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美しき少女に言の葉を  作者: 大和階梯
能ある鷹は爪を隠しきれぬ
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すれ違い

  恥というものは人に見られてこそ恥というものだが、恥という感情が高度に発展していくと、人はその観衆を自分の心の中に内部化する事によって、たった一人いるときにでも恥を覚えるようになる。


 自分自身で自分に無言の圧力をかけているのだ。


 そうすると世界レベルで見れば取るに足らない行為が、その人にとっての恥となることもありえるわけだ。


「春山先輩、伝えたいことがあるんです!放課後、例の場所まで来て下さい!」

「例の場所」で本当に分かってくれるのか。


「拝啓 春山先輩 いつもお世話になっております。お伝えしたいことがありますので、放課後に森までお越しください」

 ……なんだか文面で送るのは違う気がする。


 頭の中でシミュレーションを繰り広げて一人悶々としている男がいた。

 彼の名は舞浜明。人読んで言葉の魔術師やらなんとなら。


 しかしその魔術というのも、本人に全く負荷のないものかといえばそうではなく、それどころかたった一人に事務的なことを伝えるだけでも恥という重荷を背負っているのでいった。


 手近にあったクッションを強く抱きしめる。

 しかしすぐに我に返ってその行動は謹んだ。


「恋する乙女じゃあるまいし」


 だんだんとこのクッションに春山先輩の姿が投影されていったのだが、その妄想の事実は彼の意識下で即刻棄却された……と彼は思っていた。


「こう、春山先輩を包み込むような言葉を……」

 実際の所は無意識レベルでその考え方が残っている。またも恥の自覚が待たれるところだ。


「やっぱり、考えすぎるのも良くないのかな……」

 そう思って、わずかにリラックスして彼はスマホの画面を開く。そこに映っているのは春山先輩とのトーク画面。


 しばらくは春山先輩との連絡も途絶えていた。


 彼にとっては、もう春山先輩との関係は化石のようなものだった。発掘したところで、それが動き出すことはもうない。


 それでも、化石が一種の象徴として働くのだったら、彼は一つけじめを付けることにも意義があるのではないかと思った。


 自分が伝えたい言葉の精算。春山先輩に、彼女自身の本当の姿に気付いてもらうこと。

 それが、彼は自分の使命だと感じていた。


 だがいかに厚い使命も目の前の恥には勝てないというもの。


「な、なんでまたもう春山先輩とカップルだとかなんだとか噂をしたりされなかったりするんだよぉ~」

 ぶれる言葉に動揺の色が見え隠れしている。


 春山先輩と直接話しかけるということは、自分と春山先輩と周りの目の三つの敵と戦わなければならない。


 スマホの画面をじっと眺めている彼の中では、不思議なことに、実際に会ってさらに会合の約束をするというのが、もはや当然になっていた。

 目の前の道具を使って呼び出せば良いものを。


 彼はもしかすると、潜在意識下で周りに見られることを望んでいるのかもしれない。

 ……いやまさかそんなことは。


 彼は多くの人を動かすエンターテイナーでもある。



 明くる日の昼休みのことだった。彼は身の振り方に困っていた。

 いや、何をすべきかは分かっている。問題は、どうそれをすれば自分の心の壁を乗り越えられるかだ。


 窓から眺める雲がなんだかせわしく動いているように見える。認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従っている。

