思わせぶりな
荘厳な雰囲気の中にふわふわとした空気が流れる。
突然そんなことを言われた春山言葉が驚いたのはもちろん、彼もまた自分の口から飛び出た言葉に驚い
た。
それでも二人は必死で平静を装おうとして、表情をひた隠しにする。
彼女は模範的な美しい真顔を浮かべ、彼は演説の初めの時のような威厳のある真顔をしている。
それでも、この空気は口を閉ざし続けることを許してはくれなかった。
一方的に返答の義務を負わされた春山言葉は言う。
「はははは、そう言ってもらえると、私も嬉しいかな~って」
「え、ええ、そう言っていただけると光栄です」
両者共に手探りで彼の一発言をフォローしようとする。
「そうそう、私だけを見ていればいいから~」
シリアスをコミカルに変えようとして彼女は必死に取り繕う。
口に出した瞬間、彼女は固まってしまった。
(ちょっと、これじゃあまるで……)
(ええと、僕の言葉に別に深い意味は、そんなつもりじゃ……)
冗談にしては重い冗談に、二人は心の声を巡らせ合う。
もう迂闊な発言はできない、とお互い気をつけるあまり、静かな森の静寂はなお一層深まっていった。
「ええと、それじゃあ、話を戻しますけど……」
――やっぱり私の話って、完全に誤解を生む表現だったよね?脱線扱いされちゃってるよね?無かったことにされようとしてるよね?
「う、うん」
全肯定することしか彼女にはできない。もう独自性のある言葉なんて使えない。
もしも彼女が「ちょっと今から付き合ってよ?」と言われたら「付き合うってなんだろう?」と考える前に「うん」と言うだろし、「ちょっと○○買ってきてよ?」と言われたら、「なんでパシられるんだろう」と考える前に「うん」と言うだろう。
自分で凝った返事を考えることのなんと恐ろしいことか。
どんな失言が飛び出すか分かったものではない。
「あの」
彼は口を開く。
「は、は、はい!」
立派な顔で間抜けな返答を彼女はした。
「ちょっと恥ずかしいことを言いますね」
「う、うん、分かった」
……そう、彼女が今思っていることだって恥ずかしい。それは彼も同じ……
「なんだか傲慢な言い方で恐縮ですけど、言葉先輩は、僕の演説の力に魅力を感じて、愛好会を作ったんだと思います」
「うん」
「それで、僕は言葉先輩に付いていくかどうかで悩んた。言い方は悪いかもしれませんが、それはいわば『付き合ってあげるか、どうか』の選択でした。」
「それで、僕はあえて飛び込んでみることを選択したんです」
「わ、私なんかに付き合ってくれたんだよね」
彼は穏やかに微笑んだ。
「でも、僕はその選択を決めた後でも、まだ悩みがあった」
「僕には、自分が持っている力というものが信用できなかった。これがどれほど大きな力を持っているのか、もし持っているとしても、それが一体なんの役に立つのか」
「だからこそ、僕は言葉先輩に失礼なことをしてしまいました。男に二言はないという言葉がありますが、まさにそれに反している。一度言葉先輩に付いていくと決めながら、それでもやっぱり自分がその場にいるべきではないような気がしてしまった」
「付いていく」という言葉、「付きまとわされた」ならしっくりくるが、どうしても響きが彼女にはおかしく聞こえる。
――むしろ付いていったのは自分の方。全ての主導権は元々彼にあった……
「でも今はその悩みは解決しました。寄り添って発した言葉、それこそが本当の言霊なのだと。そして、自分の才能はそういう言葉に力を込めることなのだと」
……安いあいづちを挟むことは簡単だ。だが、彼女はそうはしなかった。
彼の本当の想いを、心から一字一句受け止めようとしていた。
「でもそんなことはどうでも良いんです」
……彼女の心拍数は一気に上がった。
今までだって重要な話をしていたはずなのに、思わぬ所でそれをひっくり返してしまう。注目を引く彼の話術。
「本当に僕が言いたいことは……」
前置きのフレーズで彼女は焦らされている。次に彼の口から発される言葉が待ちきれない。
広い森の中で、ごくごく狭い空間を二人は囲って、自分達の空気を作り上げていく。
彼は一呼吸おくと、いきなり顔を上げた。
「言葉先輩!」
「は、はい!」
空転してしまって突拍子もない声を彼女は発する。自分の名前を突然言われて、彼女は心底驚いた。
「一つ、お願いがあります」
彼女は黙りながら、「続けて」のアイコンタクトを送った。
「またまた自意識過剰な言い方ですけど、言葉先輩は僕の変な能力に惹かれて僕を誘った。そして僕の能力がどうとかいうことで問題が生じた」
「それなら……いや、実際にはそんなことはなく、あるいは……」
彼は珍しく歯切れの悪い口調だった。
「こ、これは何事にも関係がなくて、それでいて僕の本心なんです!」
まだ何も本題に触れていないのに、彼は必死になって主張し始めている。
その姿を、彼女は可愛らしいと思って年上の目線から眺めている。
「ふふ、落ち着いて、明くん」
いつの間にか彼の呼び名も名前に変わっていた。
「えっと、すみません……」
演説している時は雲の上の人。でもこうして彼女が話してみると、こんな不器用な喋り方をしてくる。なんだか手が届きそうな存在に感じて、彼女は少しだけ体を彼の方に傾けていた。
「今度は私があなたに惹かれたと言っても、構わないですか!?」
二人の間に、風に吹かれた一枚の葉っぱが、何かを伝えるようにして流れていった。
この言葉の前と後とでは、世界が百八十度変わってしまった気がして。
彼女は自分の手を見つめた。これは、本当に自分のものなのだろうか。
彼女は周りの世界を見つめた。本当に、これは今まで自分が生きてきたものなのだろうか。
甘い蜜が運ばれてきたのかもしれない。彼女はそう思った。
「やっぱり、言葉先輩は誰よりも人間的で、魅力的です!これだけ美しい姿をしていながら、よく笑って、いつも自由奔放で、そして時には悲しんで、なんだかクールなように見せかけていて、実は感情がよく動いています」
とても恥ずかしい。本当に大事な人から、改めて自分の良さを指摘されている。これほど恥ずかしいことはない……
「だから、僕なんかよりももっと人を惹きつける素養を言葉先輩は持っている。僕は、言葉先輩と一緒にステージに立ちたい!だから、お願いです、どうかもう少し、僕に付き合ってください!」
「ん?」
彼女はしばらく思考停止した。
「うん、ええと、つまり、明くんが言いたいのは?」
「僕と一緒に色々なことを発信していきましょうということです。先輩なら、人目を引くだけではなくて、言葉を届けることだって、人を笑わせることだって、アイドルだってできちゃいますから」
「あ、そっか、……違うのね」
「えっと今何か言いました?」
都合の良い難聴は最早「こい」なのかもしれない。
「ううん、なんでも」
「そうですか、それで、お答えは?別に催促するつもりはないので、ゆっくり考えて……ひょっとしてやっぱり、一度言葉先輩から離れようと考えてしまった僕のことは信用できませんか……?」
彼は彼なりに緊張しているようだった。彼女は彼女なりにもっと緊張したのだが。
「え、ええ、もちろん」
半ば二つ返事で彼女は答える。
「やった!!ありがとうございます!!」
無邪気に喜ぶ彼が憎らしい。
どうしてこんな後輩に、ここまで自分の気持ちを左右されなきゃないんだろう。
そんな責任転嫁をしてみて、彼女は、
「いや、これは自分の問題か……」
と思い直す。
彼女は彼が見ていない所でふくれっ面をした。




