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雨上がりの高尾山にて

作者: にわか

先日、高尾山に行って俳句と短歌を詠んだので、それに地の文を付け加えて私小説にしました。

三連休の最後の日のことだった。私は昼飯を食べ終わると、無性にどこか知らない場所に行きたいと思い、何も計画を立てずに最寄りの駅へと足を運んだ。

ホームには一台の電車が停まっていた。私はすぐさまそれに飛び乗った。金の心配はいらない。どこか興味を引かれる駅で降りれば良いのだ。このような、心の赴くままにどこかへ行くということに、私はとても心が踊った。

「ご乗車ありがとうございます。この電車は、各駅停車、高尾山口行き。高尾山口行きです。」

電車のなかに車掌の声が響いた。終点の、高尾山口。それだ、と思った。各駅停車で終点の駅まで行くなんて、素敵なことじゃないか。しかもそこは登山口ときた。もうこれしかないと、今日の散歩ーーいや、旅の行き先が決まったのだった。

午前中は雨が降っていたし、午後から登山しよう思う人もあまりいないらしい。電車からは終点に近づくにつれ、少しずつ人が減っていった。私が乗っている車両には、私を含め6、7人しか乗客はいなかった。その静かで穏やかな空気を感じながら、各駅停車の緩やかな速度に揺られ、だんだんと緑が増えてくる窓の外を見ていた。

「ご乗車ありがとうございました。まもなく終点、高尾山口、高尾山口です。」

ピンポン、ピンポーンーー

ドアの開く音と同時に、午前の雨で湿った空気に、草木の青い匂いを感じた。この瞬間、私は日常から離れてきたことを実感し、思わず笑みを浮かべた。

改札を抜けると、さっき山から降りてきたであろう、杖を持った老人の集団や、家族連れなどがいた。観光地としてもっと栄えているのかと思っていたが、山の他にはトリックアート美術館があるくらいで、落ち着いた雰囲気が漂っていた。

大きな看板を見上げると、どうやら登山のコースが分かれているらしい。私はその中から、沢の横の道を歩いて登って行く六号コースを通ることに決めた。

六号コースの入り口は、ケーブルカー駅の横の道を少し行ったところにあった。登山道の先を覗けば、たくさんの木々が生い茂っていた。私はこれから一時間半程、この森の中を一人でただひたすら登ってゆくのだと考えると、少し緊張してしまった。私は小さく深呼吸をして心を落ち着けると、遂に山の中へと足を踏み入れた。

六号コースはあまり整備のされていないコースで、ところどころ木の根が地面から突き出ていたり、気を付けないと転落してしまいそうな道もあった。だが、沢の横をずっと歩いて行けるので、心地よいせせらぎの音を聞きながら、自然の中を歩くのはとても気持ちが良かった。

私は一息つこうと、森のなかで立ち止まった。周りに沢は見えないが、サァァァと流れる水の音は聞こえてきた。

ホーーホケキョ――——

そのまま休んでいたら、木々の間からウグイスの鳴き声も聞こえてきた。私はまるで童話の世界にいるような気分になり、頭の中ではその鳴き声が何度もリピートされた。


湿り気に響くウグイス沢の音


私はまた山を登り始めた。相変わらず足場は悪いが、私の体はだんだんとコツをつかみ始めたのか、姿勢を低くし、するすると登れるようになっていった。そうすると、私の心は山の自然と一体化していき、都会の人間であることを忘れ、手をそこらにつきながら、山道を走り始めた。


暗き森足は木の根に手は岩に駆ける私は獣なりけり


沢の上の石を渡っていき長い階段を登ると、頂上付近を示す看板が見えた。途中で少し走ったからか、一時間少しで登れたらしい。そこは薄い霧で覆われていて、まるであの世に迷い混んでしまったかのような、幻想的な雰囲気が漂っていた。


薄霧を纏う紫陽花霊の声


頂上の広場に到着した。食事処とビジターセンターという建物があり、二十人ほどの人が食事をしていたり、頂上からの風景を眺めていたりしていた。思ったよりも一人で登山して来た人が多く、私は軽い親近感を覚え、心が和らいだ。ここの食事処ではとろろそばが有名らしかったが、私はそこまで腹が減っているわけでもなかったので、食事処と一緒になっている売店でチョコ菓子とお茶を買った。それらを手にして私はベンチに座り、一人山頂でティータイムとすることにした。登山で疲れた身体に、甘いチョコとビスケットを放り込む。山頂で食べるという特別感は、菓子と茶の美味しさを何倍にもして、私の身体から疲れを取り去った。最後にお茶を飲み干し、ふぅっと大きく息を吐くと、私は大きな充足感を得た。

しばらく休んで、私はそろそろ下山することにした。時刻は四時ちょっと前だ。今の時期は日が暮れるのは遅いが、あまり暗くならないうちに下りた方がいいだろう。同じ道で下りるのも、ましてやケーブルカーを使うのも、ここまで来たらもったいないと思ったので、今度は稲荷山コースを通って下山することに決めた。稲荷山コースは、途中に展望台もある見晴らしの良いコースらしかった。

 下山する道は、雨でぬかるんで泥になっていた。私は普段使いの靴を履いていたので、最初は泥をよけるように道の端をジャンプしながら歩いた。だが、それでも完全に泥をよけきることはできず、私は途中から泥で汚れることを受け入れた。どこか遠くで、キセキレイがピピッピピッと鳴く声が聞こえた。一方、私の靴は、ピチッピチッと泥を踏んで進む。

 キセキレイが鳴く。泥が跳ねる。

 ピピッピピッ――――

 ピチッピチッ――――

 その二つの音は、まるで二人で会話を交わしているようだ。


 泥を踏む靴と会話すキセキレイ


 曇り空のせいであまり良く景色が見えない展望台を経由しながら、私は下山を続けた。普段の運動不足のせいか、途中で足や腰に多少の痛みを感じたが、大きな怪我などはなく、私は登山道の入り口へと戻ることができた。

 登山道の入り口にあるいくつかのお土産屋は、今まさに閉めようとしているところだった。人も来たときよりもまばらで、湿った空気と薄暗さが辺りを静謐な雰囲気にさせていた。私はそのまま帰る気にもなれず、せっかくなのでトリックアート美術館に足を運んだ。そこは、私以外に一人で来ている客はいなく、少々居心地は悪かったが、トリックアート自体は面白く、楽しむことができた。

 1時間ほど鑑賞して、私は美術館を出た。時刻は十九時前くらいで、あともう少しで辺りが闇に包まれるころだった。私は帰りの電車に乗る前に、もう一度高尾山を振り返った。山はしんと静まり帰り、木々の間には吸い込まれるような闇が広がっていた。昼とはまったく違う姿を見せるその姿に、私は少し恐ろしくなり、まさに畏怖の感情を覚えた。

 

 夜が包む高尾の山を振り向けば人ならざりしものの領域


私は一度大きく深呼吸をして、駅の改札をくぐった。

高尾山はとてもいいところでした。人が少なそうなときがおすすめですね。

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― 新着の感想 ―
[一言] 高尾山に登ったときのことを思い出しました! とても素敵な文章でした。
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