動き出す鼓動
ともあれ、彼は帰ってきたのだ。自身の才能を最大限に引き出すことができる、喜びの溢れる場へ。
連絡は珍しく秋里先輩から送られてきた。
「明日の放課後、例の活動場所に集合されたし」
なんだか古風の文体がおかしかったが、それはそれで彼女の性格にあっているような気も彼はした。
彼は家の中でにっこりと笑みを浮かべていた。
またあの場所で出会えるのが楽しみだといわんばかりに。
彼が教室の扉をくぐると、珍しく報告を受けた。
「そういえば、昨日の昼も春山先輩来てたぞ?」
……だからそれは昼休み終わったらすぐ言うべきだろうに……と彼は思うわけだが、それはもう解決したことだった。
「ああ、その件ならうまくいったから大丈夫」
そう、「解決した」ではなく、彼は無意識のうちに「うまくいった」と言っていた。
「ほお~、『うまく』ねえ……、懇ろなお二人さんは一体何をうまくやっちゃったんでしょうか、俺は気になります!」
……なんだ、その変な口調は。と彼は思いながらも、いつものようにからかいをあしらおうと……
……あれ?
どうしてだろう、なんだか、自分の口が異常に重いように感じる。
彼は深刻そうな顔で黙りこくった。
「どうした?」
彼はクラスメイトが話しかける声で目を覚ます。
「あ、いやいや、なんでもないよ、春山先輩とはちょっと事務的な用事で……」
「ふーん、事務的ねぇ、なんの事務だか詳しく聞かせてもらいたいところだけど、今はもう時間がないみたいだ」
ホームルームの鐘が鳴る。
「それじゃ、また今度詳しく聞かせてもらうよ」
……相変わらずクラスメイトからの追求を凌ぐのは面倒くさい。
でも、さっきの違和感はなんだったんだろう……?
どうしてこんな単純な言葉が、発せなかったんだろう。
正式に「仕事仲間になった」、ただそれだけの話だと言うのに。
放課後になった。彼は今日も適当にクラスメイトの追求をやり過ごし、再興した自分のホームへと向かう。
今日も今日とて、クリエイティブな新しい活動が展開されていくのだろう。
理科棟へと向かう彼の足取りは弾んでいた。
すると、彼は理科棟と校舎を結ぶ渡り廊下で、前の方を歩く秋里先輩の姿を見つけた。
「秋里先輩!」
いつになく彼の声が明るい。
「ああ、舞浜くん」
秋里先輩はほっとしたような表情で彼の姿を見つめる。
彼女は、春山言葉から確かに「舞浜くんが来る」とは聞いていたものの、本当にそうなのかと少し不安に思っている節があった。
普段あまり動かない表情の中にも、確かに秋里先輩は喜びの色を潜めている。
「良かったよ、本当に。舞浜くんは、これまで通り活動を続けてくれるの?」
「はい、もちろんです」
「言葉も喜んでいたよ、本当に良かった」
秋里先輩は心底安心しているようだった。
――それは真っ当な感情だろう。
――内なる想いは目に見えず、あるいは当人にさえ見えないのだから。
彼を後ろに従えた秋里先輩が地学講義室の扉を開ける。
「あ、言葉、もう来てたんだ」
「あ、美咲、お疲れ様~」
活動が今から始まるというのに「お疲れ様」というのがなんだか面白くて、彼はこっそり笑った。
「もう、明くん、どうして笑うのかな?」
春山言葉は目ざとくそれを見ていた。
「いえ、すみません、大したことではないんです」
そう言われた彼女もまた少しだけ口元を綻ばせた。
その二人に挟まれている秋里先輩は、二人の距離の接近を間近に体感している。
「なんだか微笑ましいな」
と内心だけで呟いていた。
「それじゃ、そろそろ始めましょうか、皆座って」
噂のごとくのろけているようにしか見えない二人を横目に、彼女は言った。
「もう、仕切るのは私の役割なのに」
春山言葉が少しだけ不満そうに返す。でも本当に嫌そうな様子ではなく、微笑みをその裏に潜めていた。
「うん、今後の活動なんだけど、とりあえずは明くんの演説を続けていく感じで……」
