第20話「史上最悪のレース」
いよいよ出発の日がやってきた。
レオンはオルディエール邸の広大な庭で、射撃練習をしていた。
狩猟銃で狙う距離にある的を、レオンの銃弾は正確に射貫いていく。
「クルーガー様、馬車の用意ができてございます」
旅装束に着替えた執事のアルフレッドが、レオンに声をかけた。
白髪に黒い山高帽がよく似合っている。
レオンは残った弾をすべて的に撃ち込むと、空薬莢を捨ててガンベルトから弾丸を装填、銃をホルスターに収めた。
「わかった、行こう」
旅のメンバーは、レオン、サラ、アイリス、執事のアルフレッド、それに馬を操る御者だった。
「庭師があんな騒ぎを起こした以上、まだ屋敷は安全とは言えない。お母様をひとり残していくわけにはいかん。頼んだぞ、じいや」
フィリップが言った。
「お任せ下さいませ。若様ほどではございませんが、多少腕に覚えはございます」
アルフレッドは、腰の杖を指先で撫でた。
長く使い込まれた杖は、鈍く光を弾いている。
「クルーガー。アイリスを頼んだ。僕はお前の腕を信じている」
「ああ、安心してくれ。何せ俺は“キノコの君”だからな」
レオンの言葉に、フィリップは笑った。
「サラ君、クルーガーのサポートは君にしかできない。ふたりでアイリスを守ってくれ」
「フィリップさん、私、できる限りのことをします」
サラの真剣な緑色の瞳を見て、フィリップは頷いた。
「アイリス」
フィリップはアイリスの前にしゃがんだ。
「大変な旅だろうが、みんながお前を守ってくれる。じいやの言うことをちゃんと聞くんだぞ」
「はい、お兄様……」
兄妹はしばし抱き合った。
「お気を付けて、娘をお願い致します。私からはこれ以上何も言えません」
エレノアは深々と頭を下げ、娘を抱きしめた。
「任せてくれ。俺たちはアイリスを必ず送り届ける」
レオンはそう答えて、4頭立ての馬車に乗り込んだ。
サラ、アルフレッド、そして最後にアイリスが馬車に乗った。
「では、出してよろしいですかね……」
御者は目をこすりながら言った。
「ヘンリー、また夜遅くまでカードをやっていたんじゃないだろうな」
アルフレッドは御者に言った。
ヘンリーは両手を広げる。
「まさか! 長旅の前の晩はぐっすり眠るに限りまさあ! でもなんか、目がしょぼしょぼしますんでね……」
「旅には問題ないな」
「もちろんでさ。旦那がたは中でゆっくりとおくつろぎくだせえ。そうすりゃ、気づいた時には着いてまさあ」
「では奥様、フィリップ様、行って参ります」
アルフレッドの言葉を合図に、ヘンリーが手綱を引いた。
馬車はゆっくりと動き始めた。
長い石畳の道を進み、王都の門を出て、馬車は走る。
長い平原を抜けると、森の道に入った。
「アイリスは旅は初めてか」
「うん……」
「怖くないか」
「レオンがいるから大丈夫……」
アイリスはレオンの腕にぎゅっとしがみついた。
「アイリスはレオンさん大好きですね」
サラの言葉に、アイリスはこくりと頷く。
「……私も子供だったらなあ」
「おいヘンリー!」
アルフレッドが、らしからぬ大きな声を出した。
「今の看板を見てなかったのか! 道が違うぞ!」
「あ、そうでしたか、すいやせん旦那、何せ目がしょぼしょぼするもんでさあ」
「引き返すんだ」
「道が狭すぎまさあ旦那。このまま進んで、途中で道を戻しやしょう。でもなんせ目がしょぼしょぼして……」
ヘンリーは真っ赤な目をこすっている。
「目が痛いんでさあ、旦那……」
「少し水で洗うといい」
アルフレッドが水筒を差し出した。
ヘンリーは上を向くと、水をだばだばと目に浴びせかけて、水筒を空にしてしまった。
御者台を水浸しにして、アルフレッドに水筒を返す。
「お前、どうかしているんじゃないのか?」
「いや、なんせ目が痛いんでさあ、へへ」
「ひとつ聞きたいことがある」
レオンが言った。
「なんですかい、旦那」
「俺たちの行き先は、いったいどこだ?」
ヘンリーは前を向いたまま答える。
「そりゃ旦那、地獄でさあ……」
そう答えてから、御者はハッとしたように訂正した。
「いや、ジャスティン様の居城、ベローテ城でさ! わたしゃ、何を言ってんですかね、へへへ」
レオンはポンチョをめくると、ゆっくりとホルスターに手を伸ばした。
アイリスがレオンの腕から手を離す。
「自分が何者か言えるか?」
「もちろん、あっしはヘンリー・ジョズ。しがない御者でさあ……」
――ミシッ、と音がした。
御者の身体は、前を向いたままだ。
しかしその奇妙な音を合図に、首がメリメリメリと真後ろを向く。
この血走った目を、レオンはよく知っていた。
「旦那がたをぶち殺して、アイリス様をお連れするしがない御者で」
その瞬間レオンは拳銃を抜くと、全ての銃弾をヘンリーの顔面に叩き込んだ。
馬車の中に轟音が響き渡る。
顔をズタズタにされたヘンリーは、御者台から転げ落ちて、道の後ろに消えていった。
「レオン様……今のはいったい……ヘンリーは……」
「アルフレッド、手綱を頼む」
4頭の馬は銃声に驚いて、足並みを乱している。
「残念ながら、あれはもうヘンリーじゃなかった。街でアイリスを人質にとってた奴と、同じ目をして……」
「お待ちくだせえ旦那さまがたああああ!!」
ヘンリーは地面に這いつくばって、凄まじいスピードで馬車を追いかけてきた。
本能的な恐怖を感じた馬が、再びスピードを上げる。
「この前の奴よりヤケに頑丈にできてるらしい」
レオンは素早くリロードして、揺れる馬車の上から拳銃を構えた。
「お任せ下さい、レオン様」
アルフレッドが杖を抜き放つと、馬車が揺れるような轟音とともに雷がほとばしった。
青い閃光は頭部に命中し、ヘンリーは道を転がった。
「これでも昔は鳴らしたものですよ」
「たいした爺さんだ。だが、まだ安心はできないらしいぜ」
ヘンリーは頭部から煙を上げたまま、再び地面を這い始めた。
「ひでえじゃないですかい旦那ぁあああああ!」
叫びながら杖を取り出すと、その先端が光った。
「奴め、魔法を……!」
「伏せろッ!!」
その杖の先にいるのは――アイリスだ。
「お嬢様っ!!」
ヘンリーの杖から光魔法が放たれた。
アルフレッドはアイリスを抱えて背中を向ける――。
光魔法は馬車の後部を粉々に砕き、アルフレッドの背中で盛大な火花を散らした。
「じいや……っ!!」
アルフレッドは、馬車の内側に身体を叩きつけられた。
しかしそれでも、アイリスをしっかりと抱きしめている。
「お嬢……様……」
「クソッ!」
アルフレッドは重症だが、息はある。
アイリスは無事だ。
魔法の轟音に恐怖に駆られた馬たちは、いっそうスピードを上げて森の道を走り抜ける。
「ウシャシャシャシャシャ! アイリス様ぁあああああ! ご無事でぇええええええ!?」
男は地面を這いながら、悪夢のようなスピードで馬車に迫る。
史上最悪のレースが始まった。
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