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1話:フィクサーの生涯

 真田鋭一は1910年5月16日、埼玉の秩父の山間部の貧しい農家で誕生

した。幼少期は極貧の生活をして右翼系の大物の下働きをして育った。

 もちろん尋常小学校しか出ていなかったがドスのきいた物腰と低い声、

がっちりした身体で喧嘩しても負けない体力を持ち威勢も良く気が強く右翼の

中でも頭角を現してきた。


 更に智惠者で交渉力が巧みなで18歳の時には、その右翼団体の三羽がらす

と呼ばれ恐れられていた。その後、右翼の代表に言われ3人が満州に渡り満州

の関東軍に取り入って特殊金属を始め宝石、ダイヤモンド、中国で奪い取った。

 金、銀、銅、めのう、べっこうなど価値のある物だけを横領し某新聞社の

飛行機に乗って日本に持ち帰った。


 そして、かさばらなくて持ち運びに便利な物だけを抜き取り東京と神奈川の

山に見つからないように埋め、それを自分の遺言書に巧みに書き残し自分の

子孫だけに、その場所がわかるようにした。そして大きな、お宝は、その

右翼団体が保管して戦後の日本の与党・自由党の結党のために渡した。


 終戦後、池袋の闇市を仕切り悪どい商売で稼ぎまくり、更に没落した貴族

を訪問しては、その家のお宝を二束三文で買い取り暴れ回っていた。そして

終戦の5年後、1950年、3羽ガラスと言われた連中で1人、真田鋭一

だけが生き残り、他の2人は惨殺された。右翼の代表も亡くなり真田が、

この団体の代表になり、できたばかりの日本の与党にも昔の関東軍時代と同じ

様に賄賂を渡し自分に身に危険が及ぶと賄賂を使い抱き込んだ上層部に頼んで

、逃がしてもらう手口で、決して、つかまることはなかった。


 その後、その右翼は大きな炭鉱で労働争議が送る度に組合潰しに奔走した。

 もちろん国鉄の組合潰しも例外ではなかった。その後も総会屋として大手企業

から金をもらっていたが私腹を肥やすのではなく政治家、起業家などに賄賂

として使っていた。


 しかし米国からの防衛省への機材購入に絡んで工作費用が流れたと大手新聞に

暴かれ、遂に法廷に出ることになり1979年に脱税と外為法違反で在宅起訴

され裁判に臨んだが、病気を理由で法廷に出ることはなかった。そして1979年

7月6日に心臓病でなくなった。


 その後、米国中央情報局CIAからも工作費をもらっていた事が明るみに出た。

 結婚してはいなかったが行きつけのキャバレーの女、足立菊子に1938年に

男の子、足立和男、1940年に池袋の小料理屋の女・田端逸美に男の子、

田端虎吉をもうけて真田鋭一は、その詳細を自分の日記につけていた。


 足立和男は1964年に26歳で奥さんの恒子さん22歳と結婚し1965年

に長男の足立雄一が誕生した。田端虎吉は、1965年に25歳で奥さんの

佳子さん23歳で結婚し1967年に長男の田端正一が誕生した。そして

1979年7月10日の真田鋭一の葬式に現れた。足立菊子と田端逸美に

真田の腹心の部下に生前申しつけたとおりに遺書を、それぞれ渡した。


 そして足立和男は工業高校を卒業し大田区羽田の近くで子供と共に塾を

経営していた。田端虎吉の方は早稲田大学文学部を卒業し神田の大きな

書店に就職した。

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