふふふ、冗談でーす!」


 旅にあって、元気なのは良いことだ。


「………………」


 レオンは、湯船の縁に腕をかけた。

 風が心地良い。


(ちょいとした傷ならアイリスが治してくれる。さいわい弾もたっぷりある。しかしもう少し火力が……)


 レオンは手のひらで肩に湯をかけた。

 そのときだ。


 バンッという音とともに扉が蹴り倒された。




「とうとう見つけたわよ! レオン・クルーガー!」




 視線を向けると、見知らぬ少女がレオンを指さしていた。


 金色の髪からぴんと高く立った耳は、犬人族のハーフの証だ。

 燃えるような赤い瞳。

 身体にぴっちりと布を巻いている。

 太い尻尾が布を持ち上げ、腰は細く、胸元は大きく盛り上がっていた。


「次から次へといろいろあるもんだ」


 レオンはため息をついた。


「女湯はあっちだぞ」

「そんなことはわかっているわ!」



 少女は胸の谷間から、長い杖を取り出した。



「あなたがアイリスちゃんを誘拐した犯人ね!」

「その恰好はなんだ」

「お風呂に入るときのエチケットよ!」

「エチケットを守る奴が男湯に何の用だ。背中でも流してくれるのかい?」

「レオンさん!」


 サラの声だ。


「そっちから女の人の声がしますけど……!」

「そうなんだ、なんか変なのがいる」

「変なのとは何よ!」


 少女はどん、と濡れた石畳を踏んだ。


「あと俺は、アイリスを誘拐したわけじゃない。ちゃんと親御さんから許可を取って……」

「問答無用よ! これでもくらえ!」


 少女の長い杖の先が輝いた瞬間、レオンは湯の中に潜り込む。


 ――炎の塊が、少女の杖から発射された。



 ズドドドドドドドドドドドドドドドドド!!



 凄まじい勢いで連発される炎は、石畳を焼き、風呂桶を砕き、湯船に突っ込んで水蒸気爆発を起こし、女湯との仕切りを焼き払った。


「きゃあああっ! なんなんですかぁっ!」


 レオンは湯船から顔を出した。


「アイリスを連れて隠れろっ!」


 燃え上がる板塀の向こうに、アイリスを抱えて岩陰に隠れるサラの白い背中と長いしっぽが見えた。

 再び少女の方を振り向くと、炎が眼前に迫っている。


「おっと」


 レオンは再び湯船の中に入った。

 炎が水蒸気爆発を起こす。


(この振動は肩こりに効きそうだ……)



「おほほほほほほ! 私のファイアフレイズは、炎魔法を連発できるレアスキル! 命中率は悪いけど、そこは根性でカバー! 杖が焼けつくと冷却時間が必要だけど、それも根性でカバー! そう! 私は才能と根性の魔術師、マーガレット・コンスタン!」



 自分の弱点をぺらぺらと喋りながら、火球を撃ち続ける。


(アホなのかこの娘は……)


 湯の中でしばらく待っていると、少女の宣言した通り攻撃がやんだ。


「ちょっと杖が冷えるまで待ってなさい! いい、絶対待ってるのよ! 絶対よ! 絶対なんだからね!」


(なるほど、本当にアホらしい)


 レオンは水面から顔を出すと、ゆっくりと湯船から上がった。


「なっ……!」


 マーガレットは急に慌てて、顔を真っ赤にした。


「あ、ちょ、待ってなさいって言ったでしょ! ……ていうかあんた、なんで裸なのよ!」


 布を巻いた身体をもじもじさせながら、マーガレットは言った。

 レオンの裸を見て、急に自分の恰好が恥ずかしくなってきたらしい。


「ここが温泉だからだ」

「確かに温泉だけど……温泉なんだけど……!」


 レオンは素っ裸のまま、少女の方へと歩いていく。

 マーガレットの顔がますます赤くなる。


「ちょっ、ダメっ! そんな汚いもの見せないでっ!」

「大丈夫だ、よく洗ってある」


 レオンが近づくと少女は杖を取り落とし、両目を隠してぺたりと石畳に座り込んだ。

 耳が伏せられ、身体に巻いた布がはらりとほどける。


「ううっ、わかったわ……あなたの作戦勝ちってわけね……」


 それでもマーガレットは指の隙間から、ちらちらとレオンの身体を覗き見る。


「負けたわ! 私の身体、好きにしたらいいじゃない! お父さん! お母さん! ごめんなさい!」


 マーガレットは目をつぶって、くてんとその場に寝転がった。


(据え膳にしちゃ、色気に欠けるシチュエーションだ……)


