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美しき少女に言の葉を  作者: 大和階梯
正体見たり
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すべての答え

 実のところ、彼女は彼の演説に傷つくどころか感銘を受けていた。自分の力を十分に発揮する、そんな人間の姿に強い憧れを抱いた。そうして、自分の力とはなんだろうと振り返ってみた。


 成績優秀というのは勿論彼女の才能である。それを生かして何ができるのだろうか。


「良い子」なのは勿論彼女の才能である。それを生かして何ができるのだろうか。


 彼のように特別な種類の才能ではないけれども、程度が甚だしいのは事実だった。だから彼女は、自分のそうした性質を充分に生かそう、そう決意を固めたのだった。


 そんな力強い彼が、演説をやめたいなどと言っている。彼女にはそれが許せなかった。


 現在進行形で自分の人生を変えようとしているその才能を、どうして空費できるのか彼女には分からなかった。


 ――こう言うと彼の演説の主張には反してしまうのかもしれないけど、彼の力は、私が喉から手が出るほど欲しいものなのに。


 自分の思い通りに進まない物事を、彼女は恨んだ。






 彼にとっては苦渋の決断だった。彼女が自分の演説で傷ついているのだ、という風に「分かろう」とすれば、彼は演説から遠ざからなかければならない。ひいては彼女からも遠ざかるのだろう。


「分かろうとしない」を選択すれば、彼は演説を続けることになり、彼女により近づくことになる。でもそれはうわべだけの付き合いになる恐れを(はら)んでいる。


 彼は前者を選択した。ところが、彼女は彼の演説に傷ついてなどいない、むしろ活力をもらっていたのだ。

 だから、短期的に見れば正解は後者であった。


 短期的に見れば。


 もしも彼女の美が一種の罪なのだとすれば、彼の無自覚もまた、一種の罪なのだろう。






「もう知らない!!」


 彼女は衝動的に帰ってしまった。


 彼女は彼の言動にも悲しんだ。しかし同時に、自分の無力さを嘆いた。


 ――なんだ、普段は優等生のフリがうまいくせして、肝心の出会いを前にしたら、ただのわがままな女じゃないか、私は。


 彼女もまた、彼をうまくコントロールできると思い上がっていた。

 ついさっき部屋を出てからいつの間にか自分が歩いていた通学路の上で、彼女はそのことを自覚した。


 その美しい頬に伝ったのは一滴の涙だった。


 端から見れば、別れの抒情詩の一節のような美しい光景だった。彼女には、他のどの女性よりも泣き顔が似合った。けれども、彼女の内心は、そんなものよりはるかに険悪な自己嫌悪に苛まれていた。


 美しさは今でも彼女の内心を誤魔化し続けている。


 


 四月末、世間は連休に差し掛かっていた。


 学校も当然授業は休みだったが、彼女は学校に来ていた。

 孤独に春のそよ風を浴びながら、校舎の二階へと向かう。


 そこには、「言霊愛好会 お悩み相談」と書かれた投書箱が置いてあった。

 彼女は、言霊愛好会の活動をより手広くするため、裏でこんなことを計画していたのである。


 そうして、演説以外の方法でも彼の言葉が届くようにしようとしていた。

 箱の中には早くも数件の投書があった。


「これどうしようかな」


 彼女はぼそっとつぶやいて、地学準備室までそれを運んだ。


 机が無造作におかれた地学準備室の空間。教室の大きな窓からは、休日返上で元気そうに活動している運動部の姿が見える。


 無意味になってしまいそうなこの箱は、彼女にとっては開けることすら億劫(おっくう)である。演説をやめてしまった彼が、これに答えてくれるのだろうか、いやそもそも、彼はもう一度彼女と話してくれるのだろうか。


