第10話「酒場での夜」
酒場に入ると、サラがウェイトレスに声をかけられた。
犬人族のハーフだ。
「ジョナ! 久しぶりね」
「久しぶりねじゃないわよ! なんかいろいろあったらしいじゃない、心配してたんだから! で、その人が例の恋人さん!?」
「こ、ここここ恋人!?」
サラの顔は、湯気が出そうなほど真っ赤になった。
「レオンさんはそんなんじゃなくって! 新人の冒険者さんで、私がサポートしてるみたいなだけであって! そういうのじゃぜんぜんなくって!」
「あーもうわかったわかった」
ジョナはケラケラと笑った。
「で、噂のレオンさん、拳銃持ってるってホント!? しかもそれで誘拐犯をやっつけたってすっごーい! ちょっと見せてよー!」
しっぽを振りながら、ジョナはぐいぐ迫ってくる。
「人に見せびらかすほどたいしたもんじゃないよ」
「きゃー、けんそーん! でもめちゃくちゃ強いんでしょ!? 魔術師が誰も相手にならなかった誘拐犯をひとりで倒したって!」
もう飛び跳ねんばかりの勢いだ。
「もう、レオンさんのことは放っておいて! 仕事に戻りなさいよ!」
「わー、彼女が怒ってる、こっわーい! じゃあテキトーな席に座って注文が決まったら呼んでね! あ、はいはーい!」
木のトレイのくるりと回して、ジョナは呼ばれた客の方へ行ってしまった。
「噂が広がるのは早いもんだな」
「酒場って、そういう場所ですから……」
ふたりはカウンターに並んで座り、壁に掛かったメニューボードを眺めた。
「あのデラマンチャスパゲティってのはなんだ?」
「ボタンボアのミートボールが入ったスパゲティです。美味しいですよ」
「なるほど、うまそうだ」
「私はサンチョステーキにしようかな。ジョナーっ」
はいはーい、とジョナはすぐに飛んできた。
注文を済ませたところで、テーブル席の男が立ち上がって、サラの肩に手を置いた。
「よう、Eランクの落ちこぼれ!」
酒に酔ったガラの悪そうな男だが、革のパンツの腰には杖を差している。
魔術師だ。
「マトモな魔法も使えないくせに、まだいっちょまえに杖ぶら下げてんのかー? 使えねーなら捨てちまえよ。なんなら俺が捨ててきてやろうか」
酒臭い顔が近づいてくるのを、サラはじっとうつむいて耐えていた。
「あんたもサラの友達か?」
レオンは低い声で男に尋ねた。
「レオンさん、よくあることですから……」
サラが小声でレオンに囁く。
男はレオンに初めて気がついたように、驚いてみせた。
「おおっ、どなたかと思えば、お前は史上初のFランク冒険者じゃねえか! レオン・クルーガーとか言ったか?」
男はレオンの帽子を取り上げた。
「このご時世に銃士なんてやってるらしいじゃねえか。おまけに誘拐犯をひとりで倒したなんて噂を広めて、あんまりイキがるもんじゃねーぜ?」
そう言ってレオンのカウボーイハットを被ってみせると、男の仲間たちがどっと笑った。
「Eランクの落ちこぼれと、更にその下っ端のカップルか。お似合いったらねえよなあ!」
「こんな美人とお似合いだなんて光栄な話だ」
レオンが言った。
「だが帽子は返してもらおう、悪いがあんたには似合ってない」
「そうかよ」
男はレオンのカウボーイハットを床に転がした。
「拾いな、Fランク」
男が言った。
「Eランクの落ちこぼれちゃんでもかまわねーが。ほっとくと誰かが踏んじまうぜ」
そう言って、足で踏むふりをした。
サラは黙って立ち上がろうとしたが、それをレオンが制する。
「いや、拾うのはあんただ」
「……なんだと?」
「それともこっちに尻を見せるのが怖いのか? イヤな思い出でもあるとか。確かに黒革のピチピチパンツは悪い男にモテそうだ」
再び笑い声が上がった。
しかしその対象は、明らかに男に向けられたものだ。
男の顔が、怒りと羞恥に赤く染まる。
「おい、Fランクがあんまり調子に乗るんじゃねえぞ……」
男はカウンターを叩いて言った。
「ステーキが届く前に、お前を火魔法で燃やしてやってもいいんだぜ」
「やめておいた方がいい。昔おばさんから聞いた話だが、夜中に火遊びをするとおねしょするんだと。ピチピチパンツが台無しになる」
「てめえっ!」
男の指が杖に触れようとしたその瞬間――。
「いい加減にしなぁっ!!」
ドン、とカウンターに包丁が突き立った。
「さっきから聞いてりゃあ、大の男がネチネチネチネチと!」
ぬうっと顔を出したのは、コック帽をかぶったおばさんだった。
「ここはお客様が酒と料理を楽しむ場所なんだ! 喧嘩するなら二度とこの店には入れないよっ!」
大迫力だ。
直接関係のないサラも、耳を伏せて怯えている。
「ちょっ……おばちゃんそいつは困る、ここは俺の憩いの場で……」
「だったら大人しく酒飲んでな! まったく魔術師ってやつはホント喧嘩っ早いったらありゃしない!」
クンッと包丁を引き抜いて、おばさんは厨房の奥に消えていった。
「…………あんまりでかい面すんじゃねえぞっ」
男は捨て台詞を吐いて、自分のテーブルに戻っていった。
「俺も少し大人げなかったかな」
「そんなこと、ありません……」
サラが立ち上がろうとすると、先にジョナがカウボーイハットを拾い上げた。
「落とし物ですよ」
ニコッと笑って、ジョナはレオンに手渡した。
「ありがとう」
レオンは埃を払って、再びカウボーイハットを被った。
「すまないな、騒がしくしてしまって」
「酒場は賑やかな方が楽しいですから」
そして、こそっとレオンに耳打ちする。
「ほんとに喧嘩になったら私、サラとレオンさんにつきますからね」
ジョナはサラの背中をぽんと叩いて、しっぽを振りながら厨房に戻って行った。
「不愉快な思いをさせてしまったな」
「そんな、最初に絡まれたのは私ですから……それに、あんな悪口、もう気にしません!」
「君は強いな」
「強くなったんですよ」
「はい、デラマンチャスパゲティとサンチョステーキお待ちどうさまー!」
ミートボールがごろごろ入ったスパゲティと、まん丸なステーキが運ばれてきた。
「ごゆっくりねー!」
「ありがとう」
レオンはさっそく、湯気を上げるミートボールを頬張った。
甘辛いソースが絡んだミートボールを咀嚼すると、口の中で熱い肉汁があふれて、危うくやけどしそうになる。
それでもボタンボアの力強い味わいと、臭みを消す香草の爽やかな香りが感じ取れた。
「うん、うまい。スパゲティの茹で具合も俺好みだ」
「ほら、美味しいでしょう」
サラもサンチョステーキを小さく切って、口に運んだ。
「明日の朝いちばんにギルドに顔を出しましょう。クエストの達成報告をしないと」
「早起きは苦手だ」
「仕事は迅速がいちばんです!」
サラは笑って言った。