 レオンが言った。


「ちょいと誤解があるらしいな。着替えるまで待っててくれ。あんたも服があるなら着るといい」


 レオンは杖を拾ってやると、持ち手をマーガレットに向けた。

 マーガレットは目をそらしつつ、杖ををおずおずと受け取り、布を胸元まで引き上げた。


「わかったわ……誘拐犯のくせに、やけに紳士なのね。おまけにその……けっこう良い身体して……」


 杖を抱いたまま、ちらちらとレオンの身体を盗み見る。


「君もたいしたもんだよ」


 マーガレットは、レオンの隣のカゴに服を放り込んでいた。

 ふたりは背中を向け合って服を着替えた。

 レオンは村人から借りた薄手の服を取って、自分の服は麻袋に放り込む。


「これも洗濯した方がいいのかしら。身体に巻いてただけなんだけど」

「大丈夫じゃないのか。それは村の人たちから借りたのか」

「ええ。温泉に行くって言ったら貸してくれたわ」

「親切な人たちだ」 


 妙に日常的な会話を交わしたふたりは、着替え終えるとしばらく外のベンチに座って涼んだ。

 マーガレットは深い赤のローブを着ていた。

 ファイアクロコダイル革製のもので、耐火力に優れている。


「夕方の風は気持ち良いな」

「そうね……ってそうじゃない!」


 マーガレットは立ち上がった。

 レオンに向けてぴしっと指をさす。


「あなたはアイリスちゃんを誘拐した悪者でしょう! そのくせにひとりでポカポカしちゃって! 許せない!」

「アイリスはそのうち更衣室から出てくるだろう。それまでちょいと話をしようじゃないか」

「話? いいわよ!」


 マーガレットは再びベンチに座った。


「メイドの土産に聞いてあげるわ。メイドが土産を持ってくるってことは、ご主人様を置いてひとりで旅行に行くってことなのかしらね!」

「何もかも違う」


 レオンは物分かりの悪いマーガレットに、こんこんと言い聞かせるように今までの経緯を話した。

 マーガレットは首をあっちに向けたりこっちに向けたりしながら、眉根を寄せてレオンの話を聞いている。


「つまりあなたは誘拐犯だけど、アイリスちゃんのお母さんから守るように頼まれて……あれ?」

「その誘拐犯ってのは誰から聞いたんだ」

「マスクを被った男だったわ。身分は明かせないって」

「……なんでそんな奴の言うことを信じた」


 レオンがそう言うと、マーガレットはぽかんと口を開けた。


「あ、あいつ、嘘つきだったの! ということは……」

「やっとわかったか」

「……ご、ごごごごめんなさいっ!」


 マーガレットは地面に膝をついて、レオンの手を握った。

 太い金色のしっぽが、くるんと内側に巻いている。


「本当にごめんなさい! あなた、正義の味方だったのね! それを私は何も知らずに魔術界が誇る究極のレアスキル、ファイアブレイズであなたのことをケシズミにしようと……!」

「謝罪と自慢は別々にしような」


 勝気そうなつり気味の目をうるうるさせながら、マーガレットは言った。


「そう、許してくれるのね! 私、あんなことをしてしちゃったのに……なんて親切なの!」


(まだ何も言ってない……)


「レオンさん」


 更衣室の陰から、サラがぴょこんと顔を出す。

 話を聞いていたらしく、濡れた銀色の耳がぴくぴくと動いている。


「もう大丈夫な感じですか?」

「ああ、大丈夫な感じだ」


 ほっとした顔で、サラとアイリスは外に出てきた。


「あなたがアイリスちゃんね! そして、そこのあなたはえーっと……」

「……サラ・トレインです」

「そう、サラだったわね! 私、レオンとサラのこと誤解してたっ! ごめんなさいっ!」


 マーガレットはサラとアイリスを抱きしめた。


「お騒がせしたわ! 私はマーガレット・コンスタン! マギーって呼んでね!」


 ローブから飛び出た太い尻尾を振りながら、マーガレットは態度を一変、元気いっぱいに言った。


「は……はい、よろしくお願いします……」

「………………うん」


 当然ながら、サラもアイリスも、まだ事態をうまく飲み込めていない。

 とりあえず4人で村に戻って村長に事情を話すと、マーガレットは銭湯を破壊したことでたっぷりとお叱りを受けた。

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