怪しい勧誘
「いやいや、本当に良かったよ、あの演説は。私感動しちゃった」
「そうですか」
「だから、私はあなたのファンなの」
「はあ」
「あの声の震えが会場全体に広がって、ひとりひとりと共鳴していく、ああ、なんて素晴らしいのでしょう」
「ええ」
「あ、そうだ、良かったら連絡先交換しませんか、お願いします」
スマホを差し出しながら彼女は頭を下げた。
あの美少女に頭を下げさせるなど、なんたる横暴だ!という非難の声が周りから飛んできているように思える。本当に気のせいならいいんだが。これからの学校生活が害されませんように。
「あ、いえ、先輩なんですから、そう恭しくならずとも」
意外と話せるものだ、と彼は思った。特段女性慣れしていない彼は、この美少女に相見えてまともに話せる自信はなかったのだが、面と向かって話すことくらいは大したことないと気づいた。
最大の敵はオーディエンスなのだから。
――昨日まで君たちは僕の味方だったはずなのに!――
まあ「先輩」のペースに押されて適当に相槌を打っているだけなのだが。
連絡先を交換すると、
「それじゃあ私は用があるから、これで」
と言って早々にその場を去っていった。
「あっ……お疲れ様です」
一人取り残された彼は呆気にとられている。
観衆は彼への興味を失った。
これほど多くの人がいる場所にも関わらず、不思議な静寂が広がった。
落ち着きを取り戻してから、彼は、「やっぱり普通の人間だな」と思った。
連絡先を交換したとはいえ、彼女の方からも彼の方からも特に用件などないわけで、その先数日は平穏な日々が続いた。
毎日顔を突き合わせる「クラス」というコミュニティは勝手に深まっていくし、気がついたらまともな授業、言い換えれば退屈な時間も始まっていた。
放課後になった。
高校生活の花形といえばやはりなんといっても部活動であろう。
新興の学校である以上、この学校で新たに興る部活動も当然に新しいもので、有志たちにより大量の広告が掲示板に貼られていた。
編入生も入学生もこの学校に来たばかりというのに、随分とアクティブなものだ。そういえばホームルームでもわざわざご丁寧に部活動設置の申請の仕方がレクチャーされていたから、ひょっとするとここでは部活設立は敷居が低いことなのかもしれない。興味がなかったから聞いていないが。
というか、部活など代表者以外は新参者のようなものなのだから、見学等はしようがないと思うのだが、これからどのようにして部員が集まっていくのだろうか。
この広告、もといポスターは随分とレベルの高いもので、特に文化系のは相当に面白く、「ブラック部活にご注意!」などという、至極真っ当だがなんとなく通常の学校では抑圧されそうな言論が掲げられていたりする。さらに言えば、そもそも部活の活動内容が半分趣味みたいなものだったりする。
彼は部活に興味はなかったわけだが、これなら入ってもいいかという気もしてくる。
ポスターは他の場所にもある。やはり興味深い。
彼としては校舎内を一人徘徊することは、散歩趣味の一環として充分魅力的な選択肢であるわけだが、新入生が単独で放課後の廊下をひた歩くというのも、なんだか変な気がしたので、即席の友人一人を引き連れ、色々回ってみることにした。
「どの部に興味があるんだ、舞浜」
「さあ、特には決まってないけどね」
「じゃあテニサーとかどうだ?」
「そんなテニスしなそうなテニス団体が高校にあるとでも?」
まだ高校生活始まって数日とはいえ、毎日顔を突き合わせるクラスという制度は、仲良くなるにはもってこいのものだ。
そして、大人しい人間であるはずの舞浜は、今や新入生の中では大スターなわけで、おまけに一部の人間はよく分からない美少女と会食しているシーンも目撃しているし、話し相手の一人や二人、できないわけがなかった。
「意外と普通の人だ」というのが、彼と話した人皆が口を揃えて言う感想である。その言葉を聞く度、「意外も何も僕は普通の人間だよ」と心の中で彼は思う。第一、周りの人間の大半はおそらくだが彼より相当成績優秀なはずである。
彼は貼られている大量のポスターを見る度、「生徒数とのバランスによって、この中のいくつの部活が挫折に追い込まれるだろう……」と考えてほくそ笑んだが、いけない、自分は普通の人間なんだ。と考えて笑いをこらえた。
