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美しき少女に言の葉を  作者: 大和階梯
能ある鷹は爪を隠しきれぬ
18/35

申し開きて

 風を受けながらただ一人世界の前に立つと、世界の神秘というものに当てられることがある。


 遠くに見える山々、十人十色の雲模様、不思議な暖かさを持つ空の青、絶えることのない人の流れ、どこからともなく聞こえてくる鳥の鳴き声。

 

 それらに存在理由をあてがうことはほぼ不可能だろう。存在している理由を(さかのぼ)れば遡るほど、それは根拠もなく存在している究極的な何かに近づいていく。


 その究極的な何かに向き合うことを恐れた人間が、「神」などということを言い出したのだろう。

 

 神秘に触れるのは、余りに恐ろしい。だから考える葦は概念だけでそれに触れようとしたのだ。

 

 彼が彼女に対して抱く恐れや躊躇(ちゅうちょ)というものも、まさにこれに近いものがあるのかもしれない。

 

 彼女に触れるというのは、余りに直接的である。ゆえに恐ろしい。

 恐ろしいから形而上の道徳とか美徳の話を持ち出して、彼女を遠ざけたりする。


 だが同時に人は「怖いもの見たさ」を持っている。

 これに駆られた人間こそが、自分の見たこともない恐ろしいものへ向かって、率直な探究を始めるのであろう。

 

 彼は、畏怖と「怖いもの見たさ」の境界にいるのかもしれない。

 

 彼が大地に新たな一歩を踏み出した感触は、その日が明けても依然彼の頭の中に残っている。

 それは確かな決意だった。自分が彼女を理解しようとし、彼女と関わろうとすることを正当化するものだった。

 

 ……あの燃えた灰が決別の象徴になるのが、たまらなく嫌だったから。

 

 だが圧倒的な神秘に当てられて抱く大いなる感情以前に、彼は人間の弱いメンタルを持っている。

 こんな壮大な神秘に接してなお、ごく単純な恥が、彼の歩みを阻もうとするのだ。

 

 踏み出す多いなる勇気を挫くものは、目には見えないけれど確かにこの世の中に

 存在している。

 

「明ぁ~」

「おう、どうした」

「テニサーデビューしたかったけど、周りがキラキラしすぎてて恐ろしくて逃げてしまったよ~」


 ……自分のテニサーとやらの認識が正しければだが、学力に関係無く人は群れると時に奇妙な行動を取るものなのだな、と彼は思う。彼が演説で見てきた観衆もまた同じだった。


「良いじゃないか、自分の身の丈にあった場所に行けば」

「息苦しいだけだぞ、仮に入ってみた所で」

「そっか~」

 

「自分の身の丈にあった場所に行けば良い」


 ――確かに自分は今こう言った。

 ――いや、決して間違ったアドバイスではないはずだ、他人の動向とかを必要以上に気にすることを戒めた、本当の幸福を追求させる素晴らしい助言だ。


 ――しかし、なんでだろう、どうしてこの言葉は、僕の胸に引っかかってしまうのだろう……

 

 世の中では絶対的な善だとか絶対的な悪というものは結局の所、仮想の形でしか出現しえない。


 ある時善だったものが突然悪へと変質する。あるいはある時悪だったものが突然善へと成り代わる。


 結局善悪なんてものは思考のリソースが限られている人間がする、便宜上の手段にすぎない。その断定に実用的価値はあるかもしれないが、結局の所善悪の判定とは単なる手段に留まるのである。


 だがやはり言葉の多くはそうした二項対立的判定を前提としている。であるから、言葉を発した人間は、時にこうした一方的な振り分けに自ら苦しむ。


 彼もそうだった。


「自分の身の丈にあった場所」?


