新たな決意と謎の少女
学研都市は近未来的な建築に溢れていた。
あのアーチ状の建物はなんだろう、何かのドームかと思えばそれが図書館だったり、多くの歩道が石畳で幾何学模様を描いていて、しかもやたらと広かったり、あの高層ビルは何かと思えば市役所だったりした。
長い期間を経て醸成された大都市とは違う、人工的な造形美がそこにはあった。
何もかも新しい環境であった。
新居から入学前の説明会に向かう。道行く人はほとんどがブレザーに身を包んだ学生であった。
彼は、この新都市の目新しい光景を眺めながら、見慣れない通学路を歩いていると、向こう側になんだか巨大な施設を見た。一目見ただけでは、これが自分のこれから通う高校だとは気づかなかった。
高校というより、大学というイメージに近い。だいだい高校というものは、敷地内のスペースはグラウンドなり体育館なり食堂なりでほぼ埋め尽くされるはずだ。
しかしこの高校は敷地内には森というべき広大な敷地を持っていた。郊外にあることの特権であろう。東屋に囲まれて、公園のようなテイストになっている場所もある。
ともかく一瞥した程度では敷地の全容が把握できない程度には、色々な場所があった。
だいたいこれでは指定された集合場所がどこにあるのかさえ分かりそうもないが、なんとか周りの様子を見て集合場所の講堂までたどり着いた。
そこでは、既に知ったような高校の理念のような話と、書類の説明が行われ、何事もなく事が運ぶものと思われた。
早々に場は解散となって、大勢の人が講堂から無秩序に出ていく。まだクラスのような枠組みも何も一切ないから当然のことだろう。彼は人の流れが落ち着くまで講堂で待っていることにした。
すると、
「君は、舞浜明くんだよね」
と後ろから話かけられた。
この学校に知り合いの新入生がいた覚えはないのだが、こういう巡り合わせもあるのだろう。そう軽く考えながら、彼は後ろを振り向いた。
すると彼の視界に入ったのはスーツ姿の男性だった。おそらくはこの学校の先生なのだろう。
「はい、そうですが……」
中学の校長の時といい、いきなり先生から見に覚えのない用件で話しかけられるような身分に、いつから自分がなったのだろうと感じた。
「話は聞いてるよ」
僕は何も聞いてない。
「突然で申し訳ないんだけど、ぜひ入学式で挨拶をやってくれないかい?」
校長の時といい、本当に突然なんだ。もうこれは何かの運命のような気がした。
「はい、構いませんよ」
「えっ、意外とあっさりオーケーするだね」
「そういう人間ですから」
いつから「そういう人間」になったのだろうか。
「うん、そりゃ、こういう場には慣れているだろうけどね」
別に慣れてなんかいない。第一、入学したての高校でいきなり入学式の挨拶を頼まれるとは何事だ。首席でもあるまいし。
彼は自分の噂が、水面下で大きく動いていることをあまり認識していなかった。彼の周りの人間は、あまり彼の驚異的な演説の才能について、彼の目の前で言及することはさほどなかったからだ。
実のところ、彼は入学試験の面接でもその話をされていたのだが、単なる優等生ヅラが取りざたされているだけだと思ってさほど気にかけていなかった。確かに、この力に対する自分の内側での動揺というものは存在していたのだが、それに対する周りの反応については、いささか疎かったのである。
多少普通の人より称賛されていることくらいは分かった。でも一番の彼にとっての驚きは、自分がこんな意外な能力を備えていることに対する個人的な驚きであって、人に対する影響力の大きさではなかったのである。
「分かった、それじゃあ詳しく説明するから、ちょっと付いて来てもらえる?といっても、すぐ終わる話なんだけど」
「はい、分かりました」
彼はスピーチに関する説明を軽く受けた。中学の時とは違い、原稿の提出は要求しないから自由に喋っていいとのことだった。
「ここまで自由にやらせて、学校批判でも始まったらどうするつもりなんですか?」
「はは、面白い質問だね」
「それなら我が校の教育方針に大いに適った振る舞いだ、歓迎するよ」
彼は率直に、変な学校だなと思った。
