22話:リーマンショック
2006月7月に、シティバンクが大蔵省の行政処分を受けて、突然
2006年7月に、日本での個人向け銀行業務から撤退するというニュース
が流れた。そのため、田端正一と虎吉は、シティバンクの資金を全額、
新生銀行に移した。
その後、アメリカのサブプライムローンの話題が出て、米国株も日本株も高値
警戒感が出て、2007年4月の勉強会で日本株全体を森に例え、個別銘柄を
木に例えて、森が高くなりすぎてるので、ここから買いを入れるべきではない
とチャート分析の説明をした。その話が的中し、2007年6月以降、多く
の大型株が値を下げてきた。
そして2007年8月にパリバショックがおきた。パリバショックとは、
アメリカのサブプライム住宅ローン危機による市場混乱を引き金にBNPパリバ
傘下であったミューチュアル・ファンドが投資家からの解約を凍結すると
発表したことにより、フランス国内だけでなくヨーロッパ全体、また世界の
マーケットが一時的にパニックに陥った。
為替相場をはじめ株式その他の金融商品が大きく変動し、世界の市場に
金融危機が広がるきっかけとなった。このパリバショックは、経済専門家で
さえ、パリバショックによる市場の混乱を傍観するしかなく、次に何が起こる
のかはっきりしない状況だった。一連の混乱の後、いったんは鎮静化し、
市場も安心したかに見えた。
しかし2008年3月の米大手証券のベアー・スターンズが経営危機に陥る事
でさらに市場は二次的なショックに見舞われた。この頃には、世界の株価が
大きく下げて、事の重大さを暗示していた。そこへ、2008年9月15日
にリーマンショックが起きた。リーマン・ブラザーズは世界中に顧客を持つ
大手投資銀行だったので、投資家や金融機関が大打撃を受けた。
その規模はアメリカ史上最大となり、負債総額は約6130億ドル、64兆円
と言われた。やがてBNPパリバ傘下のファンドも破綻し、投資家への払い
戻しにも応じなかったことも問題視された。最終的にはメルルリンチ、その他
の米国金融機関の大手も倒産の危機に瀕したが、FRBががバンク・オブ・
アメリカや大手の金融機関に多額の援助を差し伸べ、業界再編がおきた。
それでも、リーマン・ブラザースを買収しようとする企業が現れず、倒産と
なった。2006年10月5日の勉強会の時には、リーマンショック後、
米国でバンク・オブ・アメリカがメリルリンチを5.2兆円の買収した話
など、日本の金融界と1桁違う規模の大きさを知り、勉強会メンバーが米国
の金融市場がプロ野球とすれば、日本の金融市場は高校野球か中学生の
野球程度だと、その規模の違いに驚いていた。
つまり、本格的に富裕層をめざす投資家は、米国市場で戦っていると言うこと
からも証明されていると教えた。しかし、日本は、2000年より、以前に、
山一証券の自主廃業、北海道拓殖銀行の倒産など、大きな痛手を経験した
ために、米国のサブプライムローンに関連した債券を大量に買い込んだ、
大手金融機関は、ほとんどなく、大きな営業を受けずに、リーマンショック
からの立ち直りも早かった。