 彼女は窓を開けた。

 グラウンドの向こうには森が見える。木々が風に揺らめく様が鮮やかだ。


「なんて解像度の高さだろう」と彼女は思う。これは裸眼なのに。


 こういう様は、見飽きることがなかなかないと彼女は思っている。風がどこから吹くかは予想がつかない。いつまでも眺めていられる……


 思えば彼女は、こうして一人穏やかに過ごすことに時間を費やしてきた人間だった。周りの人間には悪いが、彼女は人前以外で猛烈に勉強をしていたりするようなことはない。ただ一人で、何も考えずに過ごす。そこにはなんの向上心もなく、したがってなんの期待もなんの失望もなんの嫉妬も無い。


 変な欲が出てしまったのだ。「誰かの役に立ちたい」なんて、普段の彼女が思っていることではない。

 物を欲することに慣れていなかったのだ。一度手に入りそうになったものに、過剰な期待を寄せて、それは結局裏切られて、肥大化した欲望だけが残ったのだ。


 ――どうせ私に見向きもしない他人なんて考える必要はない、私は、私の平穏だけを考えている人間だったはずでしょう。


 そうして彼女は椅子に腰掛けて、やがて心穏やかに目を閉じた。

 たった一人の孤高の美女が、(ほど)いた長い髪を風にたなびかせていた。


 その部屋には誰一人踏み入ることができなかった。


 しばらくして彼女は目を覚ました。細く開けた目を擦って、すらりと整った眉を持ち上げる。


 窓から四角く差し込む光が、彼女の顔を局所的に照らしている。彼女は眩しそうに目を細めた。

 ただ一人の時間を彼女は過ごしていた。言葉などなくとも、少なくとも彼女はこの一人の空間の支配者だった。


 彼女は学校から出ることにした。今日もまた、都市の人々は各々の営みを続けている。


 ――自分などいなくとも、この世界はしっかり回っているのだ。成績優秀だなんて自分がちやほやされるのは、この世界に余裕があるからだ。私は本当の意味で世界に必要とされている人間ではないのだから。


 ――でもそれでいい、はずだ。自分が他人を変えようだなんて、そんな身分不相応な願いを持って生きる人間なんて到底いない。大多数は自分の人生を生きることに精一杯なのだ。


 ――私だってそれでいい、自分はちょっとお勉強ができるのだから、とかっこつけて、社会に対する責任みたいなものを勝手に背負おうとしていたけど、それは出過ぎた行動だった。


 歩道を歩いていた無垢な小学生たちは笑っていた。これが最強なのだろう。

 何も背負うことなく、ただ一日一日を彼らなりに生きているだけ。それが人間だ。

 変な使命だとかを全く背負わない方がかえってうまくいきそうなくらいだ。


 彼女は高台の広場に向かった。


 眼下にこじんまりとした、しかしながら十分に密集している近代的な町並みを望みながら、上の方には白い雲が漂っている。


 空の青は何もかもを包みこんでくれるような温かい色だ。

 ――なんだ、これで幸せじゃないか、私は。こんなにも自由で、一体何を悩んでいたのだろう。


 彼女はここ数日で生まれた強欲を抑えて、平穏の中に身をおくことの素晴らしさを感じた。


 広場から下りてロータリーに行くと、この学研都市では少しだけ珍しい普通の新入社員のような人がせっせと駆けている。何か急な用事でもあったのだろうか。


 きっとこの人も、何かに振り回されながら、あるがままに今を精一杯に生きているのだろう。自分が振り回す側に立てない凡人だと自覚して。


 ――やはり自分も、凡人として生きていこう。私の優れた能力なんて、学生としての評価くらい。そんなことにいちいちこだわって、何も幸せが生まれることなんてない。


 ――他に自分は何も持っていないのだ。人を惹きつけるような魅力も何も。


 ――だとすれば、ここですれ違う人々と同じように、普通の人生を歩めばいい、強欲でさえなければ、それは十分に幸せなことだ。


 交換可能であったとしても良い。何も使命を負う責任なんてないのだから。


 


 髪を揺らしながら真っ直ぐと歩く一人の少女を見て、先程のサラリーマンは振り返らずにはいられなかった。

 

 黒髪が風で舞った。言うなれば、無自覚の風だろうか。

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