やはり秋里先輩には「明くん」という呼び方が引っかかる。それだけ仲が良くなったというのは喜ばしいことなのだが。
「あと、これは私の企画なんだけど、お悩み相談を募集して、それに私達が答えるのはどうかな……って」
「やっぱり色々な媒体で私達を知ってもらうのは重要だと思うし」
春山言葉は思い入れ深くその話をした。
それは彼女が元々考えていたアイディアだった。
そして彼女は一度投書を燃やした。
改めて思うと、その人には申し訳のないことをしてしまったと彼女は思う。
「ああ、それは中々良いですね」
何も知らない彼も同調する。確かに彼女の言っていることは尤もに思えた。
「ええ、いいんじゃないかしら」
秋里先輩も賛成した。
「それじゃあ、次回の演説は来週の月曜日ってことで」
「また猶予は数日しかないんですね」
彼は何度も大した準備期間もない演説をすることを強いられてきている。
――まあ、今まで彼が話題に欠くことはなかったのだが。幸いにも春山言葉との出会いが色々な洞察を彼に与えてくれたおかげで。
「まあ良いでしょう、またいつも通りやりますよ」
「やっぱり、それでこそ明くんだよ!」
新しい呼び方も相まって彼は気恥かしく感じた。
そして、春山言葉の輝かしい目は何者をも引き込んでしまうかのような力を持っていた。
少なくとも彼には、そう感じられた。
三人で下校をしたのは、なんだかんだでこれが初めてだったと思う。
秋里先輩、明くん、春山言葉の三人がこの順に並んで歩いていた。
「その、私達っていつもこの教室で解散しちゃうけど、途中まで道同じだったりしない……?というかこっち方面にしか家はないと思うし」
計画都市だけあって、オフィスや学校のある区画と住宅地は厳格に分けられている。だから春山言葉はこう言ったのだった。
「まあ、私と言葉は住んでいる所自体も近いしね」
その二人はこの都市の外から通学しているようだったが、やはり幼馴染だけあって二人は近くに住んでいるらしい。
「鍵を返しに行くから、ここで解散」
みたいなことが今まで多かったから、これはやっぱり寂しかった。
そういうわけで、三人は一緒に帰ることになったのだが……
「これがいわゆる両手に花……」
二人に挟まれた彼は思わず小声で呟く。
「うん、なんか言った?明くん?」
春山言葉は彼の顔を覗き込むようにして言った。その顔には、「本当に何を言ったか分からない」という意味が込められていた。
舞浜明は大いに照れた。
「い、いや、別になんでもないです」
秋里先輩はというと、二人のやりとりを見て横で笑っていた。
この人だけは、彼の小声も聞こえていて何もかもお見通しみたいに見える。
中途半端な時間帯だったからか、幸いにもさほど生徒の注目を集めることはなかった。
駅の周辺までの五分くらいの道を、三人で並んで歩く。
日が少しだけ赤くなってきているのが、空の見栄えを一段と良くしている。
なんだか幻想の一ページの中に迷い込んでしまったかのような気持ちを、彼は感じた。
三人は一様に並んでいて、どの二人の距離が近いということもない。
……しかしなぜだろうか。
――言葉先輩との距離が、近く感じられるのは。
――明くんとの距離が、近く感じられるのは。
「えっと、駅だね」
「うんうん」
秋里先輩はなんだか楽しそうに相づちを打っている。
「それじゃあ、ここで解散ね、あ……」
刹那、春山言葉の中で何かが激しく脈打った。
それが何かは分からない、いや、分かるといえば分かるかもしれない。
――でもこんなものだったのか?
「あ、赤いな~今日の夕日も」
「え、ええ、そうですね」
「それじゃあ、今日はバイバイね、また月曜日に!」
秋里先輩の手を引いて、春山言葉は早々と立ち去っていく。
彼は不思議な気持ちで春山言葉に手を振った。




