14話:田端正一の大学生活
やがて1985年5月、田端虎吉が初めてカローラを購入して7月22日
、母と奥さんと正一の4人で富士五湖、御殿場、箱根に1泊で出かけた。
そして正一もその年の9月に免許を取った、しかし正一は9月18日に
免許取得後、初めて秩父の方へ家族3人でドライブに出かけたが日帰りで
帰って来た、
その後1986年を迎えた。その頃には正一の預金は100万円となったと、
自慢げに両親に話していた。この春5月に虎吉が家族3人とおばあちゃんに
東北の温泉巡りの旅に車で行かないかと誘うと正一はアルバイトが忙しいので
、行かないと言い他の2人は行きたいと言うので5月13日~18日まで
出かける事にした。
池袋を出て東北道をひた走り仙台の郊外の秋保温泉に宿を取り露天風呂から
、新緑の景色をながめ旨い食事をとった、翌日、旅行2日目は仙台、青葉城
を見学し名物の牛タンを昼食に食べ仙台を出発した。そして夕方4時に盛岡
郊外のつなぎ温泉にチェックインして御所湖とその向こうに見える山の美しい
景色を楽しんでから温泉に入り、温まり、夕食をいただきた。
翌朝、旅行3日目は、その湖沿いを散歩して風呂で身体を温め、朝食をとり
、出発した。その日は青森めざして、まっしぐらに走り途中の高速の
サービスエリアで休んで午後4時過ぎに青森の郊外の海沿いの浅虫温泉の
老舗温泉旅館に宿を取った。
ホテルの展望風呂に入ると目の前に小さな島が見え左側には津軽半島の
沿岸部も見えた。料理も豪華で、この日の夕食はたらふく食べた。翌日、旅行
4日目は海辺を散策し風呂に入り朝食をとり宿を後にし、ひたすら南下して、
午後5時過ぎに那須塩原温泉に到着し風呂に入り夕食をとって早めに
床についた。翌日、旅行5日目は、そのまま宇都宮から大宮を抜け池袋に
午後3時過ぎに到着した。
夏も正一は家庭教師のアルバイトに奔走していた。やがて1986年となり
、その頃に自分の卒論のテーマを過去の株の動きを標準偏差やいろんな数学の
テクニックを使って予想し結果との違いと相似点をまとめよう考えていた。
トヨタ株とソニー株に絞り1970年以降の最安値と最高値、チャートの動き
、標準偏差と株価の差を持って売買したケースの利益の分析というテーマに
しようと考えた。
この卒論のテーマを研究室の教授に聞くとユニークで面白いが、もし数学の
計算通りに株価が動かなかったらどうすると教授が田原正一に尋ねると株は
生き物だから予想はできない、だた、どれだけの確立で予想が可能かという
データは意味があると思うと主張すると、まー挑戦したまえと応援してくれた。
そしてソニーとトヨタ株の分析を進めていくとソニーの方が予測しやすい
事がわかりソニー株の分析だけを論文にする事にしているうちに1987年
に入った。膨大なデータなので分析のために時間がかかり夏休み返上で、
データー処理のロータス123で分析を繰り返していた。
1987年4月にデータをまとめる上げる作業にとりかかり1987年10月
までには分析が終了し論文を書き始めると論文の枚数が多くなり要領よく、
まとめないと、わかり難いと教授に言われながら1987年の冬休みも返上し、
論文を何回も校正し1988年の2月、論文〆切りに何とか間に合い提出すると
、ある教授がからクレームがついた。
その教授室に呼ばれ、なぜ、株みたいに人為的な影響の大きい事象を分析できる
訳がないと言われたが、そんな事はないと反論して今迄やったことがないからこそ
、研究する意味があるのではないかと言うと見解の相違と教授が言った。しかし
君の熱意に負けて論文は通してあげようと言ってくれ卒業論文は無事受理され、
1988年3月、田端正一は、早稲田大学理工学部数学科を卒業した。




