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美しき少女に言の葉を  作者: 大和階梯
能ある鷹は爪を隠しきれぬ
23/35

第三者

 生暖かい風を浴びながら、彼は校舎から校門へと向かっていた。

 見えないものに縛り付けられて、行動を起こせない自分が情けない。

 あれだけ強かった決意が、実際にはなんて(もろ)いのだろう。


 飛び立つ一羽のカラスの姿に、自分の心の内を重ねながら、彼は歩いた。


「舞浜くん」

 ふと、彼は後ろから声をかけられる。

 秋里先輩だった。


 秋里先輩が彼のもとに向かってくる速度は意外に速かった。

 彼女は実に素早く彼の目の前まで近づくと、体を丸めて息を切らしている。

 そんな焦っている秋里先輩を見た彼は、なんとも言えない気持ちになった。


「ごめんなさい、呼び止めちゃって」

 まだ荒い息で彼女が言う。


「いえいえ、でも、そんなに急がなくても」

「なんだか一秒でも早く、会わなくちゃいけない気がして」


「え?」

「その……」


「言葉の件なんだけど……」

 彼女はそれ以上の台詞を続けなかった。


 彼には、「件」と言われるだけで分かる。舞浜と春山先輩の関係。それが何よりの問題だ。彼の演説と、春山先輩の意思が、うまく交わることができるのか否かという問題だ。


 しばらく場は沈黙に沈む。まだ青い大空が、校門前のアスファルトの上に立つ二人を包み込んでいる。

 ボールがバットにミートする快音が鳴った。


「言葉と、言葉に、寄り添うことはできる?」

 彼女は長い考慮の後にそう言った。


 彼女はまだ分かっていない。ひょっとしたら永遠に分からないのかもしれない。春山先輩の本心、春山先輩が舞浜明をどうしたいと思っているのか。


 だから、秋里先輩にとっては、春山言葉と舞浜明が結びつくということを自分が願うというのは、出過ぎた真似のようにも思えた。実際に、本人の前でもそのように言うことなどできなかった。


