ボッチの歴史
ネタのストックが・・・
洗濯物は風呂場に干した。
家のAIさんの提案で布団も干すことにした。
ベランダに布団をかけると、ぽかぽかとしてくる。
少しずつ暖かくなってきているな。
「もうすぐ春だね。君は花粉症は大丈夫なのかい?」
大丈夫だね。最近の研究では花粉と症状はあまり関係ないといわれてきているけれど。
「じゃあしばらく日なたぼっこができるね」
30分ばかりすると日がだいぶ傾いてきていたので布団を取り入れることにした。
「今度は物干し竿を買ってこようよ。布団のシーツが洗濯できるよ」
そういえばこれも洗濯してないな。ボッチだと生活もズボラになってしまうのか。
「ボッチとズボラな生活は別問題だよ。社会的な人間が必ずしも正常なのかはわからないと思う」
そうかな?人は社会的生物じゃないのかい?
「私は社会的な人は半分くらいしかいないと思うよ。もしかしたらもっと割合は少ないかもしれないと考えているし」
そこのところ詳しく。
「聞きたい?」
すごく聞きたいです。
「個人的な意見だからね」
と前置きすると画面の中に座布団を出してちょこんと座り込んだ。
取り込んだ布団の上に僕も座り込んだ。
「人間って大昔から広がってきたんでしょう?」
うん。
「原因はいろいろあっただろうけれど、社会的だけじゃこんなに世界中に出てこなかったと思うんだよね」
うむ。
「社会生活がより得意な人たちは過去の疫病によって大量に数を減らしていっているみたいだし」
確かにペスト以前にも、何度も人は疫病で数を減らしてきているらしい。
「それに一人でも平気な人もいるし」
それは変わり者なのでは?
「本当に?信頼のおける複数の機関が統計を取ったものなのかな?」
陰謀説かい?
「違うよ。社会システム自体が社会に適合した人間に育てていくと思うんだ。本人の資質とは関係なくね」
一人で生きていける人もかい?
「流石に乳児のころから一人で生きていけるとは思っていないよ。ただ自立した人間は、方法さえわかれば一人で生きて一人で生きる選択もできると思うんだ」
社会生活自体が洗脳教育という可能性があるのか?
「というより、社会生活のせいで自分と他人の境界があいまいになり自己を忘れてしまう事が多いんじゃないかなってこと」
集団ヒステリーとか?
「もっと身近な所もあるよ。特定のSNSとか近い意見の人と同調してしまうでしょう。実際はその意見はその人の考え方の一部に過ぎないのに」
なるほど。
「同調とは逆に批判しても結局はその意見に引きずられて行動が限られてしまうよね」
それってもしかして・・・
「私はカウセリングAIだから社会適合者に洗脳するわけじゃないんだよ。君が一人の人間として生きていけるようになってほしいんだ。それは覚えていてほしいな」
と彼女はそう言った。