二階、三階とポスターを見ていって、これで終わりかと思えば、講義棟だの理科棟だのという施設もまだ残っている。
渡り廊下を渡って少し離れたところにあるこれらの施設に入ると、若干辺りは暗くなった。おそらく、まだ使う機会がないので照明を切ってあるのだろう。それか元々こういう雰囲気の場所だろうか。
こんな僻地にもポスターが貼られている。本当に部活の数が多すぎるし、中には内容が重複しているものさえある。
しかし、よくよく目を凝らしてこの僻地のポスターを眺めてみると、何やら雰囲気が本校舎とは違う。部活の名前が若干怪しげなのだ。
「座禅愛好会」、「照明会」、そして「言霊愛好会」。
愛好会なり部活なりサークルなりというのはまた別の待遇があるのかどうかは知らないが、とにかく怪しい団体が多い。こういうのは大学に入ってから、と思っていたが、まさか高校でこんなものに出会うとは思わなかった。
「この名前いかにも怪しいな、舞浜」
「確かにね。一体誰が作っているだか」
「先生のチェックが存外適当なのかもね」
「むしろ一切無さそうな勢いだけどね。僕らも試しに何か作ってみようか?」
「例えば?」
「高校教育打破の会とかね」
本当に人が集まってしまいそうで怖い。まあこの学校に関しては、一般の高校ほどの理不尽も無さそうだが。
一通り見終わり、二人は解散した。
彼が家に着いた頃のことだった。彼のスマホが鳴った。
新しく契約した携帯なのに、早速怪しい電話がかかってきたな、と彼は思ったが。画面には「春山言葉 先輩」と表示されている。
そういえば、驚くべきことに、自分はこの先輩となぜか連絡先を交換するに至ったのだと思い出して、電話をとった。
「はい、もしもし」
「もしもし、舞浜くん?」
「ええ、そうですが」
「あのね、私、新しく愛好会を作ったんだけど、良かったらどうかなって」
なるほど。確かにあの競争率ではメンバー獲得にも苦慮しそうだ。連絡がつく人間相手に手当たり次第勧誘をかけるのもおかしな話ではないだろう。
丁度良い、別にこだわりもなにもなかったし、これも何かの縁だ。話くらいは聞いておこう。
「ええ、どういう愛好会ですか?」
「ええと、それは……」
「あ、ごめんちょっと今急用が入っちゃって、また今度詳しく話すから!」
「え、あ、はい」
切れた。
分からないが女性というのは色々と忙しいものなのだろうか?
まあいいや、別に大したことではないだろう。この時彼はこう思っていた。
その後春山先輩からメッセージで、
「明日の放課後、テラスで会いましょう」
と送られてきた。
またもあの精神的摩耗を繰り返すことにはなるが、仕方なく追認した。
明くる日の放課後、彼は例のテラスに向かった。ありがたいことに、人はまばらで、前回の昼休みの時ほど注目を集めることもなさそうだ。
今回は春山先輩の方が先に座っていた。
遠目で彼女を見ながら「なんと話しかけよう……」と逡巡していた彼だが、その隙に彼女は彼に気付いた。
控えめに手を振っている。おそらく周りの注目を集めない配慮か……いや、特にそういうことは考えてないだろうな、と彼は思った。
「こんにちは」
席に近寄っていった彼が先に声を発した。
「こんにちは」
笑顔で彼女が答えた。
「今日は愛好会の話ですよね」
「それで、何という愛好会なんですか?」
「ええと……」
うつむいた顔が影を作って彼の視界の中のグラデーションを変えていく。
ためらうおしとやかさは綺麗な顔によく似合った。
しかし、いくら美しくとも用事は用事、はっきりと言ってもらえなければ彼としては困るというもの。
「はい」
答えを促すかのように横槍を入れる。ひょっとするとこういう魅力的な表情をいつまでも平然と見続けてはいられないという事情もあったのかもしれない。
「愛好会の名前は……言霊愛好会」
「くぅ~~」
まるで「もうお嫁に行けない!」とでも言いたげな感じで、顔を両手で覆って恥ずかしそうにしている。
しかし彼にとっては、この目の前にいる美少女のコミカルな仕草にはもはや笑ってなどいられない。かなりの長きにわたって彼はフリーズし、彼女はいつまでもおかしな仕草を続けている。
しばらくして正気を取り戻した彼はこう思った。
「一時たりとも美しさに惑わされたりした自分が恥ずかしい……」
それもそのはず、「言霊愛好会」は、まさしく彼が昨日見つけた「怪しい団体」だった。