 それでも秋里先輩の本心では、舞浜明こそ春山言葉に相応しい人物だと思っていた。彼の才気こそが、本当に彼女の心の奥底をつくことができるものだと思っていた。


 正しくないかもしれない、そんな恐れを振り切って、秋里先輩は自分の意見を表明した。


 ……ただ寄り添うだけでは、足りないのかもしれないから。


 彼はこう言った。半ば即答だった。今までの葛藤がまるで嘘のようだった。

「はい、そうするつもりです」


 そう言うと彼は、振り向いてその場を立ち去った。もう交わす言葉などない。これが、決定的な、最後の答えだった。

 去っていく彼の姿を、棒立ちの秋里先輩はすがるように見つめた。



「すごいよ、やっぱり」

 家の窓から夜空を見上げている秋里先輩は言う。


「才能の力って、やっぱりあるんだろうな」

 彼女自身が彼の演説を聞いていて思う。人の心に響く言葉。ただの正論とかレトリックとかそういうものに終始するのではなく、それ自体が力を持つ彼の一つ一つの言葉。


「これが言葉の運命を変えることができるとしたら……」

「無力な私に失望して彼を遣わしたのかな、この世界は」


 どんなに近くに居ても、本当に分かり合わなければ、それはむなしいだけな気がする。

 でも、彼の魂の言葉をもってすれば、本当に分かり合うことだってできるはず。

 ――自分は一体今まで何ができたというのだろうか。


「幼馴染」なんて言葉が今更ながら軽々しく思える。

 ただほんのちょっとだけ近くで、一緒に過ごしていただけの存在。そんなものに、なんの特別な意味なんてない。


 特別な意味というのは、お互いの才能によって引き寄せられたあの二人のようなこと。


 それでも、秋里先輩は問うことをやめられなかった。

「私は、一体何をすべきなんだろう」



「おはよう、言葉」

 朝の教室での数日ぶりの挨拶だった。空気の振動は、緊張の揺らぎを孕みながら震えている。

 この声が届く先の春山先輩を、なんだか遠くに感じていた。


「おはよう、美咲」

 春山先輩はなんだか澄ました顔でいる。まるで悩みなんか何もない、とでも言いたげに。


「あのね、言葉」

 窓枠にもたれかかった春山先輩に秋里先輩が言う。


「今の自分に、満足してる?」

「へっ?」


 思わぬ所を突かれたかのような顔で、春山先輩は反応する。触れてはいけない秘密のようなものが、その奥に存在するかのようだった。


「私は、変わりたいと思う」

「もっと言葉のことを理解したいと思う」

「たとえ分かりそうになくても、分かろうとする努力を続けたいと思う」


 いつになく真剣な表情で秋里先輩は口にする。

 だんだん彼女の声が高くなっていった。最後の台詞は、他のクラスメイトにも十分聞かれる声量だった。


 意外なことに、春山先輩は周りの反応や、秋里先輩の唐突な切り出し方に動揺することなく、平然と言った。

「私だって変わりたい」


「もっと美咲のことを理解したいとは、いつだって思ってるよ」

 春山先輩は完璧な笑顔で美咲に微笑みかけた。

 その笑顔は、秋里先輩にしてみれば美ではなくて、心を見えなくする覆面だった。


「違う」

 彼女は反射的に漏らす。

 そう、自分が欲しいものは共感なんかじゃない。言葉を変えられる力だ。


「舞浜くんを理解したいとは思わないの?」

 少しだけ声のトーンを落とした秋里先輩が言う。


「思うよ」

 春山先輩は即答する。本心からの言葉だった。


「でも、理解することと自分を押し付けることは違う」


 秋里先輩は、なんだか自分の春山先輩に対する態度を指摘されているかのようで、動揺した。


 ――もう私は消え去るべきかもしれない。

 そんな迷いがあった。


 それでも、本当に春山言葉を変えたいから。不器用だったとしても、もっと深くに入り込んでいきたいから。


 それなら、どう言えばいいのか、どう言えば、春山言葉を舞浜くんに向き合わせることができるのか。

 ――彼がヒーローとして登場するのを、私は待ち続けるだけでいいのか。


「確かに、押し付けることは良いことではないかもしれない」

「でも、相手に本当に分かってもらおうとしたら、それくらいに強い力がどうしても必要なの。聞く人すべての心を動かすような、強制力に近いものを持つ、そんな力が……」


「私には力がない、だから私の言葉は、単なる力のない押し付けに聞こえるかもしれない。それなら、一度聞いて無視してくれたって構わない」


「舞浜くんは、確かにあなたを待っている。あなたに失望して無視なんてしていない。舞浜くんは、あなたの力を必要としている……!」

「あなたの美しさを、あなたの優秀さを、そしてあなたの本当の人間性を!」


 秋里先輩にとっては、春山先輩の「力」や「才能」に触れることはタブーに等しかった。その美貌も、その優秀さも、すべては春山先輩のコンプレックスに過ぎなかった。


 でも、それが凄まじい力を持っているということ、それを伝える勇気が、今初めて湧いた。言い終えて、こんな当たり前のことさえ言えなかった今までの自分を恥じた。


 ……


 教室の喧騒の中でも、この二人の間だけは静寂に沈んでいた。

 束ねられたカーテンに差す陽が幾何学的な模様を型どって、教室に摩訶不思議な彩りを加えていた。


 これが青春というのならそうかもしれないし、言われないのならそうでないのかもしれない。


 春山先輩はようやく口を開いた。

「美咲はさ、すごいよね」

「え?」


「すごくありがたい、いつもいつも」

 秋里先輩は自分が何を言われているのかよく分からなかった。


 秋里先輩が予想していた反応は、春山先輩の決意、もしくは自分への失望の二択しかなかった。

 この場で自分に対する感謝が出てくることなど、到底考えられなかった。


「だって、いつも私のそばにいてくれるんだもん」

 ……いいえ、違う。私はただあなたに付きまとっているだけで、何もできやしない……?


 固い表情を続ける秋里先輩を、春山先輩は不思議そうに覗き込む。

「どうしてそんな顔をするの?」

 という風に。


 秋里先輩には春山先輩が考えていることが分からなかった。一瞬、「そばにいてくれる」は皮肉なんだとさえ思った。


 それでも、春山先輩の仕草からはそういう態度は読み取れない。そこにあるのは純粋な称賛と感謝にしか見えなかった。


「……どういうこと……?」

 秋里先輩は何か恐ろしいものを見たかのような顔で言った。


「そんな怖い顔しないでよ、美咲、いつものクールな表情が台無しだぞ~」 

 ――私に微笑みかけてくるその笑顔は……いや、外向けの上面だけの笑顔なんかじゃない。これは正真正銘彼女の心の中からの笑顔だ。でもどうして?


 その時始業のチャイムが鳴った。

「あ、鳴っちゃったか~、それじゃあまた後で続きをね」

「う、うん」


 秋里先輩には、何が続くのかさえ分からなかった。

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