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美しき少女に言の葉を  作者: 大和階梯
能ある鷹は爪を隠しきれぬ
19/35

ジョハリの窓

 彼はその日の放課後に秋里先輩を呼び出した。

 全ての原点である、愛好会の部屋に。


「お待たせ、舞浜くん」

「どうもこんにちは、秋里先輩」


「それで、今日はどうしたの?」

「実は……」


 彼の言葉を聞いて、彼女は心底驚いた。

 だが、その熱意を(ないがし)ろにすることはなかった。


 理解できなくて、それでももがこうとする一人の人間を、放っておくことなどできなかった。

 いや、もしかすると、彼には見えているのかもしれない。春山先輩の本当の姿が。


 一年生の廊下に、ひっそりと一枚のポスターが貼られていた。一階には教室以外で生徒が使う施設が少ないので、上級生が訪れることは余りない。春山先輩も同様だった。


 金曜日の昼休みに第二回演説会。彼の意思の現れだった。

 当然にして、一年生の生徒達は彼に注目せずにはいられなかった。


「またあの舞浜くんが演説会やるんだってな」

「流石だよなぁ、あれだけ人を動かせるんだから」


「今回は何の話をするんだろう……」

「勉強なんかより明の話の方がためになるよ」


 周囲のボルテージは高まっていた。梅雨前の暑い空気に乗せて、熱い想いが、今運ばれようとしている。


 彼は自分の心の中で何かが変わったのを感じた。

 演説の日の休み時間、彼は空を見上げて気を紛らわそうとしている。


 いつもの彼なら、気を紛らわすでもなく、圧倒的なメンタルでもって気付けば壇上に立っているはずだった。


 しかし今日の彼は違った。


 時計の針を頭で思い浮かべる度に、時間の流れの遅さを自分の身で感じる。

 今日は何かが違っていた。ただ聴衆が大きく動くだけではない。自分の中で、何かが動き始めていた。


 彼の言葉は演説が始まるまで決して力を持つことはない。彼は演説の前にあれこれと言葉を練ったりはしない。だから、演説で生まれる言葉はすべて即興であり、そんな即興劇を控えた彼には、いつもある一つの特殊な興味があった。


「一体自分の口から、どんな言葉が飛び出すのだろう」


 授業中も時計の針を見続けては、いつまで経っても回り切らない秒針を目で追い続けている。彼の中の未知が、動き出そうとしていた。そのことが、彼の緊張を高めた。


 やっとのことで授業が終わって昼休みになると、真っ先に講堂まで彼は一人で向かう。開始時間の都合上か、あるいは気を遣われているのだろうか、彼は講堂に行くまでの途中で話しかけられることはなかった。


 彼が廊下を通れば、すれ違った生徒は皆彼の噂をしているが。


 まだ空っぽの講堂の中、彼は一人でステージの上に立つ。


 彼は講堂に集まる数百人の人をイメージした。その中で自分はどんな立ち位置なのだろうか。主役には違いない。では、どんな主題の下で主役となるのだろうか?


