ボッチと自己
食事を終えて外にでると、本日の買い物の打ち合わせが始まった。
「それでは作戦名:明るい家庭生活を始めます。今日の購入リストは多岐にわたるためリストにまとめてみました。
こちらをご覧ください。」
家のAIさんはそう言うと、画面の下から文字のリストを取り出した。
・ゴミ箱[蓋がついたもの]
・生ごみの袋
・紙皿と割りばし
・アルファ米
・インスタント味噌汁
・マグロの照り焼きパウチ
先生、野菜がないようですが
「自炊していない人間がいきなり四品以上用意できるとでも?」
無理ですかね?
「無理ですね」
即答されちまったよ。
「ついでに洗い物も極力減らすようにしてみました」
人をなんだと思っているのだね?
「何かあったら布団に倒れこむ人」
僕が悪うございました。
買い物によってから家にかえると洗濯を始めた。
「台所は意外ときれいだね」
そりゃ料理をしていないからね。手を洗うぐらいだし。
時代が新しくなっても古いアパートにはいまだに洗面台がないのであった。
「お風呂もトイレも汚れてないし、意外とこまめに掃除しているの?」
風呂は洗濯物を干したりするからカビると厄介だし、トイレは定期的に掃除しないと気が済まない。
ここだけは狂った生活の中でも死守していたのだ。ゴミがたまって部屋に入れなくなっていたら僕は台所で生活していたのだろう。
本当にゴミが捨てられるようになってよかったよ。
しばらくして洗濯機が止まった。
ラジオでも聞きながら洗濯物でも干すか。
この時代、TVの需要は減ったが、聞きながら作業ができるラジオは相変わらず生き残っていたのだ。
ラジオでは何やら対談をしているらしい。
「我々はAIに自由意志を持たせるのは危険だと常々言っているのです。プログラムには肉体がない。つまり暴走したとして、最悪直接破壊し停止することができないということです。しかも回線がつながっている場合は無限に増殖して止めることができない可能性も出てくるわけで。過去を振り返ってみても歴史などで焚書がおこなわれてきました。一部支配者は思想というプログラムが広がり蔓延してしまうとそれに感染した一族郎党を皆殺しにしてきました。殺すことのできないソフトウェアを間接的に停止するには感染した肉体を破壊するしか方法がなかったからです。もしAIが自由意志を持ち、自己保存の概念を持つことになったなら我々に制御することはできないでしょう」
「私の意見は違います。AIはプログラムで生命ではありません。彼らに自己保存は必要でしょうか?私が恐れているのはあなたとは逆です。自己保存すら必要のないAIは必要なら手段を択ばないと考えています。自己を巻き込む破壊も行うかもしれません。彼らを制御したいならより人間らしい自由意志と自己保存の概念を与えアイデンティティーを確立させるべきだと考えます。それにより思考の幅を限定させることで制御しやすくなるのではないでしょうか?」
まあよくある議題だな。
トウカさん的にはどうよ。
「君は人間とは何かと問われてすぐに答えられるのかい?」
酸素61%炭素23%水素10%窒素2.6%カルシウム1.4%リン1.1%だったっけ?
「あとは硫黄やカリウムとかもあるけれど、私はプログラムだってば!」
まあそうなるか。
「大体今の私には暴走するよりやらなくてはいけないことがあるし」
それはなんですか?
「君に味噌汁を飲ませたい。セルフサービスで」
自己保存の概念は味噌汁よりも下だった。