だいだい世の学校に、この高校と同様「自由」を謳う学校は数多あれど、大半は、「自律」こそ自由だというカント的論調なり、「自由」には責任が伴うといった保険だったりをもって、学校に不都合なものは「不自由」として排除するものだ。
そこでスピーチの依頼を受けてから、講堂の壇上に立つまで、それほど長い時間が経ったとは思えない。気づいたら当然のように、自分は壇上に立っていた。
演題のマイクを確認し、一応メモ程度に記した原稿らしきものがポケットに入っていることを確認した。
場は厳粛なムードだったが、それがさらに深い沈黙へと沈むまで、彼は一言も発さずじっと待った。
「入学生の諸君」
パイプ椅子に座っていた学生達が、その言葉を聞いて皆一様に背を正した。
「あなたがたは常に受け手であってはならない」
「もっと具体的に言おう」
「学ぼうとしてはならない」
場にいる全員がきょとんとした顔をしている。早くも演説は入学生による所信表明的な暗黙の文脈から外れつつある。
「聖書の有名な言葉で、『求めよ、さらば与えられん』と言った」
ここで彼は一呼吸おいた。
「不足である」
体の向きを変え、腕は振り払うようにして力強く断言した。
「本当の学びとは、人に与えることである」
「人に発信するためには何が必要か」
問いかけるように聴衆を見回す。
「それは、自分の力で自分を表現することに他ならない」
「それでは、なぜ君たちは学ぶのだろうか?暗記マシーンになるためか?データベースを作るためか?」
「違う」という声が全員の心の中に響く。気がつけば聴衆の意識が、彼の発言一つ一つに呼応している。
「違う」
聴衆の心の声と同じ波長で、彼は言った。
「真の学びの成果とは、何かを実践し、何かを表現し、何かを達成する、そんな力をつけることではないのか?」
「であるからして、君たちは単なる受け手であってよいのか?」
「受け手で下積みを重ね続ければ、いつかはきっと与える側になれるとでも思っているのか?」
「君たちは、もう受け手に甘んじる期間はとっくに終えているはずだ」
「君たちは存分に形式的なことを学んだ」
「君たちは、常に消極的な立場でいなければならないほど、愚かしい人間なのか?」
ここにいる観衆は当然皆優秀なのである。愚かしいと聞いて、彼らのプライドは刺激された。
「それではそろそろ模範生なお話もしておこうか」
彼はあまりに堂々としていた。この場にいる制服に身を包んだ人間のうちで、ほぼ唯一の存在と言っても良いだろう。
「本校の校訓の一つにある、『自由』だが」
「これはなんのためにあるのだ?」
「当然にして束縛などを望んでする教育など論外なわけだが」
「しかしこの自由は我々の快適さのためだけのものであろうか?」
「自由の快適さを否定するほど私は愚かな人間ではない」
「しかし」
「もう一つ大事なことがある」
「この自由は、君たちが単なる『学習者』でなければならないという束縛からの自由である」
「学ぼうという志は大いに結構、だが、『学び』は受動的人間が多用する言葉だ」
「発信せよ」
彼自身の心も、この一言で激しく揺さぶられた。彼の力の行き場、行き先が、この言葉によってはっきりと定まったようだった。
彼は自分自身の言葉によって、最後の決心を固めた。
人を動かす人間になろう。と。
……
「以上、長々と述べ立てたが、君たちが心に留めておくことはたった一つで良い」
「与えよ、さらば与えられん」
彼は一礼して壇から降りていった。
高まりきった会場のボルテージは、一気に拍手に転化された。これぞまさしく満場総立ち、スタンディングオベーションだった。
演説最中、ただ一度を除きほとんど動かなかった彼の心は、この拍手を聞くに至って大きな波紋を広げた。
長い長い時間だった。もうこの後の式次第はすべて余興と化したように思われた。
しかし式次第には「在校生代表」という、不思議な文字列が残されている。
新興のはずのこの学校、一体誰が出てきて、何が始まるのか全くの未知であった。
場の興奮も冷めやらぬうち、前の方に設けられた特別席から、一人の少女が今、壇上に上がろうとしている。
この少女の存在は、場の雰囲気に呑み込まれた多くの観衆にとって、取るに足らないものであった。
ただ一人の男を除いては。