 心の中だけで密度が高く、しかし体の中では密度の低い時間を彼は過ごしていた。


「さて、今日も春山先輩は一年生の教室に来るのかな~」


「ん?」

 イマナントオッシャイマシタカ。彼の心の中で機械的な音声が鳴り響く。


「あれれ?でもなんで春山先輩はこうも毎日俺らの教室なんて覗きに来るんだ?」


 真相を追求するべき彼は機械音に溢れたまま固まっている。

 アア、ソラガウツクシイ。


「あれれ~、おかしいな~、何か目的があるのかな~?」


 本当に分かっていないのか、それともわざとやっているのだろうか。クラスメイトの一人が仰々しくそんなことを言う。


「はっ!?そういえば春山先輩と仲が良い一年生といえば!?」


 演劇でもやっているのかというような台詞回し、さらには通りの良い声。一体どこから先が仕組まれていて、どこまでが偶然かも分からない。


 クラス中の視線が舞浜の元に集まる。こちらの方は作為などでなく、本当に舞浜と春山先輩の知名度が高いことによるものだろう。


 舞浜はいまだ窓の外を向いて気を紛らわしている。

 ヨノナカグウゼンッテオオイネ。


 そう、ここ数日彼は、自分の張り詰めた感情を落ち着かせるために、昼休みになるたびに長い散歩に出ていた。


 その間に春山先輩は彼の教室を訪れている。ということは……


 モシカシテ……


 彼はクラスメイトが集まっている廊下側の方をいきなり振り向いた。


「すれ違い!?」


「うんうん」と頷くクラスメイト、「キャー」と特に語義をもたない黄色い声を上げる女子生徒、「青春ですな~」とアナリストばりの達観で彼の焦った顔を見つめる男女グループ。


 春山先輩は彼を想って彼の教室を訪れ、彼は春山先輩を想って森の中で思い悩んでいた。これぞまさしく想いの交錯、人呼んで「すれ違い」。


 なんだか今までの努力が全て徒労に終わってしまったかのように彼は感じる。


 彼は頭を抱えた後に、そのまま沈んで机に伏せた。

「どうして、どうして」

 意外にもコミカルに振る舞う彼をクラスメイト達は面白おかしく見ていた。


 クラスメイト達は確かに春山先輩が教室に訪れるのを目撃していた。春山先輩がおそらく彼への用事で来ていることも把握していた。

 それなのにどうしてその情報が彼に行かないのか?


 答えは簡単だった。


 熱しやすく冷めやすい。昼休みが終わるとその激アツの話題は、霧が晴れるがごとく消え去ってしまうのだった。


 ならば、と思い、彼はこの教室で彼女のことを待ち続けることにした。

 ――二度あることは三度ある。きっと今日も春山先輩は僕のもとに……


 困惑しているのだろうか。自分から出向いていけばたとえ一度くらいすれ違っていたとしてもすぐ見つかるだろうに。


 いや、というよりかは、彼は自分から出向くのを回避したかったのだろう。他学年の目線は一層怖いから。

 だが彼は見落としている。当然彼女だってそう思っているということ。



「待ちぼうけ」というのはまさしくこのことを言うのだろう。とてつもなく長く引き伸ばされた体感時間が彼にのしかかっている。


「えっと、自分から行ってみたら?」

 というクラスメイトの真っ当な助言にも彼は応じない。彼も待つことに対して意地になり始めている。


 永遠繰り返されるシミュレーション。それが集積していく度、彼の頭の中は春山先輩でいっぱいになっていく。

 時間の力の恐ろしいこと。




「やっぱり最近はいないのね……」

 昼休み、春山先輩は呟いた。


 二日連続で自分が勇気を出したにも関わらず、彼の姿を見つけることができなかった。


 彼女の中でも、なぜかスマホという文明の利器を用いて連絡を取るという選択肢が消失していた。


「はぁ……どうすればいいのかな……」

「もしかして私に会いたくないのかも」


 運命のいたずらに秘められた意図を読み取ろうとしている乙女だった。それはただの偶然に過ぎないのに。

 髪を指に巻きつけながら、彼女は空を眺める。


 雲は、全く動いていないかのように見えた。

 本当は少しだけ、前に進み続けているのだが。


 いつの間にか彼らの中では「昼休みに会う」ことが約束のようになっていた。

 別にそんなことをする必要なんてないのに。


 噛み合わない歯車に、反抗しようとする二人だった。

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