 ――自分が目指したいのは、身の丈に合わないどころの場所ではない、世界の神秘そのものなのだ。


 自分の言葉や思考に自分が縛り付けられてしまう。一度発した言葉は、形の上で取り消すことはできたとしても、発話者の心に必ず残り続ける。

 

 つまり、彼は知能の限られた人間の常識――世の理ともいう――によって、非常識を戒められているのだった。

 

 黒紫色に染まる空の下だった。


 二人組の女子高生の片方が、もう片方の腕を引っ張っている。

 これは、「強欲」なのだろうか。それとも「ためらい」なのだろうか。


 こんな風に考えている彼は、言葉と思考が一体化していることに気が付いた。

 人間の思考とは、結局の所、量産された言の葉を根本でつなぐ木のようなもの。


 今彼の目の前で、暗闇の中で左右に揺れている木と同じである。木とは思考だ。だが、その色合いはほとんどが言の葉で決まる。

 

 電灯で照らされた言の葉がいやに冴えていた。

 ――ひょっとすれば、自分もこんな風に木々に彩りを加えることが……

 

 頭の中でとやかく彼が考えてしまうのは尤もなことだった。

 彼は、自分では否定しようとしている節もあれど、結局は言葉の魔術師なのだから。

 

 思考は巡り巡って、結局のところ彼女の問題へと帰ってくる。その呪縛からは、言葉を使って思考する存在である限りは逃れられない。

 

 彼は家のドアを開けた。またもや同じ思考を繰り返していた。

 

 

 

 彼の友達が、教室で彼に話しかけた。

「なあ明」

「ん」


「恥ずかしい話なんだが……」

「ああ」


「俺、同じ部活で好きな先輩がいてさ」

「うん」


「その人に告白したいんだ」

「そうか」


「その……明なら、なんて切り出す?どういう方法で、なんて言う?」

「うーん」

 

 その時、彼の中では友達の好きな先輩と、自分の中での春山先輩が重なっていた。

 そして考えた。どうしたら春山先輩に触れられる?どうすれば春山先輩に自信を持ってもらえる?と。

 

「やっぱり……」

「自分の得意な方法でやるのが一番だろう」

「直接話すのが得意だと思うなら呼び出せば良いし、それでなければ……」


 彼は最初に思い浮かべてしまった。(……演説とか)


「ラブレターとかね。別にメールとかでもいいさ、告白は面と向かってしないとなんて言う人もいるけど、文章は意思疎通に誤解が生じにくい手段なんだからむしろこういう決定的場面には向いてるよ」


「なるほどな……綺麗事とか一般論じゃなくて、本音を言ってくれるから助かるよ、明は」


「綺麗事」、「一般論」……?


 それは彼が一番嫌っていたものであり、自分の演説の特徴だと思っていたもの。


 その短所が、真っ向から否定された……?

 

 彼女のことになれば彼は真剣そのものだった。

 

「内容は話したいことを話せば良いんだよ、その場で思いついたことを。なんなら告白しなくたっていいさ」


「告白しなきゃ意味ないだろ、流石に」

 冷やかすように彼の友人は笑った。

 

「その場で思いついたこと」を話す。それは今までの彼の演説の特徴だった。

 そして、話しかける方法。

 

 演説。

 

 手段が解決した途端、彼の心は一気に晴れる気がした。

 そう、彼女に伝えるべきは、自分の演説だった。


 綺麗事?そんなことを言ってしまうこともあったのかもしれない。

 だが。


 少なくともあの時、演説で彼が口にしたこと、「自分の力を最大限に生かす」という内容。


 それは決して綺麗事ではなかった。もしかすると反論の余地もある詭弁のようなものだったかもしれないが。

 

 なぜなら、それは彼女を思い浮かべて発した言葉だったから。

 その時は自覚していなかったが、確かにそんな想いがこもっていたから。

 

 それならば、

 ――どうして彼女に自分の魂の言葉を届けないということがあろうか、いやない。

 

 彼の友人は、

「ありがとう、頑張ってみるよ」

 と言った。

 

 彼は心の中で、

「君もありがとう、君のおかげで気付けたよ」

 と言った。

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