 そうやって彼が目を閉じていると、講堂の扉が開く音がした。


 秋里先輩だった。


「今日は早いのね」

「そうですね」


「大丈夫、彼女はちゃんと来てくれるみたいよ」

「感謝します、秋里先輩」


「……いいえ、あなたにしかできないことだもの」

「それじゃあ、準備ができたら言ってね、人を入れるから」


「まだまだ予定の時間は大分先ですが?」

「お客さんも熱が入っているみたいよ、あなたと同じように」


 彼は自分の心情を言い当てられて恥ずかしい心地がした。


 ステージの上で、ぐっと深呼吸をする。

 彼は舞台裏に一度隠れて、生徒を入れるように秋里先輩にお願いした。



 予定の時間になる頃には、会場は随分と騒ついていた。

 生徒は体感三百人近く入っている。多少の上級生が混じっているのかもしれないが、この学校の一年生はほぼ動員していることになる。


 そんな中で、彼は壇上に出ていった。


 彼が姿を現した直後に大きな歓声が上がった。凄まじいまでのカリスマ性だ。

 彼は自分の内心の動揺を取り繕うように、しっかりとした足取りで歩いている。


 彼もこれほどの歓声を演説開始前に浴びたことはないし、それ以上に、彼が今日話す事は、彼にとっても一番重要なことなのだ。


 その日は、歓声が静まるまでの時間が相当に長かった。しかし彼はじっと待った。

 観客を(にら)むように会場全体を見回し、一言も発さずにただ待った。

 それは観衆の注目を集める時間であり、また自分の心を落ち着かせる時間でもあった。


 場の緊張が最大まで高まった時、彼は口を開いた。


「『ジョハリの窓』という考え方がある」


「人は、自分と他人との関わりの中で、四種類のタイプの性格を合わせ持っているという考え方だ」


「自分も他人も知っている自分、自分は知っているが他人は知らない自分、自分は知らないが他人は知っている自分、そして自分も他人も知らない自分だ」


「この前の演説でも話した。『自分の力を最大限生かせ』と」

「だが、もし自分では気付くことのできない自分の存在があったとしたらどうだろう?」


「我々は、その存在に気付かないことに甘んじなければならないのだろうか?」


「否」と観客の心の声が呼応する。


「もしも互いに、自分では見えない自分を指摘し合えるような関係があれば、それはどんなに素晴らしいだろうか?」


「しかし」


「これには問題もある」


「未知とは人間にとっての恐怖だ」

「では、未知なる自己を突きつけられた人間は、果たしてどう思うだろう?」


「そう、それを指摘することには不信感のようなものが伴う」

「普通の友人関係を壊しかねないんじゃないかという恐れを持ってしまう」


「だが本当に友人関係は壊れてしまって良いのか?これほど有益なチャンスを、逃がしてしまってよいのか?」


 聴衆はごくりと息を呑む。彼の主張の核心部分を前にして、緊張感と集中力を高めている。


「そんなわけがない」


「ではどうすれば良いか?」


「無条件で相手の側にいるしかない、決して離れないような双腕となるしかないのだ」


「双腕」は印象的なキーワードだった。

 高々数バイトの塊として流れていく文字列の中で、この言葉だけが異彩を放っている。


「親しいから側にいるのではない、側にいたいと思って、それを実行に移すからこそ親しくなるのだ」


「いわば親密さとは初めの一歩の勇気であり、決意の産物なのである」


 抽象的な話が、最終的には簡単なスローガンの様な形にまとまる。こうして彼の壮大な言葉やメッセージは、人々の心の中に収まるサイズにまで圧縮されていく。


 そして何より重要なのは、

 これが彼自身を映し出した言葉であること。彼自身が、本当に心の底から目指すべきだと思った姿であること。


「人は時に、歩み寄る度に離れてゆき、近づくごとに遠ざかってしまうことがある」

「それでも糸の一端から手を離すとこなく、相手を忘れ去らなかった者こそが、本当の双腕になることができるのだ」


「下手であっても良い、不器用であっても良い、ただ真摯に相手に向き合うこと、これが人と人との関係の全てではないだろうか?」


 彼は自分に言い聞かせるように、このことを「一人の言葉」として言った。

 しかしその「一人の言葉」は皆を動かす力にまで変容したのだった。


 オーディエンスは大きな歓声を上げた。彼が今まで受けた称賛の中で、一番大きなものだった。


「自分の力を最大限に発揮しよう」などと当たり前のような言葉を言ってしまった自分を嫌悪した過去の彼。


 しかしそんな彼も、過去の自分の本当の心に今更気付きつつあった。


 それは彼女に向けての言葉だった。


 もしかしたら彼女を傷つけてしまうのかもしれない、そう思いながら、それでもぶつけずにはいられなかった言葉だった。


 本当に大切にしたいものに相対した時だけは、逃げずに向き合い続けることが大事になる。


 そして、彼の言葉はそんな彼の意思を反映した言葉だった。


 宛先は春山言葉、まさにその人である。

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